首長の権限を強める新しい教育委員会制度への見直し法が成立した。学校教育が政治的に偏らないか。選挙に振り回されないか。懸念が残る。住民代表としての委員の自覚と良識が一層重要になる。
教委制度の見直しの機運が高まったのは、いじめ自殺や体罰がきっかけだった。腰が重い。対応がずさん。不都合な情報を隠す。責任が曖昧。いろんな批判が出た。
住民代表とはいえ名ばかりの非常勤の委員と、実権を握る常勤の教育長と事務方。形骸化して事なかれ主義に陥った組織のありようが指弾された。
本来はこの無責任かつ閉鎖的な体質にこそメスを入れ、真の機能を取り戻させる知恵が問われたはずだった。それなのに、見直しの中身は、患部を放置したまま大手術を施したようなものだ。
首長は教委と話し合う会議を主宰し、教育行政の大方針を定める。そして、自ら直接選んだ常勤の教育長が非常勤の委員を束ね、事務方の実務を仕切る。大ざっぱに言えば、そんな仕組みになる。
選挙に勝った首長こそ民意を素直に反映できるという理屈だ。だが、個人的な思想や信条を押しつけないとも限らない。歯止めの規定がないからだ。首長が交代して方向性が変わり、学校現場が混乱することもあるのではないか。
予算権と自らの任命権を握る首長を前にしても、たじろぐことなく異論や反論を唱える委員の存在が欠かせない。教委全体が上意下達の組織に堕せば、教育が政治の手玉に取られかねない。
戦後生まれの教委制度は教育行政の地方分権、自主性の確保、民主化を原則とした。国が統制した戦前の教育の失敗を反省してのことだ。時代とともに制度設計は様変わりしたが、三原則の精神は曲がりなりにも息づいてきた。
沖縄県竹富町教委は、中学公民教科書の変更を迫った国の要求を拒んだ。教育の自治といえる。
静岡県教委は、全国学力テストの下位校の校長名を公表するよう求めた知事を諦めさせた。大阪市長が命じた教職員の思想調査を食い止めたのも市教委だ。教育の独立性を守ったといえる。
これらの事例を見ても、教委制度の魂は、物申す委員の存在と合議制に宿るといえる。裁判員制度と同様に専門家任せにせず、地域の声を大事にする。レイマン(素人)コントロールの機能だ。
教委制度の歴史的意義を踏まえ、首長には抑制的な関与を望みたい。主役は子どもたちである。
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