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【上杉 隆】

新連載【週刊ウエスギ】「自由報道協会の意義と進路」(上杉 隆)

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メディア

当然の相互主義を採れば、貴重な小沢ニュースは独占からだ。 ところが、メディアに徹底排除され、いわば頬を打たれてきた協会の面々は、その主義を採用しなかった。代わりに既存メディアの記者たちも自らの会見に招き入れ、自由に質問をさせることにしたのである。しかも無料で――。

だが、左の頬を出した自由報道協会に対する既存メディアの対応はあまりに汚かった。 彼らが徹夜して開催し、何一つ得ることのない会見、むしろ多くの出費を強いられるそうした記者会見を、タダ乗りするどころか、主催者のクレジットも打たず、逆に、既存メディアに自由に質問をさせないクローズドな団体だと糾弾し始めたのだった。

その後、堀江貴文氏や一色正春氏、孫正義氏などの会見を通じても、既存メディアは同じやり方を続けた。 つまり、協会の面々が、文字通り、汗水たらしてアレンジし、なけなしのカネを使って開いた記者会見の中身を盗むだけ盗んで、一切の敬意も感謝の言葉もなく、逆に「ろくでもないインチキ団体」とののしる始末だったのだ。 それでも協会の面々は我慢した。きっと相互主義を採らず、我慢を続ければ既存メディアの人々もわかってくれるだろう、そう皆で慰め合って記者会見を続けてきたのだ。

そこで起きたのが代表(私)と岩上安身理事と読売新聞記者との間の「口論事件」だった。 小沢一郎会見で、司会者の制止を聞かず、15回にもわたって質問を続けた読売記者に、事前にルール説明を行なった通り、その行いは禁止事項であり、今後そうしたことは控えてほしいと注意を与えたのだ。 ところが読売記者は断固として認めない。そこで長い間の口論となり、それがニコニコ動画などで中継され、また読売新聞が記事にするなど騒動が広がり、あたかも自由報道協会は乱暴な団体であるかのような印象を植え付けたのだ。

だが、この騒動を期に、次に控えたダライラマ法王の記者会見などから、会見自体は落ち着きをみせることになる。 大手メディアの記者たちも政局質問ではなく、身のある政策質問をするようになり、健全な記者会見が少しずつではあるが、行われるようになった。それは自由報道協会が存在して最初の収穫であった。 また政界でも、記者クラブでの会見ではなく、自由報道協会での会見を優先する政治家が徐々にではあるが増え始めることになった。 小沢一郎氏や石原慎太郎都知事(当時)など、明確に自由報道協会の記者会見の優先を打ち出す政治家も現れたのだ。

そうした努力と我慢もあったのだろう、公益法人になった10月、NHKはじめ多くのメディアが自由報道協会の存在をきちんと認めはじめ、報道の際にはクレジットを入れるようになったのだ。 日本にもようやくジャーナリスト同士が共存する時代がやってきた。 それこそ自由報道協会が設立当初から求めていた健全な言論空間、メディア空間の実現のための第一歩である。

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