本名= Taalib Johnson。
フィラデルフィア出身。
「フィリーの伝統を受け継ぐファンクソウルの申し子」と称され、「21世紀のスティーヴィー・ワンダーに一番近い存在」とも評されるニュー・フィリー・ソウルの第一人者。
2000年にOST、『ナッティ・プロフェッサー・‐クランプ家の面々』に収録され、大ヒットとなった「ジャスト・フレンズ」でデビュー。
その「ジャスト・フレンズ」も収録した1stアルバム『アイジャスウォナシング』からは名バラード「ラヴ」も誕生し、第44回グラミー賞の最優秀男性R&Bアーティスト部門にノミネートされ、ソウル・トレイン・アワードではベスト・R&B/ソウル・アルバム賞を受賞、またSOURCE誌のR&Bアーティスト・オブ・ジ・イヤーにも選ばれた。
2002年の2ndアルバム『ジャスリスン』からは「ハーフクレイジー」がヒット、全米アルバム・チャートで初登場1位を記録した他、2作連続のミリオン・セールスを記録。
2003年には3rdアルバム『ソウルスター』をリリース。
「Forthenight」が第46回グラミー賞の最優秀アーバン/オルタナティヴ・パフォーマンス部門にノミネート。
翌年の第47回グラミー賞でもジミ・ヘン・トリビュート・アルバム『Power Of Soul: A Tribute To Jimi Hendrix /Various Artists』(Experience Hendrix社から発売)に収録の「Are You Experienced?」が最優秀アーバン/オルタナティヴ・パフォーマンス部門にノミネートされるなど、彼の音楽性は高い評価を得ており、数度の来日公演も実施するなど日本でも絶大な支持を集める人気アーティストとなった。
2007年にはデビュー以来の所属レーベル=デフ・ジャムを離れ、アトランティックへ電撃移籍を果たし、3月に移籍第1弾アルバム『ラヴアンミュージック』をリリース。アルバムからはシングル「BUDDY」も大ヒットし、前年発表されたR&B/ソウルの作品では1、2を争う屈指の完成度!と評されるなど、移り変わりの早いこのシーンで確固たる地位を築き上げた。
2008年に入ってもアメリカのブラック系ヒューマン・コメディ映画『TYLER PERRY'S MEET THE BROWNS』のサウンド・トラックにエステルと共演した「ピープル・エヴリディ」(アレステッド・デヴェロップメントの大ヒット曲のカヴァー!)を提供し話題となっている。
オススメの1枚
6th.Album『Musiqinthemagiq』
1. Anything
2. Single
3. Sayido
4. Lovecontract
5. Silver & Gold
6. Waitingstill
7. Backtowhere
8. Dowehaveto
9. Befriends
10. Yes
11. Medicine
12. Likethesun
ミシェルは、1969年に米軍に所属していた父親(サックス奏者でもあった)の赴任先だったベルリンで生まれている。
本名はMichelle Lynn Johnson。
ミシェル・ンデゲオチェロは、"鳥のように自由"という意味のスワヒリ語である。
ミシェルは70年代の初めに家族と共にベルリンから米国のヴァージニア州に移り、それからワシントンD.C.で暮らすようになる。
ワシントンD.C.では、地元のゴー・ゴー・ミュージック・シーンに加わり、クラブで演奏しながらベースの腕を磨いた。
加えて、彼女は名門ハワード大学で音楽を学び、本格的にプロのミュージシャンを目指すようになった。
ハワード大学は全米でもっとも有名な黒人大学で、ダニー・ハサウェイやロバータ・フラック、リロイ・ハトスンなども、この大学の出身者である。
やがてミシェルは、ニューヨークに進出し、さまざまなバンドのオーディションを受ける。
そのバンドの中には、リヴィング・カラーも含まれていて、一時はバンドに加入するという噂も流れた。
しかし、ミシェルはソロ・アーティストとして活動する道を選択する。
ミシェルが制作したデモ・テープは、メジャーのワーナー・ブラザーズ、マドンナのマーヴェリック、プリンスのペイズリー・パークによる争奪戦を巻き起こした。
その結果、ミシェルは、マーヴェリックと契約。
ミシェルの才能は、単に優れたベーシストという枠にとどまるものではない。
彼女は自分で曲を書き、歌も歌う。
また、ベースのみならず、キーボードやギターなども演奏するし、自らアレンジもする。
すなわちシンガー・ソングライターにしてマルチ・インストゥルメンタリストである。
だからこそミシェルは、これまでソロ・アーティストとしての道を歩んできたと言ってもいいが、彼女自身はバンドで活動することを夢見ていたという。
たぶんこうした気持ちを常に胸に秘めていたということが、これまで積極的にセッション活動を行なってきた要因のひとつなのだろう。
実際にミシェルは、これまで数多くのレコーディングやライヴのセッションに参加し、多彩なアーティストと共演を重ねてきた。
マドンナ、ローリング・ストーンズ、サンタナ、プリンス、チャカ・カーン、ジョン・メレンキャンプ、スクリッティ・ポリッティ、アラニス・モリセット、ジョー・ヘンリー、サラ・マクラクラン、ベースメント・ジャックス、ハービー・ハンコック、スティーヴ・コールマン、マーカス・ミラー、ハーヴィ・メイスン……
これらはほんの一部に過ぎない。
ちなみに近年のミシェルのセッション・ワークの中で、もっとも重要なアルバムとして、フェラ・クティのトリビュート・アルバム『Red Hot + Riot:The Music and Spirit of Fela Kuti』(02年)、ジェルバ・ブエナの『President Alien』(03年)、RHファクターの『Hard Groove』(03年)を挙げておこう。
なお、RHファクターはジャズ・トランペッターのロイ・ハーグローヴのプロジェクトで、ミシェルはエリカ・バドゥやQティップらと共演している。
The Latest Album
『Comet Come to Me』
1. Friends
2. Tom 2
3. Good Day Bad
4. Forget My Name
5. And Yet It Moves
6. Comet, Come To Me
7. Continuous Performance
8. Shopping For Jazz
9. Conviction
10. Folie A Deux
11. Choices
12. Modern Time
13. American Rhapsody
ニューヨーク/ブルックリン出身。1973年5月23日生まれ。
”MAXWELL”とは本来彼のミドルネームで、父親(”Maximillian”)および名付け親(”Max”)の名前からとったもの。
カリブ海に浮かぶ西インド諸島出身の母親と、プエルトリコ出身の父親の血筋を引く。
3歳のときに父親を飛行機事故で亡くし、そして5歳のときに名付け親(教父)も他界したため、まだ若い母親と祖母の女手ひとつで育てられた。
彼の作品の中に脈打ち続ける究極のフェミニズム、そして現在の“マックスウェル”を形作るパーソナリティすべては、この頃の家庭環境に負うところが大きい。
父親の死をきっかけに、小さい頃から教会で長い時間を過ごし、独学でピアノを弾くようになったためだ。
10代の頃にスライ・ストーンやブーツィ・コリンズ、マーヴィン・ゲイ、チャカ・カーン、スティーヴィー・ワンダー、ジェイムス・ブラウン、アレサ・フランクリンなどの洗礼を浴び、16歳でキーボードを手にしたのをきっかけに本格的に音楽に目覚める。
ソウルに限らず、ピーター・ガブリエルやブライアン・フェリー、ロキシー・ミュージックやフランク・ザッパなども聴いていた、と当時の影響の幅広さを語る。
アルバイトで稼いだお金の大半を楽器や録音機材に費やし、自作曲を自室で録音。
自分と音楽だけの小さな世界を築く日々が続いた。
高校卒業後、18歳のときにブルックリンからマンハッタンに移り、カフェで8ヶ月間ウェイターとして働く。
このときの経験がもとで「人と話をする術を覚えた」彼は、本格的にプロのミュージシャンを志向するようになる。
ベッドルームでひそかに書きためたオリジナル曲は、19歳の時点でなんと300曲にものぼっていたという。
酒も煙草もドラッグも、いわゆるティーンエイジャーにとって“誘惑”とされるものには何一つ手を出したことのない彼が、唯一音楽や本、アート以外に興味を持ったのは女の子だった。
ガールフレンドとなった”COFFEE SHOP”のウェイトレスの女の子に自作のテープをプレゼントしたことがきっかけで、彼のデモが一部で評判となり、レーベル争奪戦を巻き起こす。
こうして、“マックスウェル”という名のアーティストが誕生した。
‘93年末の”VIBE”誌の新人紹介コラム”NEXT”で、デビュー前にもかかわらずあのゴードン・チェンバースに”BRIGHTEST HOPE”として紹介され、注目を集める。
’96年春、ようやく完成したセルフ・プロデュースのデビュー・アルバム”MAXWELL’S URBAN HANG SUITE”は、マックスウェルが実際に出会ったひとりの女性との夢のような一夜のラヴ・アフェアをめぐる、きわめて私小説的なコンセプト・アルバム。
ロマンティシズムとフェミニズムに溢れた内容、ジャズのライヴ・フィーリングと‘80年代初期ソウルのスウィング・ビートを融合させた新しいサウンド・アプローチは、彼との共演を強く望んで参加したというスチュアート・マシューマン(シャーデー)、レオン・ウェア(マーヴィン・ゲイ”I Want You”の共作者)、ワー・ワー・ワトソン(g)ら、素晴らしいゲスト陣のサポートもあって高い評価を博し、じわじわと世界に浸透していく。
「’80年代初期には、打ち込みと生楽器の完璧なバランスが保たれていた。それ以降、ヒップホップが台頭してからは、当時のダイナミックさが失われてしまったんだ」
ちょっぴりレトロな感触の、しかし斬新な彼のアプローチは、“ニュー・クラシック・ソウル”あるいは“ソウル・ルネッサンス”などという言葉で評され、ほぼ同時期に登場したディアンジェロ、トニー・リッチ、エリック・ベネイ、エリカ・バドゥらと共にひとつの新しい潮流を形作るようになる。
1st. Album
『Maxwell's Urban Hang Suite』
1. The Urban Theme
2. Welcome
3. Sumthin' Sumthin'
4. Ascension (Don't Ever Wonder)
5. Dancewitme
6. ...Til The Cops Come Knockin'
7. Whenever Wherever Whatever
8. Lonely's The Only Company (I&II)
9. Reunion
10. Suitelady (The Proposal Jam)
11. The Suite Theme
ディアンジェロ(D'Angelo 本名:Michael Eugene Archer 1974年2月11日 - )は、アメリカ合衆国バージニア州リッチモンド出身の歌手である。
リッチモンド南部で宣教師の息子として生まれ、幼少の頃から歌い始めた。
ヴォーカルだけでなく、ピアノ、ギター、そして作詞作曲といったプロダクション作業までこなすマルチな才能を持つ。
影響を受けたアーティストにマーヴィン・ゲイ、プリンスの名を挙げているが、ディアンジェロ自身多くのアーティストに多大な影響を与えているいわゆるミュージシャンズ・ミュージシャンである。
1995年にファーストアルバム「Brown Sugar」でデビューし、マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーの時代のソウル感覚とヒップホップ世代の感性を見事に融合させたニュークラシッ ク・ソウル/ネオ・ソウルという一つのムーブメントを作り出し、数々のフォロワーを生み出した。
そして2000年にセカンドアルバムである「Voodoo」を発表し、名実共にネオソウルを代表するアーティストとなった。
尊敬するプリンスとは異なり寡作であり、自身のオリジナルアルバムは未だ2枚しか発表していないもの、客演やカバー、楽曲提供は数多くこなしている。
インタビューで「自分のことをR&Bシンガーだと思ったことはない、いつだってR&Bなんてくだらないと思っていた」と答えており、初めて作った曲もヒップホップで、常日頃からラップもしているとのこと。
「Brown Sugar」
1. Brown Sugar
2. Alright
3. Jonz In My Bonz
4. Me And Those Dreamin' Eyes Of Mine
5. Shit, Damn, Motherfucker
6. Smooth
7. Crusin'
8. When We Get By
9. Lady
10. Higher
「VooDoo」
1. Playa Playa
2. Devil's Pie
3. The Line
4. Send It On
5. Chicken Grease
6. One Mo' Gin
7. The Root
8. Spanish Joint
9. Feel Like Makin' Love
10. Greatdayindamornin' / Booty
11. Untitled (How Does It Feel)
12. Africa
★カバーした楽曲
Feel like Makin' Love / ロバータ・フラック
Can't Hide Love / アース・ウインド&ファイヤー
Everybody Loves The Sunshine / ロイ・エアーズ
プリンス / She's Always In My Hair
Sing A Simple Song / スライ&ザ・ファミリー・ストーン
Girl You Need A Change Of Mind / エディ・ケンドリックス
Sweet Sticky Thing / オハイオ・プレイヤーズ
Heaven Must Be Like This / オハイオ・プレイヤーズ
I'm So Glad You're Mine / アル・グリーン
Water Get No Enemy / フェラ・クティ
I'll Stay / ファンカデリック
Your Precious Love / マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル
Crusin' / スモーキー・ロビンソン
Superman Lover / ジョニー・ギター・ワトソン
「レトロ&ヴィンテージ」なサウンド、そして流行のエレクトロ・ビートを掛け合わせて新たに「エレクトロ・スウィング」なるジャンルを確立させたとも言うべき重要バンド。
エレクトロスウィングアーティストの中でもオールドスタイルでジャズホールのような雰囲気を持った曲が多い。
ドイツ出身のマーティン・ストラットハウゼンが中心となり、ヨーロッパ圏内はもちろん、南米やアジアなど、世界中のミュージシャンやヴォーカリストとコラボレーションを重ねながら活動しており、2006年のデビュー以来、4枚のオリジナル・アルバムを発表している。
20年代にインスパイアされた3rdアルバム「Tonight Josephine!」、40年代にインスパイアされた4th「Swing Patrol」とも大好評のラウンジ・キング、Tape Five。
モノクロ映画を彷彿させるヴィンテージ・サウンド。
「Tonight Josephine!」
1. Introduction : Back In Time
2. A Cool Cat In Town
3. Bad Boy Good Man
4. Pantaloons
5. Dixie Biscuit
6. Madame Coquette
7. Far Far Away (Charles-Tone Mix)
8. Intermezzo : Speakeasy
9. The Flappers Delight
10. Birds Like It
11. Pousse L'Amour
12. The Smurf
13. The Sky Is Not The Limit
14. Alcazar
「Swing Patrol」
1. Fabulous Swing Kid
2. Geraldines Routine
3. Three Butterflies
4. I Spy You
5. Black Cotton Blues
6. Bunga Book
7. Ice from Russia
8. Slow Serenade
9. Peace Patrol
10. City of Lights
11. Love Tonite
12. Tintarella di Luna
13. Tequila (album edit)
14. Pink Lullaby
スティーヴィー・ワンダー、ドニー・ハザウェイ、ジェームス・テイラー、ボニー・レイット、オリータ・アダムス、ヴィンス・ギル、ジョージ・ベンソンなどを敬愛する33歳。
デザイナーの母親と、バスケットボール選手の父親、ラルフ・シンプソンの間にマハトマ・ガンジーと同じ誕生日に産まれた為、彼女をインディアと名付けた。
「『アリー』は母が勝手に作った名前だけど、後からそれが『ライオン』という意味だって教わったわ。」
ホームタウンのデンバーで学校のバンドに入るには幼すぎた彼女はリコーダーを始め、やがてサックス、バリトン・クラリネット、小型のフレンチ・ホルン、ソプラノ/アルト/テノール・リコーダー、そしてトランペットを習うようになる。
そしてその間ずっと彼女は学校の合唱団で歌っていた。
サバンナ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインでアクセサリー制作を学んでいたときにギターを始め、歌を唄うようになる。
地元のカフェなどで音楽活動を開始、ほどなくして、彼女の楽曲が入ったコンピレーション・アルバムがヒットし、ナッシュビルで開催されたリリース・フェアという音楽祭に招かれる。
偶然、ここでのライヴを観ていたユニバーサル・レコードの社員にスカウトされ、モータウン社長ケダー・マッセンバーグと会うことになる。
彼女のデモ・テープを聴いたケダーは、「アーティスティックな誠意を妥協させるようなことはさせない。」と、実はレコード契約にあまり乗り気でなかったインディアを説き伏せ、契約する。
一切、妥協を許さない彼女の姿勢により、デビュー・アルバムとしては異例の1年6ヶ月という長期間に渡り、制作された。
見事なメロディーと本物のルーツ的ブルースが等しく混じっていることで、インディアのヴォーカルは心に直接響く。
「ストレングス、コーレッジ&ウィズダム」や「ビデオ」での彼女の物の見方は非常に暖かく、元気づけてくれる。
「プロミセズ」や「ビューティフル」のような伝記的な曲では、インディアは親友からの励ましの様なものを与えてくれる。
ロマンスと平凡な幸福感を織り込んでいる「ネイチャー」、「シンプル」あるいは「パート・オブ・マイ・ライフ」からは深い信仰と神への感謝の両方が伝わってくる。
さらに彼女のラブソング「ゴッド・イン・ユー」、「ブラウン・スキン」、「レディー・フォー・ラヴ」、「イン・マイ・ヘッド」を聴けば、インディアが書き、歌う曲には、強烈なオリジナリティと深い愛情を感じさせられる。
インディアから「ワンダフル~スティーヴィー・ワンダーに捧ぐ」という楽しい曲を捧げられたスティーヴィー・ワンダーは、最近彼女についてこう語っている。
「彼女の声、手、心には、過去の偉人たちが息づいているようだ。素晴らしい!」と最大級の賛辞を述べている。
2008年に彼女は自信のレーベル"Soulbird Music"をユニバーサル・リパブリック傘下で立ち上げる。
Souldbirdとは蝶々を意味し、彼女の音楽スタイル、エネルギー、ハートを表現したレーベルである。
ソウルバード契約アーティストAnthony David
(アンソニー・デビッド)は2009年グラミー賞にノミネートされている。
「SongVersation」
1 SoulBird Intro
2 Just Do You
3 This Love
4 Nothing That I Love More
5 Flowers
6 Cocoa Butter
7 SoulBird Interlude: Trombone
8 Moved By You
9 Life I Know
10 Break the Shell
11 SoulBird Rise
12 Thy Will Be Done (feat. Gramps Morgan)
13 Brothers' Keeper
14 One
15 SoulBird Outro: Clarinet
16 I Am Light
17 SoulBird Reprise: Ney
18 Thank You
19 6th Avenue
20 Strange Fruit
パリで活躍する、西アフリカ、マリ共和国出身の25歳の女性シンガー・ソングライター。
デビュー・アルバムの1曲目「Let's Go To Bamako」といったタイトルからは、マリの首都について歌ったノスタルジックな曲が思い浮かぶが、実際はモジャと同郷のサリフ・ケイタや、ロキア・ト ラオレというよりも、コリーヌ・ベイリー・レイ、トリスタン・プリティマン、ヘイリー・セールズに近いサウンドである。
「自分の音楽を“ロックン・ラヴ”って呼んでるの。私は馬鹿みたいに飲む訳じゃないし、ドラッグもやらないから(自分の音楽を)“ロックン・ロール”とは呼べないわ。でもロックしているから、“ロックン・ラヴ”なの」
インナ・モジャは、フランスのミュージック・シーンで人気急上昇中のスターである。
マリ共和国の、砂漠に住むプル族(フラニ族)の家庭に、7人兄弟の下から2番目に生まれた。
6歳のとき両親により聖歌隊に入れられたことによって歌うことの楽しさを知り、聖歌隊の活動に夢中になっていった。
そんな中で賛美歌だけではなく、外交官の父親が聴く、レイ・チャールズ、エラ・フィッツジェラルド、オーティス・レディング、サラ・ヴォーンなど、また彼 女よりもちょっと年上の子供たちが聴いていたパンクやハードコア・ラップ、ヘヴィ・メタル等々、様々な音楽に興味を持っていった。
そんな両親と共にナイジェリア、トーゴ、そしてアメリカで過ごし、18歳のとき単身でパリでの生活を始めた。
彼女の名前は子供の頃の思い出に起因する。「インナ」はプル族(フラニ族)で「いけない子」という意味で、「モジャ」は彼女が子供の頃いたずらをすると、母親に「モジャ」と呼ばれていたことからとられているという。
そんな母親は聖歌隊で歌う娘のために、可愛らしいフリルの付いたドレスや、リボンの髪留めを用意していた。
しかしそういった格好をさせられることに嫌気が刺した彼女は古着屋でジーンズを買う。
そういったいたずらっぽさのある「いけない子」の側面が、彼女の運命を形作っていくことになる。
当時の彼女の住処の近くに、アフリカを代表する世界的ミュージシャン、サリフ・ケイタが住んでおり、その面識もない大御所ミュージシャンに、突然会いに行ったのである。
だがサリフは彼女の実力を認め、サリフ自身もかつて在籍していたことのある地元のバンド、バマコ・レイル・バンドに紹介し、彼女は見事そのバック・シンガー務めることとなった。
このバンドでジャズ、ボサノヴァの唱法をマスター、そうしてパリに渡ってから、自分の大好きなこと、ずるいイタズラ、実らなかった恋に酷い経験、そして人 生の生きがい・・・つまり、彼女に起きたこと全てについての曲を書きため、デビュー・アルバム『Everyday Is A New World』が完成した。
多くのTV番組に出演したり、フランス全土で開催される大音楽フェス : Fête de la musique 2009では、憧れのジェイソン・ムラーズと「ラッキー」をデュエットしたり、アフリカ出身の「いけない子」はパリで文字通りの「スター」となった。
「パリの生活は好きよ」彼女は語る。
「友達や、身近にいる人たちが大好き・・・日々の暮らしは私にとってとても大切なことなの。でも…」と彼女は続ける。
「でもバマコ(マリの首都)には家族がいる・・・エネルギッシュな大きな街よ。そこのマーケットも大好きだし、ニジェール川の河畔を散歩するのも大好き」。
生まれ故郷との強い絆を保ちながらも、彼女の音楽はいわゆる「ワールド・ミュージック」、「アフリカン・サウンド」からは遠く離れて聴こえる。
だが彼女の音楽の中に感じるオーガニックな香りや、燦々としたリゾート地の太陽のような輝きは、彼女にアフリカの大地で育まれたDNAが組み込まれているからにほかならない。
いたずらっ子のように自由な彼女の感性は、生を受けた地から遠い旅の末、異文化の地に降り立ち花開いたのである。
『Everyday Is a New World』
1. Let's go to Bamako
2. It's alright
3. Leave me alone
4. Happy love song
5. Drama queen Feat Stefan Filey
6. Mister H
7. I have no need
8. Trouble maker
9. You and me
10. Big will
11. Please Dad
確かな歌声と極上のソングライティングでシーンを虹色に染めるR&Bバタフライ---
ポスト・アリシア・キーズの呼び声高い2012年R&Bシーンの大本命新人
エル・ヴァーナー ついにデビュー!
J. Coleをフィーチャリングに迎えたシングル「Only Wanna Give It To You」(プロデュースはクリス・ブラウン、ニッキー・ミナージュ等で注目株のPop&Oak)が話題となっていたエル・ヴァーナーのデビュー・ アルバム、ついにリリース!
LA出身、ブロンクス在住、現在22歳のエル・ヴァーナーは共にソングライターである両親のもと育ち、幼い頃からモータウン・サウンドからバート・バカラックに至るまで様々な音楽に囲まれて育った。
両親から「ここにどんな言葉を入れようか?」と意見を求められたり、“育った環境といえばスタジオ”というような音楽漬けの幼少期を過ごし、9歳で教会の 聖歌隊で歌い始めたころにはすっかり音楽の魅力に取り憑かれ、歌の他にもフルート、ピアノ、ギター、ドラムなども手掛けるようになった。
その後、難関ニューヨーク大学のクライヴ・デイヴィス・プログラムを経て、アリシア・キーズを見出したことで知られるMBKエンタテインメントに発掘されたというから、その実力の程が伺われる。
曲が生まれる背景は様々、という彼女。
90年代ソウルのアンニュイさと、ビズ・マーキーをサンプリングしたヒップホップのビートが印象的な「Only Wanna Give It To You」は個人的な体験から全く離れてリリックをのせていったそう。
一方で「Refill」は友人とマイアミに行った時の思い出、「So Fly」は自身の失恋がもとになっている曲。
前述のPop&Oakと並んで、自身そして父であるジミー・ヴァーナーもプロデュースに参加しているが、爽快でパワフルなヴォーカルを披露してい る「Sound Proof Room」(ビーチ・ボーイズのメンバーとしても活躍したエイドリアン・ベイカーのファンキーな“Subtle Secret”をサンプリング)は母親もバック・コーラスで参加。
生き生きとして華やかなルックスも魅力。
大器の予感を漂わせた新たなディーヴァがついに登場する!
2012年R&Bシーンの大本命と呼ばれる大型新人、エル・ヴァーナーのデビュー・アルバムがいよいよ国内盤として登場!
ともにソングライターである両親のもと育ち、難関ニューヨーク大学のクライヴ・デイヴィス・プログラムを経て、アリシア・キーズを輩出したマネージメン ト・チームに発掘されたというから、その実力の程が伺われる逸材!J. Coleをフィーチャリングに迎えたシングル「Only Wanna Give It To You」や「Refill」が全米ラジオ中心に大ヒット、日本でも輸入盤から大プッシュされ続けている彼女。
アルバムは全編でエル本人がソングライティングを担当、プロデュースはクリス・ブラウンやニッキー・ミナージュ等で注目株のポップ・ワンゼルがメインで起用され、並んで父であるジミー・ヴァーナーも名前を連ねている。
確かな歌声と極上のソングライティング、そして生き生きとして華やかなルックスで魅力するR&Bの新星が、シーンに新たな風を吹かせてくれることになりそうだ。
yoheik0707
『Perfectly Imperfect』
1. Only Wanna Give It To You
2. Refill
3. Sound Proof Room
4. I Don't Care
5. Not Tonight
6. Leaf
7. Oh What A Night
8. Stop The Clock
9. Welcome Home
10. Damn Good Friends
11. So Fly
12. Go
13. Do You Want To
「天は二物を与えず」ということわざがあるけれど――彼女の場合はそれがあてはまらない。
1963年生まれで、83年のミス・アメリカ(黒人女性として初めて受賞するも、ペントハウス誌でのヌード発覚により後に剥奪)に輝いたヴァネッサ・ウィリアムスは、"美貌"と"美声"の両方を手にいれているのだから。
その透明度の高いヴォーカルをもって、87年にアルバム『ライト・スタッフ』でデビューを飾った彼女は、R&Bを基調としたポップ感溢れるサウンドを展開。
ムーディなスロー・バラード「ドリーミン」で聴かせるしっとりした歌声は、耳に心地よい刺激を与えた。
また、「ランニング・バック・トゥ・ユー」に代表される、ダンス・チューンでみせるヴォーカルの躍動的な一面も見逃せない。
そのルックスの美しさゆえに、しばし誤解されがちであるが、彼女のアーティストとしての本質と人気の根底には、揺るぎのない実力:ヴォーカリストとしての表現力と説得力が、しっかりと存在しているのである。
セカンド・アルバム『コンフォート・ゾーン』以降の彼女の世界的な活躍は、いまさら多くを語るまでもないであろう。
主な所では、最大のヒット曲でもある全米NO.1ソングのメガ・ヒット「セイヴ・ザ・ベスト・フォー・ラスト」を始め、ブライアン・マックナイトとのデュ エットで全米最高3位を記録した「ラヴ・イズ」(サントラ『ビバリーヒルズ青春白書』収録)、TBS系TVドラマ「協奏曲」主題歌:「アルフィー」等、数 多くのヒット曲を持っている。
音楽界での成功のみならず、TV/映画/ミュージカルといったショウビズ界全般で大きな活躍を見せるヴァネッサ。
神は彼女に"才能"と”美貌”の両方を与えた。
<オリジナル・アルバム・ディスコグラフィ>
1. 『ライト・スタッフ』(1988)
2. 『コンフォート・ゾーン』(1991)
3. 『スイーテスト・デイズ』(1995)
4. 『スター・ブライト』(1996)
5. 『ネクスト』(1997)
<主要出演映画>
1989年「ピックアップ・アーティスト」
1992年「サギ師と嘘つき患者」「ハーレーダビッドソン&マルボロマン」
1996年「イレイザー」
1997年「ソウル・フード」
1998年「マイティ・ジョー」/「ダンス・ウィズ・ミー」/「デス・ゲーム2025」
1999年「エルモと毛布の大冒険」/「ハイスクール・ジャック 怒りの教室」
2000年「シャフト」
2001年「パウエル 気高きカリスマの伝説」(TM)
Everlasting Love
1. Tuning (Album Version)
2. Never Can Say Goodbye (Featuring George Benson) (Album Version)
3. Midnight Blue (Album Version)
4. Show And Tell (Album Version)
5. Let's Love (Album Version)
6. First Time Ever I Saw Your Face (Album Version)
7. Everlasting Love (Album Version)
8. With You I'm Born Again (Duet with George Benson) (Album Version)
9. Send One Your Love (Album Version)
10. You Are Everything (Album Version)
11. One Less Bell To Answer (Album Version)
12. I'll Be Good To You (Duet with James D
13. Harvest For The World (Album Version)
14. Today And Everyday (Wedding Song) (Album Version)
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