ディスコ時代からのレポート No.2


ファンキーハウス(徳山)
銀河(山口)
マティウス(宇部)
粋族館(徳山)
ファーストレディ(下関)
 ファンキーハウスは四畳半ディスコと呼ばれる小さいお店でしたが、フロアーはライト式で、ちゃんと鏡もある踊りやすい店でした。
 従業員のシンタロー君とは、いまだに銀座GENIUS、神楽坂ツインスターに一緒に踊りに行きます。
 彼の弟も博多ラジオシティーで、ビーポップクルーのヨシ坊さんカーク君とバイトをしていました。
 銀河もライト式のダンスフロアーがあり踊り場はガラスで囲われたお店でした。
 オーナーのママさんには親切にしていただきました。
 宇部のマティウスは、踊りの上手い子が来ていました。
 粋族館(スイゾク カン)は、カラオケ・タイムとディスコ・タイムが交互にあるお店dした。
 店長は、大分時代(1973年)からの知り合いで、後で出てくる佐久間君も踊っていた下関のサンバカンの店長もやっていました。
 佐久間君は、下関で踊りに熱心な子がいると聞いてファーストレディに見に行きましたが、当時は下手だった。
 店長から彼(佐久間君)は大阪まで行って、踊りに打ち込んでいると聞いて感心しました。 

リップ(広島)
インディペンデント・ハウス(広島)
マキシム(広島)

ハッピー(岩国)
 リップの店長マッポウは、ロボット・ダンスがとても上手でした。
 後でマキシムの店長もしていました。
 インデペンデントハウスで、セッチャン(1979年世界ディスコ・ダンス・コンテストで3位 前回でテリーダンさんが優勝している)とゲットダウンでダンスバトルをして、仲の良い友達になりました。
 私より年上のタカチャンは、人柄の良いダンサーでした。
 ハッピーは、岩国米軍基地の側にあるから当然客も米兵が主で、日本ではない雰囲気の独特の店でした。
 マキシムの天井の沢山のランプ照明は綺麗でした。
VO(博多)
ラジオ・シィティ(博多)
 転職した会社の本社が博多だったため、たまに行きました。
 この頃は、結構お客も入っていたと憶えています。
 川沿いのVO、地下に入るとラジオ・シィティ・レコードのジャケットと同じ円官ネオンの柱が有りました。
 博多駅から中州に歩いていく途中の右側のビルにあったディスコなどは、名前も思い出さないが、踊りの上手い人がいた記憶がある。