北別府 学
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超精密機械 北別府 学
実際の選手たちを駆使して、理想のチームをつくりあげる「プロ野球チームをつくろう! ONLINE 2」も、誕生から3年が経過。連日、ますます熱い戦いが展開されているが、今回はカープ黄金時代に絶対的なエースとして活躍した北別府学氏が登場。「針に糸を通す」と形容された驚異的なコントロールと、卓越した投球術が生まれた秘話が、いま明かされる!
マツダスタジアムのマウンドに立たれたのは初めてとのことですが?
- 北別府
- セレモニーなどでマウンドの前には立ったのですが、マウンド自体は初めてです。思ったよりも低く感じましたね。実際の高さはそう違わないのでしょうけど、人工芝や土のグラウンドなど様々ですから。全体的になだらかに傾斜がある球場もあれば、マウンド付近だけが盛り上がっている球場もある。随分と違うものなんですよ。
さて今回は、北別府さんに「野球つく」の世界をお楽しみいただきたいのですが、すでにゲームのことはご存知だったとか?
- 北別府
- 監督やGMのようになって、いろんな選手を集めてチームをつくるんですよね。話には聞いていましたが、実際にやってみるとすごいものですねぇ。設定も細かくできるし、画像もものすごくリアルだ。
北別府さんの現役の頃から、テレビゲームも家庭に普及し始めました。ご自身をモデルにした投手も登場していましたね。
- 北別府
- 名前はちょっと違うけど、いかにも僕だなという選手が(笑)。でもいまは本名で登場できるようになった。子供たちに北別府って投手を知っているかと尋ねると、ゲームに出てくるから知っているというんですよ。僕らが子供の頃、川上哲治さんの名前と実績は知っていても、プレーを見たことがないので、本当の意味では分からなかった。でもいまはこうしてゲームの中に登場するので、現役時代を知らない子供たちにもどういう選手だったか知ってもらえるんです。
本シリーズでも北別府さんにはご登場いただいておりましたが、今度はこの「野球つくオンライン」で、よりリアルに再現したいと思います。そこでこだわりたいのが、北別府さんの驚くほどの制球力です。
- 北別府
- 正直言うと、自分でもあそこまでのコントロールを身につけられるとは思っていなかったんです。75年にカープが初優勝し、その翌年に僕は入団しました。甲子園には出場できませんでしたが、九州大会には4回勝ち上がりましたし、自分ではそれなりにスピードに自信があったんですよ。しかしキャンプで当時の外木場義郎さん、池谷公二郎さんらのボールを見た。これはスピードではついていけないなと痛感しましたね。
そこでコントロールで生きようと。
- 北別府
- ストライクをとる制球力はありましたが、本当に細かく投げ分けられるようになったのは30歳近くになってからです。
どのようにして磨いていったのですか?
- 北別府
- やはり、こだわりでしょうね。若い投手たちも、ブルペンではある程度ストライクの枠にはおさまるんです。プレッシャーがありませんから。でも実際の試合では走者がいたり、得点差があったり様々な状況がある。ですからいかにそれを想定をしながら練習できるか。この打者はあそこに投げれば打たれない、このコースならゴロになるなどを考えながら投げると、だんだん自分自身がその想定の中に入っていく。そういう精神的プレッシャーをかけながら練習するんですよ。
ものすごいシミュレーションですね。
- 北別府
- このゲームのようにね(笑)。練習で10できたとしても、実際に試合で出せるのは7ぐらい。練習でも5ぐらいなら、試合では2~3、あるいはもっと悪くなってしまうかもしれません。だから「この程度でいい」と自己満足するタイプでは、そこまでのコントロールを身につけることはできないでしょうね。ただ闇雲に投げても無意味ですし。
まさにこだわりを持つことですね。
- 北別府
- 僕は82年に20勝をしていますが、やはり先発ローテにいる以上、最多勝は毎年狙っていきたい、その可能性があるならとことん追求していきたいという気持ちが、非常に強かったんです。ではそのために何が必要かと言うと、僕の場合はコントロール。豪速球があるからといって勝てるとは限らないし、逆に遅い球しか投げられなくても勝つことはできる、それが野球の面白いところです。
その20勝を挙げたときは、まだコントロールが完全ではなかったのですか?
- 北別府
- まだボールの勢いで振らせていた時代ですね。85~86年頃からです、狙った場所へきちんと放れるようになったのは。86年の前半はあまり調子が良くなかったんですが、7月以降に12勝しているんです。
最多勝と防御率の2冠に、MVPと沢村賞も受賞した年ですね。特に9月以降は7戦全勝、6完投4完封と完璧な内容でした。
- 北別府
- もうマンガのような話ですが、まずここに投げて、次はそこ、最後はあそこへというように、自分の思い描いた通りにボールを投げ分けられた。相性が悪い打者は勝負せず歩かせて、次の打者はボール1個か1個半ずらした場所にスライダーを投げる。そうすれば二塁ゴロ併殺打……本当にそうできるほど、あのときは状態も良かったんですよ。
まさに精密機械ですね。
- 北別府
- もう一つ、大きかったのがインスラを覚えたこと。右打者に対してインコースへのスライダーというのは、普通なら絶対にタブーです。すっぽ抜けたスライダーが一番のホームランボールになるわけで、インから真ん中へと入るインスラを投げるのは、投手からするとものすごい抵抗があるんです。でも、そのボールを日本シリーズで東尾修さんが投げていた。僕も東尾さんと同じシュートピッチャーですから、打者からすればうかつに手を出せないわけです。
胸元にくる可能性がありますからね。
- 北別府
- そしてこの球は、左打者にはさらに効果があるんです。僕も右より左を苦手にしていましたが、インスラ、左にとっては外スラを覚えたことで、苦にならなくなりました。左打者は外に逃げる球には早く反応して振らないんですが、それがスライドしてくると慌てて振ってファウルになる。おかげでカウントも稼げるようになったし、アウトローいっぱいに入れることで、見逃し三振も増えた。あのボールでまた一つ投球の幅ができました。
あそこまで駒の揃った投手王国にあって、なぜ北別府さんがエースで居続けられたのか、改めてその理由が分かった気がします。
- 北別府
- 僕とはタイプが違う人ばかりでしたからね。そして仲が悪いわけではないんですが、やはりライバルとして、お互いにものすごく意識をしていましたよ。アイツが勝ったら自分も負けるわけにはいかない、投げるからには試合に勝つのは当たり前……そういう意識が強かった。
当時のカープが強かったわけですね。
- 北別府
- おかげで他球団なら十分に先発でまわれる連中が、みんな中継ぎをやっていました。そして彼らは谷間に先発のチャンスを得ると、しっかり投げきる。そういう意味でも最強の投手陣だったでしょうね。
では、その北別府さんから見られて、いま一番興味のある投手といいますと?
- 北別府
- マエケン(前田健太)ですね、僕よりちょっと球は速いけど(笑)。せっかく追い込んでいるのに、そこから真っ正直に勝負をしてしまい、苦労している投手が多いですが、彼はそこで見せ球を使ったり、とてもよく考えて投げているのが分かる。これからも期待したいと思いますよ。
- 北別府 学(きたべっぷ・まなぶ)
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1957年7月12日、鹿児島県出身。
都城農から76年ドラフト1位で広島入り。1年目に初勝利を挙げると、翌年からローテに定着。3年目の78年に初の10勝を挙げると、抜群の制球力を武器に以降11年連続2ケタ勝利をマーク。82、86年に最多勝と沢村賞、86年にはMVPにも輝き、投手王国と呼ばれたカープ黄金時代の絶対的エースとして君臨した。92年に200勝を達成し、94年限りで現役引退。19年間の通算成績は515試合に登板し、213勝141敗5セーブ、防御率3.67。01年から04年までは古巣で投手コーチを務めた。