金本 知憲

広島と甲子園を魅了した「平成の鉄人」 金本 知憲

広島と甲子園を魅了した「平成の鉄人」

1492試合連続フルイニング出場の世界記録を持ち、昨年引退した平成の鉄人・金本知憲氏が「プロ野球チームをつくろう! ONLINE2」に登場。広島時代でバッティングを開花させ、阪神時代には2度の優勝を経験した金本氏に、現役時代の話を語っていただいた。

1シーズンを交代なしでやろうという感覚の積み重ねが11シーズン続いた

「野球つく」をやっていただきましたが、いかがでしたか。

金本
面白いですね。これは他のチームと選手がダブることがあるんですよね。

そうですね。対戦相手と同じ先発投手だったりすることもあります。

金本
バントの指示を出せたりもするんですか。

試合中は操作は出来ませんが、采配や監督カードの設定により、バント重視や盗塁重視、継投策などのいろいろな采配をさせることが可能です。

金本
エンドラン、スクイズをその都度出来るようになると、より面白いでしょうね

金本さんは昨年まで現役でしたので、「野球つく」でも阪神の選手としてエントリーしていました。現役時代、印象に残っている投手はいますか。

金本
味方だったですけど球児(藤川)は印象に残る投手ですね。真っ直ぐだけであそこまで抑えられるんですから。真っ直ぐだけで抑えるというのは津田(恒実)さんと球児ぐらいしかいないんじゃないですかね。球児とは1度は対戦したいと思いましたよ。

対戦した投手の中では凄かったのは?

金本
クルーン、林昌勇ですかね。

速球派が多いですね。

金本
実際に160㌔台を投げられてますからね。それからダルビッシュ有。僕が肩をケガしてからの対戦が多かったので、自分自身の全盛期にやってみたい投手でしたね。

地元の広島でプロの野球人生をスタートした金本さんですが、少年時代憧れの選手は誰でしたか。

金本
山本浩二さん、衣笠(祥雄)さんですよね。まあ2人は別格だったので、それ以外では渋い感じの三村(敏之)さんが好きだったですね。その後は小早川(毅彦)さん。大学時代は清原(和博)さんが憧れでしたね。

憧れの山本監督の時の1、2年目はあまり一軍出場はなかったですが、三村監督になった3年目から出場数も増えました。

金本
最初は一軍との差をすべての面で感じてましたね。特に外野手は守備が良くても上がれない。とにかくバッティングを何とかしないとという気持ちでした。

バッティングが変わったきっかけはあったのですか。

金本
プロは、たとえば真っ直ぐを狙って変化球に対応するという技術も求められるんですが、それをやってたら無理だろうと思い、狙ったボールはきっちり打てるようにしようと。一か八かですけど、どちらかに決めて、その球が来た時は打てるようにしようという発想にしました。

それが結果に結びつくわけですね。そのスタンスは変わらなかったのですか。

金本
現役最後まで2ストライクまではコースか球種に絞って待っていましたね。

金本さんが一軍に定着していた頃は、若手の打者が伸び盛りで競争も激しかったと思います。

金本
そうですね。江藤(智)、前田の両看板がいて、野村(謙二郎)さん、緒方(孝市)、町田(公二郎)らがいましたから、負けないようにという気持ち、また目標にしてやっていましたよね。
阪神で優勝を経験して、広島でも優勝したかったなと思いました

そんな中、95年には五番に定着しました。

金本
そうですね。翌年は五番も打ちましたが七番も打ってるんです。この年は大豊(泰昭)さんや僕が七番で打点を稼いでいて、七番バッターがちょっとしたブームになった年だったんですよ。

初めて3割を打ったんですよね。七番でも51試合の出場ですから、すごい打線だった。

金本
八番に西山(秀二)さんがいて3割をクリアしてましたからね。

本当にすごいですよね。でも残念ながら巨人に逆転優勝を許してしまった。

金本
もう一人ピッチャーがいたら優勝してましたけどね。

広島では出来なかった優勝を阪神移籍1年目の03年に実現します。ベテランとしてチームを牽引する役割も星野仙一監督にも求められたんじゃないですか。

金本
そうですね。でも言葉ではなく、自分のやることをしっかりとやっていこうということだけでした。

7月上旬にマジックが出る大独走でした。

金本
それでも、「死のロード」で4勝11敗と大きく負け越して、その間に巨人が追い込んできて、甲子園での巨人3連戦に「3つ負けたらやばいぞ」という話はしてたんですよ。でも連勝してやっといけるという気になったんですよね。

広島では味わえなかった優勝の味はいかがでした。

金本
よく分からなかったです(笑)。阪神では甲子園のお客さんと一体となって、喜べてうれしかったですけど、阪神で優勝を経験して、広島でも優勝したかったなと思いました。一緒に戦ってきた仲間とね。そういう気持ちがわき上がりました。

05年には中日と競っての優勝でした。

金本
03年とは違って、チームが地に足をつけて戦ってました。リリーフも「JFK」が確立され、チームが勝ち方を知っていて、6回までにリードしておけば勝ちでしたから。この年は逆転勝ちは少なかったんですよ。だから見ているお客さんには面白味がなかったと思いますが。

06年には99年から続けていたフルイニング出場の世界記録を達成。98年からの連続試合出場も歴代2位をマークしました。積み重ねでのこの記録についてはどうお考えでしたか。

金本
1シーズンを交代なしでやろうという感覚でしたね。なので1年単位での充実感はありました。連続フルイニングの記録があるのはあまり知らなかったし、1年間の積み重ねが11シーズン続いたということでしょうね。連続試合は運が良かったなと思いますね。最後は肩をケガしてしまいましたが、それまで大ケガをしなかったし。
スコア

金本さんは野球人生の後半の方が成績が上がっていますよね。

金本
連続フルイニングの記録を続けている時は3割近く打っていましたからね。でも35歳を過ぎた頃から、ちょっと打てなくなると「休ませろ」と回りが言ってうるさかったことはありますよ。

常に全力でプレーする金本さんは、広島時代に1002打席連続無併殺打というすばらしい記録もあります。

金本
バットを振り終わって、やばいと思った瞬間の一歩目が速かったですからね。

一生懸命に走らない選手もいますよね。

金本
そうですね。内野安打になりそうな時は一生懸命に走るけど、ゲッツーの場面では走らない選手はいます。でも「ゲッツー」こそやばいわけですから、必死に走らないのはどうかと思いますよ。

最後に、「野球つく」で、今度はレジェンドカードとして金本さんが登場します。ファンの方にひと言お願いします。

金本
現役の時のように打てるかどうか分かりませんが(笑)、阪神ファンの方も、それ以外の方もレジェンドカード・金本をどんどん使ってください。
金本 知憲
金本 知憲(かねもと・ともあき)
1968年4月3日、広島県広島市出身。広陵高を経て東北福祉大へ進学。92年にドラフト4位で広島に入団。00年には「3割、30本、30盗塁」のトリプルスリーをマーク。03年にFAで阪神へ移籍。03、05年の優勝に貢献し、05年はリーグMVPも獲得。04年には打点王にも輝いた。また、1492試合連続フルイニング出場の世界記録と歴代2位の1766試合連続出場をマークしている。通算成績は2578試合、2539安打、476本塁打、1521打点、打率.285。

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