長崎原爆:市調査団、米国立公文書館で写真200枚確認

毎日新聞 2014年06月17日 20時05分(最終更新 06月17日 22時58分)

マスクをつけ、爆心地から約500メートル付近を南に向かって歩く人たち。後方に見える二つの壁は、三菱重工業長崎造船所浦上寮の防火壁。爆風と平行に建っていたため倒れずに残った=長崎市で1945年9月16日(米軍撮影・米国立公文書館所蔵)
マスクをつけ、爆心地から約500メートル付近を南に向かって歩く人たち。後方に見える二つの壁は、三菱重工業長崎造船所浦上寮の防火壁。爆風と平行に建っていたため倒れずに残った=長崎市で1945年9月16日(米軍撮影・米国立公文書館所蔵)

 【ワシントン徳野仁子】来年で原爆投下から70年を迎えるにあたり、長崎原爆に関する写真や資料を収集するため、長崎市の調査団が米国の国立公文書館を訪れている。調査初日の16日(日本時間17日)だけで、原爆投下から1〜2カ月後に米軍が撮影した長崎市内の写真など約200枚を確認した。

 9月23日の進駐軍上陸前に先遣隊などが撮影した写真も多数含まれる。爆心地から約500メートル離れた場所でマスクをつけて歩く人たちを撮った写真は、投下後に流布された「毒ガスがまかれた」といううわさの存在を裏付けるものという指摘もある。調査にあたっている長崎平和推進協会写真資料調査部会の深堀好敏部会長(85)は「本格的な進駐より前に撮影された写真はこれまで少なく、貴重な資料だ」と話している。

 調査団は27日(同28日)まで滞在し、最大で2000枚近くスキャンして日本に持ち帰る予定。

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