『天使の街』では、プロの校正者さん(校閲さん)に原稿のチェックを依頼しました。セルフ・パブリッシングでは、そこまでやる人はあまりいないと思いますが、作品としても商品としても完成度を高めたい、という想いから、意を決してお願いすることにしました。
今回は、校閲さんにどのような指摘をいただいたか、また事前にどんな準備したか、といったことをご紹介していきます。
どんなチェックが入ったか
具体的にどんなふうにチェックが入るのか、いくつか例を挙げてみましょう。実際は単純な誤字脱字もご指摘いただいていますが、ここでは作品の書き手として「興味深い」ものを取り上げていきます(ちなみに、黄色い斜めの線は、原稿に反映させた、という自分の目印です)。
▲「材木」と「木材」、「効く」と「利く」。よく似た言葉を無意識に使ってしまっています。読者はどちらでも気にしないと思うのですが、より正しい日本語を選びたいもの。
▲これもよく似た「放す」と「離す」。自分では区別して使っていたつもりなのですが、やはり手抜かりがあったようです。
▲「輸入品=高級」という先入観による記述。たしかに、輸入品にも安いものはありますね。
▲「チーター=アフリカ」という、これも先入観。ただ、この作品は一人称なので、主人公がそう思っていれば、このままでもよいという気はします(結局、直しましたが)。
▲校閲さんの指摘どおり、事実としては「旅館の娘」と書くほうがより正確です。しかし、(これも指摘されているように)「私は客、彼女は仲居さん(=赤の他人)」とするほうが主人公の心情に近いので、このとおりにしました。
▲指摘のとおり、目はバケモノのほうへ向いているので、手にあたった「なにか」は見る余裕がなかったということです。「思わず、手のほうを見た。枕だった」としてもよいのでしょうが、シーンのリズム感に関わるため、じつに微妙な問題です。
▲作者も、そしておそらく読者もスルーしてしまうであろう表現。バケモノの息の根を完全には止めていないので「倒した」は不適切という指摘です。こういうのは、自分で何度読み返しても気づきません。
▲「さっき自分が飲んだのと同じミルクティーをヒロインが買っていた(=運命かも)」という意味の「!?」だったのですが、冷静な目で見ると驚くほどでもないようです。もちろん、校閲さん個人の感覚もあるでしょうが、ここはより無難な表現に改めました。
▲ここは日本語としては「是非」ではおかしいかもしれません。しかし、これは某人型決戦兵器が活躍するアニメのセリフから引用したものなので、そのままにしました。
▲この作品ではバケモノ退治に水鉄砲を使っています。銃口からは白い液体が飛び出るのですが、これは塩を溶かした水です。しかし、校閲さんの指摘のとおり、実際は塩水は白くはありません。察しのよい方はすでにお気づきのとおり、これはあるもののメタファーです。じつはこの作品がBLだったころに考えた設定だったのですが、それをそのまま残してあるというわけです。しかし、ガールズ・ラブに変更したことで、メタファーではなくなってしまいました。女子高生の主人公の顔にこの白い水がかかるシーンがありますが、もちろん深い意味はありません。
▲バケモノの外見がシーンごとに微妙に異なるという指摘。もともと「得体の知れないモノ」なので、見る人や状況によって見た目は変わる、というつもりなのですが、論理的には矛盾しているように感じられるわけです。要は雰囲気と論理性のどちらを優先するかということでしょう。
▲「幽霊みたいなバケモノが電話をかけられるのか」というご指摘。この作品における“幽霊”は、電話はもちろん、あるていど会話もできますし、電車も乗れます。そもそもこのバケモノとなった恋人は、地元・岐阜県から東京にやってきているのです。そういう設定でなかったとしたら、作者として「しまった!」とみずからの手落ちに気づかされたところでしょう。ですから、こういう疑問点を挙げていただくのは大切なことです。
▲ご指摘どおり、たしかに「いっぱい」とは言っていないのですが、妖しい感じを出すために、あえてこうしています(相手を動揺させるために、わざと言っているとも考えられます)。
▲主人公の高校教師・マヨの口調が乱暴という指摘です(正確には乱暴なところと、優しいところが混在しているという疑問)。もちろん、これは意図的なものです。校閲さんの言うとおり「状況と心境の変化」もありますが、ふだんマヨ先生は生徒に対して乱暴な口調(男勝りな性格)というキャラクター設定なのです。とはいえ、客観的に見るとそれが違和感を覚えるということなので、直そうかどうか一時は迷いました。しかし、これを「優しい口調」に統一してしまうと、緊迫感やシリアスな雰囲気が損なわれると考え、そのままにしました。
▲『天使の街〜ハルカ〜』では、主人公・ハルカが別世界に行きます。そこでは、マイナスの感情が消え、かつていじめられた経験も「たいしたことじゃない」と思えてしまう、という設定です。ここでは、ハルカ自身の経験について言っており、「いじめ」一般についてではないのですが、校閲さんの指摘どおり、人によっては不快に思うかもしれません。ということで、少し表現を改めました。
校閲さんにお願いする前の準備
さて、校閲さんに原稿を見ていただく前にどんな準備が必要なのでしょうか。実際に私がやったことを紹介していきます。
[1]自分で徹底的に見直す
「どうせ校閲さんに確認してもらうのだから、適当でいいや」という態度はさけたいもの。間違いだらけの完成度の低い原稿であっても、お仕事である以上、校閲さんはしっかり見てくれるでしょう。しかし、「誰でも気づく間違い」の指摘に忙殺されて、本来プロの目でないと気づかない部分を見逃してしまう可能性があります。
ですから、まずは自分で徹底的に見直して校正することは大切です。
どんなところに注意すべきかを思いつくまま挙げると──。
- 誤字脱字 これは最低限チェックしておきたい事項。誤りをゼロにするのは難しいが、それでも完成度を高める努力はしたい。
- 単語の選び方 自信があるものでも、もう一度、あらためて辞書を引いて、使い方が正しいか確認を。意味を誤解していることもある。
- 発言者やその相手 書いているときは正しくても、直しを入れたときに名前と発言者がズレることが結構ある。
- 時間・季節・方向 雨の日だったはずなのに夕暮れが見えたり、昼間のはずなのに星が見えたり。これも書いているときに間違えなくても、部分的に直しを入れたときに矛盾が生じやすい。
- 固有名詞 造語であっても、同じ作品内では統一したい。また、実在の名称を資料を参照しながら書いていても、その資料が間違っている場合があるので、複数の文献をあたるようにしたい。
[2]直しの方針を決める
校閲さんにお願いする場合、チェックの方針を伝える必要があります。
単純な誤字脱字や事実誤認を指摘してもらうのは簡単ですが、上記の実例で見ていただいたように、チェックポイントはそれだけではありません。とくに小説のように、書き手の意思が最大限尊重される刊行物の場合、その表現が作者の意図したものなのかそうでないかを見極めてもらう必要があります。
校閲は、原稿を評価・審査するためのものではなく、あくまで作品をよりよいものにする工程です。作者の方針をきっちり伝えることが必要なのです。
[3]資料を作る
校閲さんに渡したいのが以下のような資料です。
●統一表記表
「よい・良い」「いま・今」など、同じ言葉であっても、複数の表記のしかたあります。いったいどっちを使うのかをまとめたのが「統一表記表」です。
文芸作品では、あえて統一をせず、文脈によって変えることもあります。また、この統一表を校閲さん自身が作るケースもあるようです。
『天使の街』の場合は、全編を通して表記は統一し、また自分自身のチェックのために、統一表記表を自作しました。
実際に私が作った資料を下記にアップしておきますので、よろしければ参考にしてみてください。
●事実関係の資料
資料を参照しながら作品を書いた場合は、その現物やコピーを校閲さんに渡しておくのがベストです。
たとえば、『天使の街〜マヨ〜』は、郡上八幡など実在の街を舞台にしているため、観光名所なども実際の名称が登場します。それが正しいかどうか確認するための資料(雑誌や観光パンフレットなど)を校閲さんに渡しておくわけです。
ただし、今回はコストや時間の関係から「事実確認は不要」としてお願いしたので、事実関係の資料は提供しませんでした。
校閲さんに依頼
『天使の街』の校閲は、鴎来堂さんにお願いしました。
出版社の書籍を手がけている会社ですが、個人からの依頼も受けていただけるとのことで依頼することにしました。
会社を訪ねると、社長の柳下さん直々にご対応いただきました。上記の資料を提示しながら、チェックの方針をお伝えしました。
『天使の街〜ハルカ〜』『天使の街〜マヨ〜』合わせて約800ページあったので、約3週間ほどチェックの時間がかかりました(ちなみに、2冊はストーリーがリンクしているため、同じ方にお願いしました。ちがう方と分担すればもっと早く仕上がったと思います)。
セルフ・パブリッシングで校閲さんにお願いすべきか
──これはなかなか難しい問題です。
自分で何度も見直すことで、かなりの完成度までもっていくことはできます。また、プロの校正者でなくても、第三者に読んでもらうことで、致命的な誤りは発見できるでしょう。上記の実例で見ていただいたように、読者がふつうに読んでいれば、気づかないものも多くあります。
これまでご紹介した主題歌やナレーションとは異なり、校閲さんに依頼することそれ自体は娯楽として楽しめるものではありません。それなりに費用もかかります。
だから、セルフ・パブリッシングにおいて校閲さんに依頼する意義は、作品の完成度にどのくらいこだわりを持つか──。これに尽きると思います。
誰にでもおすすめするわけではないのですが、プロの校正者がどこをチェックしているか、その一端をご紹介しましたので、今後の判断材料にしていただければ幸いです。