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北沢かえるの働けば自由になる日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2014-06-18 Answer And Answer

「はじまったんだ、なに言ってんだ」

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深夜、『バリバラ』を見ていたら、娘が起きてきた。

今日のテーマは『出生前診断』で、こんな内容。

去年4月、妊婦の血液を調べるだけで胎児に染色体の変化があるか判定できるという新しい出生前検査が始まった。シリーズ第二回は“ダウン症のイケメン”こと、あべけん太さんが、将来子どもを持つ可能性がある大学生たちに、出生前検査について特別授業を行う。

NHK バリバラ|今までのバリバラ

あべさんが、大学生たちにいろいろと問いかけるんだけど、ちぐはぐになった部分も含めて、この授業は良かったなと思った。

特にハッとしたのは、ディレクターさんの言った

「こんな重大な話なのに、なんで、ダウン症の人から話を聞いていないんだろう?」

ってことで。

私も固定観念にとらわれていたんだけど、あべさんの話を聞いているうちに、恥ずかしくなった。彼らなんかに聞いても、意見出てこないんじゃないの。って世の中もたかくくっているところあるよね。だから、あべさんの意見を聞けて良かったと思った。

「友だちを作れます」

とあべさんが自分の特技を何度も言っていたが、いやぁ、これこそ、うらやましいところだよ。

人の懐に飛び込めないし、人を受け入れ難いって子も大勢いるからねぇ。

自信を持って、特技は友だち作り。って言えるかい?

学生たちは笑っていたけれど、あべさんみたいに、愛される態度がとれるし、相手を愛するって態度をすぐに出せるってのは、相当高度なことなんだけどね。


「お母さん、次に産むなら、検査受ける?」と娘。

「いや、受けない」

「なんで? 便利だよ、いろんな病気が生まれる前にわかるんだよ」

「いや、現状、出生前検査でわかる病気は限られているんだよ。わかる病気のひとつ、ダウン症が特に標的にされていて、まるで、わかったら産むなみたいな感じになってるのが、すごくイヤなんだよ」

「え、わからないの?」

「出演者の中で、座ってクネクネしている玉木さんは、脳性まひだけれど、あれは、産まれるまでわからないことも多いね」

「そうなんだ」

「他にもいろいろな病気があって、体の部分がおかしいのならば、おなかの中にいるうちにわかるんだけどね。脳機能に問題がある自閉症スペクトラムとかは、産まれてすぐはわからないねぇ。だから、子どもの健康のリスクを排除するという意味では、極極一部を排除できるレベルなんだよ」


実情は結構深刻で、ダウン症の子のお母さんが、

「診断受ければよかったのに」

って言われたって聞いて……それが親切心からだったりするから、根が深いよねなんて話もしたこともある。

まぁ、ホントに、学生たちの発言を聞けば、その程度の認識なんだろうなぁ、

ダウン症の子だって、そんなに不幸じゃないってば。

あべさんのお父さんもその学生との対話の場に来てくれていて、率直な話をしてくれた。その愛と気遣いがあふれる言葉にちょっと泣けたんだが。

まぁ、なんやかやで、聞いているうちに、学生たちもいろいろ悩んでくれるようにはなったようだ。簡単に「検査を受けて、産まない」と言って欲しくはないんだよね〜。それが当然として欲しくないんだよね〜、せめて。

上のリンク先に、番組終了後の出演者の声がいくつか紹介されている。以下のディレクターの言葉のように、簡単じゃない話だから。ぜひ、どうぞ。

「ふだんのバリバラも、もちろんいろんなひとに考えてもらいたい、と思って作っているわけなんですけど、今回のテーマは唐突にいろんなひとが当事者になる、という問題だったんですよね。障害者とその周りにいるひとたちだけの問題じゃないんですよね。明日、ダウン症のことを考え始めないといけないかもしれない、というところなんですよね」


でもって、見ていた娘が言ってきた。

「お母さんが、もしも、検査を受けて、ダウン症だってわかっても、産んだ?」

「うーーん、産んだだろうね」

「え、排除できる障害ならば、排除するのが最適なんじゃないの?」

「そう考えればそうなんだけれど、お父さんとお母さんはそうは考えないから」

「わかったら、産まれない方がいいんじゃないの? 育てるの大変だよ」

「お父さんとよく話していたのは、『世の中には選べる選択と、選べない選択があって、ほとんどのことは、選べない選択で、受け入れるしかないんだけれど、いくつかは選べるから、まるで人間は自分の意志で決められるのが当然と受け止めているけれど、実はそうでもないんだな』ってことだな」

「なんだか、よくわからないよ」

「まぁ、出生前診断は選択の機会のように思うが、どんな子どもが産まれるかは、選べない選択でしょ。その決まってしまった選択をひっくり返していいのだろうか。やはり、他でもなく私たちを選んで産まれてきた子なんだとしたら、それは受け入れるべきじゃないだろうかって感じかな」

「神様の仰せの通りみたいなこと?」

「そうだね。キリスト教的な考えに近いね。それぞれが神様が与えた才能を最大限に生かして生きてくことを望まれているわけだから、その才能やその子自体の価値を人間が判断してはいけないってことかな」

「うーーん、でも、実際、大変でしょ、私は無理だな」

「だから、出生前検査をするし、やっぱり育てられないって思う人がいることは否定しないよ。その人はその人の考えで生きていけばいい。でも、お父さんとはそう決めた」

「そうか、でも、これは「できる選択」でしょ。ならば、やらないよりは、やった方がいいんじゃない。私が私立中学を選んだみたいに、生き方を選ぶってことでしょ?」

「でも、子どもは学校選びとは違うから。学校は、今いる学校がダメでも、別の学校に通えばいいし、やり直しができるでしょ。でも、検査をクリアして元気に育った子でも、どんな病気にかかるかわからないし、どんな事故に遭うかわからない。そうなったときに『あっちの子を残しておけばよかった』と中絶した子をとりもどせるか? とりもどせるわけないから、みんな悩むし、慎重になるんだよ」

「ふーん、難しいね」

「選んだつもりが、選んでいない。人はみな決まった道を歩いているんだよ」

「あぁ、神様のご計画だねw」

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