「ナチスの残党」の意味でも用いられる「ラスト・バタリオン」を冠した本書は、第2次世界大戦終結「後」から1968年まで続いた「蒋介石と日本軍人たち」の物語である。
戦争終結当時、国民党政権は「以徳報怨」政策の下で、中国大陸にいた百万を超える日本の軍人たちの日本帰還を進める一方、彼らを参謀として、また技術者として留用しようとした。これは共産党も同様だった。蒋介石は、支那派遣軍総司令官だった岡村寧次を戦犯として処罰せずに側に置いただけでなく、台湾に撤退する前後には、日本に帰国した岡村の斡旋(あっせん)で日本の軍人たちを集め、参謀として、また軍人教育に当たる人員として雇用した。その集団はリーダーの富田直亮の中国語名・白鴻亮から、「白団」と呼ばれる。本書は研究書ではないが、その「白団」をめぐる歴史研究のひとつの到達点を示していると言って良い。
従来、白団については資料的制約により解明が進まなかったが、著者は新たな資料を用い、この課題の多くを克服した。重要なのは、蒋介石日記や国史館の文書を用いただけでなく、これまで主に回想録などしかなかった日本側の動向について、戸梶金次郎日記を用い、また数名の生存者や遺族にインタビューをおこない、白団の人々の内面から白団史を描くことに本書は成功している。そして、白団の後方支援組織だった富士倶楽部の集めた蔵書や資料を国防大学図書館で確認したことも、大変重要な貢献である。さらに、帰国してからの白団の軍人たちの足跡や、資料公開に対する動向を扱ったことで、これまで「資料的制約」があったことの背景を浮き彫りにしている。
白団の性格をめぐる議論も注目に値する。台湾に撤退した蒋介石が、出身地別の陸軍の派閥を解体し、まさに国軍としてまとめあげる際に、この日本人の集団である白団を利用した、という説明は重要だろう。また、昨今話題になる49年の金門島で発生した国共両軍の戦争である古寧頭戦役での根本博の役割について限定的な解釈をしている点も、今後議論に値するだろう。
惜しむらくは、小さな誤記が散見されることである。たとえば台湾のナショナル・アーカイブスは国史館ではなく、強いて言えば国家档案管理局だし、終戦当時の蒋介石の以徳報怨演説は南京では無く重慶から発せられた。だが、これらは本書の意義を損ねるものではない。戦後の東アジア冷戦史と、そこへの日本の関わりを知る上で、本書は必読の一書となるであろう。
(東京大学准教授 川島 真)
[日本経済新聞朝刊2014年6月15日付]
野嶋剛
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