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佐々木信吾なる者の、妄乱行為についてはログが流れるのがもったいないので、佐々木信吾と名乗る妄乱行為はすべて削除した。じっくりと投稿記事を点検してほしいからである。
なお、この「佐々木」の投稿はリモホを隠して投稿をしてきた。つまり、自分のリモホを晒すと面が割れるからである。私の知っているリモホの持ち主なのだろう。はっきり云うが完璧な「ネットホリッカー」である。
だいたい、私は今までネットじょうの議論にせよ、勝負にこだわったことなどただの一度もない。ところが「勝負」のみにこだわっている有名な人物がいる。所詮私とは住む世界が違うのだ。
私が比較的平常心で掲示板に書き込めるのは、若いころカルチャーセンターで「セルフコントロール」の仕法を学んだからである。「(爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン」なんつうのは、すべて綿密に計算して割り出された文章である。
その理由は、数で勝負したらとうてい創価学会員には勝てないから投稿意欲を減殺し、かつ対手の妄乱を引き出す高等戦術であったのだ。(笑)、
いつぞやはかの有名な「FS研」で五十人の学会員と五十の論題で議論をしたことがあったが、全部叩き返したことがあったが、あれはたいへんだった。(笑)、
これを、見抜いた奴がひとりいる。波木井坊竜尊である。(笑)、彼は私の方策を見抜いていたのだ。セルフコントロールとは要するに「マインドコントロール」の逆であり、自らの心理を自らコントロールして洗脳には染まらないという技術である。だから私には「信仰心」が無いのである。
今回、たかぼん氏は自分のHP以外のサイトとは縁を切った。つまりこれから先〝尻研〟の知恵遅れ集団はひとりでモニターの上で〝狂い舞う〟のである。永遠にナ。(笑)、
仏法寺の吉田御住職の厳正なる処断はまったく正しい御指導なのである。私が気になって嗅ぎ回るのは既に私に縛られているということが理解出来ない愚か者の現証であるのだ。
私であれば、別に森や松永を憎んではおらんぞ。かって述べたように私は若い頃から佐賀潜氏の民法入門や刑法入門でこれらの法令にある程度というか、逆返しの方法は知っていた。森くんは残念なことに民法というのは権利の取得であるという基本的な理念を知らなかったのである。
あちこちの掲示板が気になり、2チャンが気になり、そんなものに振り回される人生などつまらんと思わんか。ネットが気になってしかたがない、というのはネットに縛られていることであり、人生の一部に負荷をかけてムダな時間とムダな空間を作り出して埋没しているのである。
頭に血が昇って正常な判断が出来なくなることを大狂乱とも妄乱とも云うのである。だから誤字脱字のオンパレードとなり支離滅裂な文章にしあがってしまうのである。
お酒を美味しく楽しんで飲むか、酒に飲まれてアルコール中毒になり果ては精神病院の患者になるかは自分の心理をうまくコントロール出来るかどうかにかかっている。
森のように宗務院にガセネタをぶち込んで宗内をひっかきまわし、坊さんたちが飛行機で走り回って真相を知る。自分たちは飛行機で空転していると悟ったとき、ネット関連のネタには見向きもしなくなってくる。
昨年の夏頃、日正寺の幹部で友人のMさんから電話があり、是非とも会いたいというので何かと思ったら、私の「早瀬道寧の二枚舌説法」の全文が書かれた文書を見せられた。この全文はまだ「 http://6210.teacup.com/kekeke/bbs 」にある。
北海道の「二階堂宏幸」という人物からのたれ込み文で、私を正宗から追放するために、早瀬法主、八木総監、宗務院六部長、早瀬道寧氏、妙観講の大草氏の計十箇所に送付したものである。だが、宗務院は何の動きも見せなかった。
この情報は、私はたかぼん氏と神奈川の法華講員にしか知らせていない。たかぼん氏の洞察は見事な判断であった。たかぼん氏は「何も起こりませんねむだでしょう」と判断した。この洞察は正しい。
おそらく私は行方不明の〝不明講員〟ということになっていると思う。これが常識的な〝世間の智慧〟である。これで宗務院も余計な動きを迫られずに、すむのである。これが常識人の判断ということである。
おそらくこれ以降は宗務院にネット関連のネタをたれ込んでも相手にされることはないだろう。このようなことを「世間の常識」というのである。
人間は静かに内省することが大事である。頭に血が昇った状態で走り回っても記録は生まれない。結跏趺坐して手に印形を結び仏の世界へと瑜伽の修行を試みることも良いし、静かにお題目を唱えて大曼陀羅の世界を感じ取ることもよい。
お念仏で・・・・・これは暗いのう。二宮和也さんの「GANTZ」で、大仏が攻撃してくるシーンは不気味でしたナ。(笑)、
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