HOME > コラム > 世迷言
世迷言

◆日付
◆キーワード


☆★☆★2014年06月18日付

 自動車というものが生まれて以来これは人類の夢だったろうが、その夢が一歩近づいた感があるのが、米グーグル社が試作した自動運転の無人自動車。その実用化がはたして可能なのかどうか昨日の読売新聞が専門家の意見を聞いていた。さてなるか?自動車ロボット▼群を抜くIT技術革新で次々と世界を驚かせているグーグル社が異分野の自動車にまで参入するというのは一見意外だが、その実、なんら意外でないのはこの社のずば抜けた技術開発力とチャレンジ精神がすでにジャンルを問わぬ数々の発明を実現させているからである▼インターネットの検索サイトから始まった同社のIT技術がいかに現実離れをしたものかを示したのがグーグルマップに代表される地図の多岐多様化である。その会社が先月公開したのが、運転席のない無人自動車で、動画で見るそれはまさに透明人間が運転するロボットさながらだ▼記事では、この道の権威である東京大学の須田義大教授がこの車を見てショックを受け、日本も従来のような段階的な開発ではなくもっと大胆な構想に本気で取り組む必要があることを指摘していたが、はたして日本にはこうした発想を育てる土壌があるかどうかはともかく、夢を夢に終わらせない時代が来ていることは確かだ▼無人走行自動車を実現させるためには膨大なインフラが必要だが、一つの道筋が示されれば発展可能性は無限に広がっていくはずであり、もしかしたら小欄が生きている極く近未来に驚く進化が見られるかも知れないのだ。

☆★☆★2014年06月17日付

 どういう頭脳構造をしているのか一度中身をのぞいてみたいものである。自国を悪しざまにけなす人種のことだ。アフガン、イラク、シリア、ウクライナ等々紛争に苦しむ国々の国民にとっては信じがたいことだろうが、こういうのを罰当たりというのだろう▼産経新聞の昨日付に各国の特派記者が交代で書いているコラム欄がある。興味を持った記事をそのつど何度も紹介したが、昨日の「違法集会に出る日本人」という記者のコラムには心底同感し、同様憤りを覚えてならなかった。韓国・ソウルの日本大使館前で毎週水曜日に行われる慰安婦問題追及集会に日本からも参加者があるというのだから▼この集会は日本統治時代に慰安婦だった女性を担ぎ出して日本政府に国家的賠償を要求する団体が開いており、本来は大使館前でこのようなデモや集会は規制されているのだが、韓国政府が見て見ぬ振りをしているのは、慰安婦を象徴する少女像が作られそれが公道を占有していても撤去されないことからも明らか▼この違法な定例集会が放置されてもそれが国の方針なら仕方がないが、その集会にここ数週間立て続けに日本から婦人団体、元判事、国立大学の学者らが参加したという点、記者は日本社会にはこの問題への賛同者が多いという誤ったメッセージを与えるのではないかと憤る▼だが、連中はそんなメッセージを与えにわざわざ出かけたのであろう。日本は反省しない国、ダメな国と非難するのは勝手だが、そんなに嫌な国ならどうぞそのままご滞在を。

☆★☆★2014年06月15日付

 どこでどう歯車がかみあわなくなったのか、日本が得意としてきたものづくりの代表選手ともいうべきパナソニック(旧松下グループ)とソニーの凋落を他人事とは思えず、不死鳥のように蘇ることを願うこの頃である▼シャープも含めたこのエレクトロニクス三強のかっての栄光を知っていればこそ、応援団としては一抹のさびしさを禁じ得ないのである。その思いは日本人に共通らしく、ジャーナリストの川端寛氏が「ソニー、パナソニック切り売り経営の限界」という論考を文藝春秋に書いていて大いに同感した▼テレビ事業などで巨額赤字に苦しんでいるパナソニックとソニーに2年前揃って50代のトップが誕生したが、この2人がはたしてそれぞれの社の「救世主」となったかという疑問に対し、氏はかなり悲観的だ。それは赤字からの脱却のために人を減らし、資産を売却するような後ろ向き経営から何が生まれるかという至極もっともな理由からだ▼2社とも不採算部門を切り捨て、ぜい肉を落とし、そこから新たな展開を目指す「スクラップ・アンド・ビルド」が必要なのだが、現在の路線は「スクラップ・アンド・スクラップ」の「縮む経営」にとどまっていると氏は指摘し、先を見据えた経営の模範例としてオランダのフィリップスを挙げる▼4つの剃り口を持つ独特のシェーバーを当方は10年以上も使い続けているが故障もなく、切れ味もそのままだ。それが「信頼性」につながる。この2社とも地力があるのだから、必ず復活すると信じたい。

☆★☆★2014年06月14日付

 絶滅の恐れがある野生動物、つまり絶滅危惧種にニホンウナギが分類されたというのは、ウナギ好きにかけては世界一の日本民族にとって実にショッキングなことである。しかしこれは種の保存のために必要な措置と受けとめ、自然の増殖に努めるべきだろう▼日本の親ウナギ漁獲量は昭和56年の1920dが平成23年には229dに激減している。なにせ稚魚のシラスウナギの漁獲量が過去30年で90%以上も減っており、このままでは絶滅しかねないというおそれは決して杞憂ではない。そのためにも稚魚の漁獲制限は不可避だし、完全養殖の研究、実用化促進も急務だろう。なにせ「ウナギならでは夜の明けぬ国」だから▼ニホンウナギの激減は、原因として乱獲や生息地の破壊、海流の変化などさまざま挙げられているが、世界中が養殖をするようになって稚魚が減ったことが最大だろう。小欄が小中学生の頃はウナギといえば天然物のことだった。父親と毎日ウナギどう(篭)をかけて朝早くそれを引き上げるのが楽しみだった▼どう2本で12匹を漁獲したのが最高だったが、河口の護岸なども石組みだったからウナギの格好の宿となり、釣りもできたものである。確かに河床のコンクリート化などで魚道が壊された面もあろうが、農薬の乱用が魚種を減らしたことも見逃せない▼その反省から農薬使用が減り、ホタルやイナゴが戻ってくるようになった。条件はウナギにとっても同じだろう。当面稚魚の増殖もさることながら輸入規制なども検討の要があるまいか。

☆★☆★2014年06月13日付

 新聞各紙にはそれぞれのタイトルで首相の一日の動静が報じられているが、それを見ると毎日が分刻みのスケジュールで、首相という職務がいかに激務であるかを知る。各界の要人、市井人を問わずこれだけ多くの人と会うというのは首相の秘めた覚悟がしのばれて、いやでも本気度が伝わって来まいか▼この動静を眺めただけで第三者ですら気が重くなるほど面会をこなし各種会議に出席するのは精神的にも肉体的にも大変な負担だろう。一日に3回も予定が入るとそれだけでも滅入ってくるようなものぐさ人間にはとても考えられないような超ハードスケジュールである▼加えてめまぐるしいほど海外に飛び、帰国すれば休む間もなく次なる予定をこなしていくそのパワーがいつの間についたのか、第1次政権の途中降板が持病のせいだっただけに、果たして大丈夫なのだろうかと気がかりになるほどだが、週刊誌などにさんざん書き立てられている割にはきわめて元気で、健康とは意思力と密接な関係にあるのかもしれない▼第2次安倍政権は厄介な問題をこなしながら支持率も高く、中韓や米国の一部から「右傾内閣」と警戒されながら、アジアや欧州からはその「積極平和主義」外交は高く評価されている。それは自国と世界平和のために言動を一致させているからこそだろう▼集団的自衛権の行使についても首相は背水の陣で実現に臨む構えであり、その気魄が横溢していればこそ、野党は一目置かざるを得ない。日本はやっとまともな首相を得たのである。

☆★☆★2014年06月12日付

 「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ藤原道長同様わが世を謳歌していたものが、ある日突然歯車が狂い司直から追われる身となったのも有為転変、世のならいというものなのに、こちらの道長は逃げて逃げてさらに恥の上塗りをする積もりらしい▼韓国の旅客船セウォル号の沈没事故を起こした運航会社、清海鎮海運の実質的オーナーである愈炳彦容疑者(73)が密航をあっせんするブローカーに成功報酬としてなんと100億ウォン(約10億555万円)もの巨額を提示していたことを司法当局が把握していたと韓国のメディアが伝えている▼この事故は、違法ともいえる船体の改造を行い、積み荷の固定など運航上の安全確保を怠っていたばかりか、過積載なども日常化していたその経営体質が引き起こした疑いが濃厚で、経営者がその罪を問われたならば日本では誰であろうと深く謝罪し、潔く縛につくところだが、韓国では事情が異なるようだ▼事故後、愈容疑者は一度も現場に顔を出さぬどころか、すぐさま逃亡を図ったらしくいまだ捜査網をかいくぐったまま。ということは外国に逃れたと見るのが自然で、そのためにも100億ウォンという逃亡工作資金が使われてもおかしくない。なにしろ新興宗教の教祖でもあり、ふところも望月の身である▼だが、どこへ逃れようとやがて逮捕はまぬがれず、罪はさらに重くなるばかり。その前に人間としての名誉を失い、卑劣な人間として扱われる苦痛の方が大であろうに。

☆★☆★2014年06月11日付

 碁石海岸が一部イメージチェンジしたというので、近くに寄った際足を運んでみた。あらら、ここ何十年とあまり変わらなかったこの名所がここ一年足らずでこうも化けるとは。今様浦島太郎の気分になった▼このイメチェン≠ヘ震災後、環境省が地域資源を生かして復興を後押ししようと昨年から進めていたもので、「グリーン復興ビジョン」と銘打ったこの計画に基づいて、乱暴谷と雷岩付近にウッドデッキの展望台が設置されたのをはじめ、従来のキャンプ場の自動車対応化、インフォメーションセンターやトイレ・シャワー棟、木質バイオマスのチップボイラー、ソーラ発電機などの整備が行われた▼これまでは「通過型」だった同海岸だったが、オートキャンプ場のような自動車対応サイトが16カ所設けられて、アウトドアライフを楽しめるようになったのは一大変化だろう。バーベキューの炉や水道、シンクなどがあるので、家族や仲間でのパーティーが楽しめる▼展望台のウッドデッキも気がきいている。かつて同海岸で喫茶店を営んでいて火事に遭い、次は移転先の高田町で津波に遭ってまた店を失いながら再び同地で再起を果たした冨山勝敏さんが碁石海岸にデッキの回廊を造ろうと夢見ていたことを思い出した▼そのスケールには遠く及ばないが、デッキは確かに風情があっていい。同海岸を「滞在型」にするには相当大型の投資が必要だが、しかし「千里の道も一歩から」と言う。そういう意味で環境省は格好のプレゼントをしてくれたことになる。

☆★☆★2014年06月10日付

 東日本大震災で壊滅的被害を受けた陸前高田市にあって、中心部の市街地とは別の痛々しい惨状を見せていた小友町の水田地帯を久しぶりに訪れたら、田植えが終わったばかりの瑞々しい光景が広がっていて、ああここはまさしく日本なのだと鮮烈な感情がこみ上げてきた▼震災後、同町や広田町を訪れる機会が震災以前より多くなったのは、諸事情による必然だったが、一体すべてががれきに覆われていたものが、やがて復旧のための道路整備やかさ上げのための土砂、資材などが持ち込まれ作業車がせわしく往来するようになって、景色は少しずつ変わってきた▼それでも大勢のボランティアなどが水田の中から一つひとつ異物を拾い上げている様子を端から眺めていると、面積が面積だけに元のような水田が蘇るのには相当の年月が必要だろうと多少悲観的になるのはやむを得ないものがあった。なにせ水田が広がる平坦地の両側から波が襲いそれが中央部でぶつかり巨大な水柱があがった場所である▼見るも無惨な状態にあったその水田がなんと見事に、しかも土地改良によって以前より整然と区画されて蘇り、そこに植えられたばかりの苗が行と列を作っているのは一種の水墨画のように見えた。それがそぼふる雨に打たれながらもまるで喜びをたたえているかのよう▼個々での復旧ではなく、共同で新たな水田経営法を編み出した地元の不撓不屈の精神がうかがえて正直うれしくなった。あんな大災害にもめげずここまで再起した日本人の精神力はすごい。

☆★☆★2014年06月08日付

 天安門事件が起きてから今年で25周年になる。事件を報じる当時の映像が脳裏にまだ生々しく刻まれているのは大変な衝撃だったからである。いま日本という国で自由を謳歌できるしあわせに感謝しながら、中国の民衆が同じような境遇を手に入れる日の一日も早い訪れを願わずにいられない▼あの時の象徴的な映像は、戦車の前進を止めようと立ちすくむ青年の姿だった。鎮圧にかかる軍隊に立ち向かう1人の青年の生命がその後どうなったかは分からないが、自由を手にいれるためにここまでできる勇気を自分は持っているだろうかと考えると、おそらく尻込みしているだろう▼天安門広場に集まったおびただしい数の群衆が自由と平和を希求して心から雄叫びを上げたのは事実だろうが、戦車に蹴散らされながら踏みとどまったのはごく一部だったはずである。その一部の心情を思いやるとまことに切ないものがあるが、その勇気ある一団の中に自分の姿を見いだせないのは、現在の自由は自分も含めた日本国民が自ら勝ち取ったものではないからかもしれない▼占領軍によって与えられた自由であっても、これはありがたい贈り物であり、その僥倖を改めてかみしめながら、しかし自由も平和も絶対に永遠で不朽なものではないことを肝に銘じたいと思う。それを奪うのはその享受者たる日本国民ではなく、外部の力だからである▼だからこそ、日本は自らは自らで守るという覚悟と用意を怠ってはなるまい。小欄が右傾をもって任じるのはそう信じるからこそだ。

☆★☆★2014年06月07日付

 これは意外というべきかそれともやっぱりというべきか、政界の動きは常人の神経をもって推し量ることのできないことを改めて知らされた。それにしてもマスメディアの読みの浅いこと▼日本維新の会が、結いの党との合流をめぐってあっけなく分党と決まり、従来通り橋下代表の下で維新の会にとどまるか、あるいは石原代表の新党にはせ参じるかという岐路を問われて、衆参62人を擁していた維新の会は橋下氏側に37人がとどまり、石原氏側に23人が移籍、残る2人が当面無所属を通すことになった▼意外というのは、分党が決まった時点で石原氏側に集まるのはせいぜい15人という予想だったものが、8人も多くなったことで、これはメディアの分析が甘かったという他はない。81歳という高齢にもかかわらずなお意気軒高の石原氏だが、政治家としての賞味期限≠ヘとっくに切れている。だからこそ15人という数字は石原氏との血盟関係≠フ線ではじき出された数字だったろう▼ところがどっこい。8人も上回る結果となったことについて読売新聞が「自民党との連携に前向きなことや…」と書いているように、自民党との連立も視野に入れている石原新党のそこに引かれて表層雪崩が起きたと考えてもおかしくはない。意外とやっぱりとは相反する概念だが、融通無碍の政界では通じない▼自民党との対立軸を示せる野党を結集したいという橋下代表の構想はやや後退し、さらにじり貧になっていく可能性なしとしない。きれい事だけで済まぬのが政治か。


| 次のページへ >>