早川タダノリ @hayakawa2600 ·
会社の帰りに、近所の小さな本屋さんによったら、すごくよぼよぼっとしたおじいさんが『WiLL』を買っていった。あっここにも「歴史戦士」がいる!と思った。『WiLL』とか『正論』の読者欄は、一昔前の『ムー』の読者欄のように、「歴史戦士」たちの社交場になってんだろうなーと思うと胸熱。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
大昔、産経新聞の読者投稿欄の手紙を毎日20〜30通読んでからまともなものだけを論説のお爺さんに渡す係してましたので、そのキチガ・・・その戦士ぶりは吐くほど知ってます。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
日本語として判読できるかどうかでまず半分がゴミ箱行き。長すぎるのもゴミ箱行き。「戦時中のこと書いたものはもういらんから」と言われたので残りのまた半分がゴミ箱行き。潰えていく戦士、ちょっと気の毒だったなぁ。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
「なんでもかんでも持ってくんなよ! 君は日本語読めるんだろう」って論説のお爺さんに怒鳴られてから自分で全部読むようにしたのですが、あれはいい経験だったなぁ。ボケとウヨと軍事マニアと戦中懐古のミクスチャーを毎朝ながし読み。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
ふらっふらの字で完全に自分の妄想ばかりを書き綴ったお婆さんの手紙がほとんど毎日きてたんだけど、ある日とつぜん来なくなってすごい心配になった。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
常連さんがいて、それはどうしたら掲載されるのかちゃんとわかってる。彼らは軍国主義なりの理知を持っている。これ以上だと掲載されないなってセーブしてる感じがする。彼らとはきっと会話できる。やばいのは掲載されないゴミ箱行きの人たち。
on Quixote 3001 @DonQuixote3001
彼らにSNSや2ちゃんがあったらそりゃもう書きまくっただろうね。そしておそろしいことに、理知の破片も話を聞いてもらおうという修辞も書かれている内容の客観性もないゴミ箱行きの投書と同じクオリティのものが、今は新聞記事と等価で流通しちゃう。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
それどころか「新聞は嘘つき」とか言うからすごいよね。インターネットは人民に力を与えると昔本気で考えて今の仕事選んだけど、まさかこうなるとは思わなかった。誰かが言っていたが昔は自動的に「インターネット性善説」をとってた、みんな。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
「インターネットはメディアを破壊するメディアだ」とか考えてユニックス万歳! オープンソース万歳! って思って『伽藍とバザール』とか愛読してオライリー教にも入信したけど、まさかこんなメディア破壊方法とは思ってなかった。かつて投書を選別していた自分自身の感覚が、今や信じられない。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
産経とは言えお世話になった会社なのであまり細部を書くのは差し控えるけど、「歴史戦士」のトンデモ歴史解釈の基本にあるのは歴史修正主義者と同じ要求で、それは結局すさまじいまでの「自己承認欲求」なんだと思う。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
一流大学の一流の学者と歴史について討論することが彼らの最大の歓びであって、歴史修正は実は二の次なんだと思うのです。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
軍国主義賛美の投書をする人にもそれが言えるような気がしました。歴史を修正するつもりはほとんどなく、彼らの戦争に関する結晶化した記憶が正しかったということに、どうしても権威付けがほしいだけなんじゃないか、と。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
権威付けをするためにかつては大新聞にせっせと投書をおくっておったのだけど、今は名のある学者や知識人や有名人に反論をメンションするだけで自分自身の権威はあがるわけですよ。かつての歴史修正主義者が果敢にヴィダル・ナケなんかに論争を迫ったのの現代版。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
だから歴史家のデボラ・リプシュタットなんかは絶対に修正主義者とは対談しないと明言していた。歴史家と修正主義者がテレビで討論をする場面を見た何も知らない視聴者は「ははあ、歴史家には保守的なアカデミシャンと革新的な修正主義者とがいるんだな」と考えてしまう。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
彼らにしてみれば、ヴィダル・ナケやリプシュタット博士と同等に討論することがすでに勝ちであるから。その時、その内容はもはやどうでもいい。自分は偉大な歴史家と正面から戦った、そのことがメディアに取りあげられた、という歓びでいっぱいだから。
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
歴史家のリプシュタットは書いている。
”プロデューサーは怪訝な顔をした。私が、全国ネットのテレビ番組に出演するという絶好の機会を断ったのが、彼女には信じられないのである。「でも、あなたはこの問題をテーマに本をお書きになっている。大きな宣伝になると思うのですが」”
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
”私は、ホロコースト否定者との論争には参加しないことを繰り返し説明した。ホロコーストが有ったか無かったかは、私にとって論争の対象になりえない。彼らと一緒に画面に出るつもりはない。”
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
”プロデューサーは、私の決心を変えようと、最後のひと押しをした。「私は、彼らの言い分には賛成しないわ。でも視聴者は、もう一方の見解も聞く必要があるとは思わない?」”
Don Quixote 3001 @DonQuixote3001
歴史には「もういっぽうの意見」はないし、レイシズムにもない。昨日のニューズウィークはこのTVプロディーサーと同じミスを(さらに醜悪な態度で)おかしている。論争の可能性もないしもう一方もないし、中立という夢の舞台もない。