くろねこ日記

心の深淵を綴ります。




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僕は寂しい人間である。

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僕は寂しい人間である。


こんな暗いブログを書いている時点で、言わずもがな、というか、何を今更、といった感じかもしれないけれど。あるいは、ナンパなどしている時点で、寂しい人間であることは自明なのであって、敢えてここで改めて書くようなことでもないのかもしれないけれど。

世間はサッカーのワールドカップで盛り上がっているようだ。でも、僕は全然興味を持てない。

W杯日本戦「何で見てないの?特集」 とくダネ!に「非国民扱いするな」と非難轟轟 (J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース

自分自身が運動音痴なのもあって、スポーツ全般に興味がない上に、そもそもテレビを持ってすらいないから、例え試合を観たいと思ったとしても、観ることさえもできない。かといって、1万円近くするブルーのユニフォームを着て、フェイスペイントをして、仲間と、あるいはその場にいる知らない人たちと、スポーツバーみたいな所で飲みながら、騒ぎながらサッカーを観るようなことも、まずありえない。試合が終わった後に、渋谷のスクランブル交差点でお祭り騒ぎをしている人達の気持ちも、正直よく分からない。

ああやって分かりやすく世間に流されている人たちも好きにはなれないし、そうやって流されて楽しんでいる人たちに、どこか引け目を感じてしまっているような自分のことも好きにはなれない。そういったものを斜に構えて遠くから見ているということは、つまりそういうことなのだろう。一体どうすれば良いのだろうか。僕は寂しい人間である。

人は群れる。人は社会的な動物で、群れることで、集団を作ることで、コミュニティ、社会を形成する生き物だから、それは当然のことであるし、悪いことではない。でも、なんでそこまで群れる必要があるのだろう、と僕は考えてしまう。皆、無駄に群れているような。弱いもの同士が集まって、馴れ合って、傷の舐め合いをしているような。そんな風に見えてしまうのは、僕の眼が濁っているからなのだろうか。勿論、全ての人の集まりがそうだとは思わないけれど。

寂しいのか、不安なのか、はたまた暇なだけなのか。どこに行っても、同じような人同士が集まって、コミュニティを形成する。馴染めない人は弾き出されるし、そこに価値がないと思った人は離れていく。そうして、構成員は均質化されていく。なんだか、よく分からない。でも、そうやって集まっている人達は、ちょっと楽しそうにも見える。充実しているようにも見える。実際のところ、どうなのかは分からないけれど、やはり、どこか羨ましいというか、日々を楽しく過ごしていそうな人たちに対して、引け目を感じてしまっている自分がいる。結局のところ、僕は寂しい人間である。

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僕の生活は極めて地味で、単調だ。それをこれまで何年も繰り返してきたし、今後もまた、繰り返していくのだろうと思う。朝起きて、スーツに着替えて、自宅から徒歩数分のところにある職場に行く。殆どルーティンワークに近い仕事をこなして、大体は定時で退社する。スーパーやコンビニで、サラダやおかずを買って帰る。一日の半分は職場にいるけれど、残りの半分は部屋でひとりで過ごす。たまに、予定があることもあるけれど、ナンパ講習をやめたこともあって、ここ最近は殆ど予定もなく、6畳の狭い部屋の隅っこで、ひとりで過ごしている。着替えて、ご飯を食べて、少し勉強して、あとはだらだらとネットを見たり、YouTubeで好きなバンドの動画を視たり、ギターを弾いて遊んだり、本を読んだり、部屋の掃除をしたり…。極々普通の、ありふれた生活だ。少し趣味があるだけ、まだマシなのかもしれない。けれど、不意に、寂しくなってしまうことがある。しかもそれは、結構な頻度で、だ。ひとり暮らしに寂しさというのは、付きものなのかもしれないけれど、そこにはちょっと病的なものを感じずにはいられない。以前は、この寂しさを埋めるために、街へ繰り出して、ナンパをしていた。連絡先を交換したり、連れ出したり、セックスしたりできれば、例え一瞬だけだとしても、寂しさを埋めることができる。声をかけて、女の子と話ができるだけでも、大分、寂しさは和らいでいた。結局、寂しかっただけなのだろうと思う。

しかし、今はもうナンパをしていない。僕には、彼女もいない。できる気配もないし、今後できる気もあまりしない。気になる女の子や、狙っている女の子さえも、一人もいない。悲しい話だ。あれだけナンパをしてきても、結局手元には何も残らなかった。ナンパした女の子達は、一人残らずいなくなった。例外なく、一人残らず、である。この空虚な時間を埋めるには、寂しい心を埋めるには、どうすれば良いのだろう。一番良いのは、すぐに寝てしまうことだろう。朝になれば、また、仕事に行かなければならない。慌ただしい朝の空気に包まれ、寂しさなど感じている余裕はなくなる。あるいは、コンビニで缶ビールとお菓子でも買ってきて、ひとりで飲んでいれば、段々陽気な気分になってきて、気付いた時には、寂しさなど忘れてしまう。連絡すれば、セックスできる女の子もいないわけではないから、ちょっと気が重いし、申し訳ない気持ちもあるけれど、女の子を呼んで、部屋に連れてきて、セックスするのも良いかもしれない。セックスし終わった頃には、寂しいどころか、隣で寝ている他人を鬱陶しく感じ始める。

でも、こういったことをいくらしたところで、結局寂しさは埋まらない。埋まるとしても、それはほんの一瞬だけでしかない。それは分かっている。けれど、ついついその一瞬の埋め合わせを求めてしまう。人間は弱い。その行動原理は単純明快であり、苦しみや痛みを避け、快楽を求めるようにできている。次第に、「埋め合わせ」をすることに中毒になり、「埋め合わせ」に対して依存的になっていく。無限に込み上げてくる寂しさ。穴の開いたバケツ、という例えの方が的確だろうか。いくら水を入れても、底に穴が空いているから、水は零れてしまう。一瞬だけ、穴を塞ぐことはできる。でも、それは応急処置でしかなくて、根本的な解決にはならない。だから、またすぐに水は零れてくる。まるで、地下鉄の駅の所々で見かける、雨漏り補修のようなものだ。埋め合わせでしかないということに無自覚なのも問題だけれど、埋め合わせでしかないということを分かった上で埋め合わせをしてしまうというのは、もっと大きな問題だ。卑近な例を挙げれば、それはアルコールである。僕はお酒が弱いから、350mlの缶ビール1本で十分に酔える。ビールでなくても、安い発泡酒でも構わない。スターを取ったマリオみたいなもので、酔ってしまえば、大抵のことはどうでも良くなる。でも、マリオのスターもそうであるように、酔いはそのうち覚める。酔いが覚めた頃には、そんなことで寂しさを紛らわせようとしていた自分に自己嫌悪を抱いてしまう。また、「寂しさを紛らわせなければならない」ほどに、自分が寂しい人間であるという事実を突きつけられることになり、それを認めざるを得ないということによって、余計に寂しさを感じてしまう*1

「今夜は寂しい」という病をどう考えるか - Nanpa is Suicide

ルソー君のブログに、僕が書きたかったようなことが、既に大体書かれていた。僕も、こんな風に寂しさを感じるようになったのは(なってしまったのは)、ナンパを初めてからであるように思う。あるいは、ナンパをしていなかったとしても、そうなっていたのだろうか。恐らく、安易な方法で寂しさを埋めることに慣れてしまったからだろう。

僕は所詮は、ただの寂しい人間である。そういう人間がナンパ師になる。ナンパ師≒寂しい人間と言っても過言ではない。「俺たちPUA!*2」なんていうのは、自己欺瞞でしかないと僕は思っている。ナンパは寂しい人間がする、惨めで悲しい行為だ。決して美しいものなんかではないし、かっこいいものでもない。色んな女の子に声をかけているだけだから、モテるというのとも違うと思う。「ナンパを通じて◯◯を身につける」「ナンパをすることで◯◯について考える」といったように、わけの分からない意味付けをするのも、何かを履き違えている。それは結果としてそうだったというだけのことだ。ナンパはそんな高尚なものではない。そして、ナンパはそういった「◯◯」を楽に手に入れるための魔法などではない。

結局は、屈折していて、性格が悪くて、臆病で、傷つき易くて、他人に心を開くことができない。だから友達も少ないし、女の子からもあまり好かれない。集団の中にいても孤立してしまう。かといって、ひとりで孤独に生きていけるほど強くもない。ナンパは、そういう人間が他人と繋がるための、最後の受け皿のようなものだ。でも、それは現実逃避に過ぎない。一瞬だけの埋め合わせに過ぎないから、やはり、いつかはツケを払わなければならない時が来る。ナンパ師同士で群れて、傷の舐め合いをして、その受け皿の上で開き直って生きていくようなことも、僕はしたくない。

どこを探しても、多分、外には何もない。誰が答えを提示してくれるわけでもない。答えは恐らく、自分自身の中にあるのだろうと思う。

僕は友達が少ない [DVD]

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君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

*1:書いていて気付いたけれど、ついつい、iPhoneを弄ってしまうのも、依存と言えるだろう。暇があると、ツイッターのタイムラインを眺めてしまう。LINEもメールも、そんなに頻繁には来ない。それでも、頻繁にiPhoneを見てしまう。こうやって、モヤモヤした気持ちをブログに書くことも、依存の一種なのだろうか

*2:Pick Up Artistの略。海外ではナンパ師のことをこう呼ぶらしい