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2010年秋、東京で開かれたとあるパーティーで2人の男が再会した。
和佐大輔と原田翔太。
2人の男はお互いに「絶望」していた。

「ビジネスの世界はこんなにもつまらないのか・・・」

和佐大輔は17歳で、原田翔太は22歳で1億円を稼ぎ、経済的な成功を若くして手に入れてしまった。

「ビジネスは同じことの繰り返し」

それが嫌で、和佐大輔はインターネットの世界で最先端を模索し、チャレンジし続け、
原田翔太はインターネットの世界を飛び出して、本の出版、一般企業のコンサル、
上場を目指した会社の立上げなどで、「自分にしか出来ない世界の変革」を目指していた。

「世界を1ミリでいいから変えてやる」

そう思い、チャレンジし続けた2人が5年ぶりに再開し、パーティーで見たものは、
「5年前と何も変わらない世界」だった。

「金を稼ぐために魂を切り売りする奴らの巣窟」
「5年間同じ成功パターンにすがり、進歩のない奴ら」
「起業家精神を失い、売上の確保と保身に必死になる奴ら」

「世界はこんなにもつまらないものなのか?」

同じ絶望を抱えた2人が始めたことは、
「まずは全てをぶっ壊すこと」
だった。

破壊のあとに創造があり、創造されたものは必ずいつか破壊される。
「創造的破壊」という旗を掲げ、和佐大輔と原田翔太が目指したのは、
マーケティングとクリエイターの流儀を融合させ、創造的破壊の循環をビジネスの世界に取り戻すことだった。
かくして、創造的破壊プロジェクトの伝説は始まった・・・

10歳の時に事故で頭蓋骨陥没骨折(要するに頭蓋骨がベコッと骨折した)という大怪我をするが、1ヶ月程度で退院。12歳の時に事故で頸椎損傷(要するに首の骨が折れた)という大怪我をし、1ヶ月程度で退院出来ると思っていたら、体の7割が麻痺して、一生、車椅子生活を余儀なくされることになった。なんやかんやあって、16歳で高校を中退。17歳で起業し、1年で1億円を稼ぐ経営者となった。

現在26歳。現在に至るまで、「考えるのは事故ってからでいい」という独自の信念で、挑戦的なビジネスを展開し続け、結果的に売上が1億円を下回ることが1度もないどころか、ずっと右肩上がりで伸びている。木坂健宣と共に製作した教材「ネットビジネス大百科」は、日本で一番売れている情報商材として有名(現在類計5万本を突破)。

2010年に原田翔太と再会し、2011年から創造的破壊プロジェクト、2012年からは長倉顕太を加えた3人で、イデアパブリッシングという革命の出版社を立ち上げる。

2014年の抱負は「病気にならないこと」。挑戦的なビジネス展開や態度とは裏腹に、実は人見知りで保守的。創造と破壊は「勢い」や「情熱」だけではなく、「丁寧さ」と「直感」であると考えている。インターネットマーケティングの世界で数々の伝説と発明を残し、今もなお、最前線を突き進む。好きなものは漫画と映画。人生のほぼ全てを漫画と映画から学び、ビジネスのアイディアも漫画と映画から生まれる。現在、漫画の原作作家として、映画の脚本家としてのデビューを目論んでいる。

株式会社ICC 代表取締役
株式会社イデアパブリッシング 取締役
高知県出身、神戸在住。

6畳のエアコンのない部屋でパソコンをカタカタと打って、マッドサイエンティスト並みの研究を繰り返した結果、アフィリエイトで大成功。黎明期に500万円を稼ぎ出すスーパーアフィリエイターに。そして、そのまま22歳で1億円を稼ぐWeb屋になった。それと同時に体重は40キロ増加し、ネット界の貴公子と呼ばれたのもつかの間、単なるデブに変身した。

1億円を稼ぎ出したあとも、高級マンションに一度移り住むが、すぐに飽きて4畳半の部屋へ引っ越し。畳の4畳半に65インチのテレビが置いてあったり、コルビジェのソファが置いてあるなど違和感たっぷりの光景と、そんな生活を進んで選ぶ変人ぷりが珍しがられ、テレビ東京にも取材を受けたほど。そんな変人ぷりに目をつけ、現在SEO業界をけん引するスーパーベンチャー「ウィルゲート」から経営参画依頼を受け、常務取締役に就任。同社のマーケティングスキーム確立に貢献した。(2011年退任)

その後、また仙人と化し、薄汚い部屋の中で、本を年間1500冊読むマッドサインティストぷりを発揮して、現役大学生でありながら国内有名出版社から依頼を受けマーケティング顧問として就任。同社の新規事業創出や、有名な電車広告などにアドバイスを行った。本当に本が好きで、いつか出版社を作りたいと思っていたことから、フォレスト出版から脱退しかけていた長倉顕太を猛烈に口説き、嫌がる和佐大輔を無理やり巻き込んで、現在運営するイデアパブリッシングの発起人となった。

2010年、和佐大輔と再会を果たし、業界の変わり者同士意気投合。タッグを組んで、当時のゲスな銭ゲバ野郎どもを一網打尽にしてやりたいと意気込み、創造的破壊プロジェクトを開始。

2013年には、ビクターエンターテイメントよりメジャーデビューを果たし、歌が下手くそなのにもかかわらず、堂々シンガーソングライターとして返り咲き。2014年3月には、初ライブにも関わらず1,000名ワンマンを慣行。

現在はカフェを立ち上げるプロジェクト、音楽教育業界に革命を起こすプロジェクトなどちっちゃな革命を起こすために自らも奔走している。和佐大輔が脚本を書く映画に俳優として出演するのが誰にも話していないひそかな夢。

ちなみに、彼もまた豪放極まりない見た目とは裏腹に、案外シャイで、案外神経質で案外人見知りな一面を持つ。和佐大輔が「静」が表で「動」が裏ならば、原田は「動」が表で「静」が裏側の真逆の人なのである。

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