国際大会に出場した
日立市出身のサッカー関係者
年 |
大 会 |
出場者 |
役目 |
実績 |
1964 |
東京オリンピック |
鎌田光夫 宮本征勝 |
選手 選手 |
3-2でアルゼンチンに勝利し、べスト8入り |
1968 |
メキシコオリンピック |
鎌田光夫 宮本征勝 |
選手 選手 |
2-0でメキシコに勝ち3位入賞 銅メダル フェアプレー賞 |
1984 |
ロサンゼルスオリンピック |
佐野敏一 |
審判員 |
ユーゴ対イラク戦の主審担当 |
2002 |
日本・韓国ワールドカップ |
鈴木隆行 |
選手 |
国民の期待に応えベスト16入り |
2014 |
ブラジルワールドカップ |
池田 浩 |
ドクター |
アジア最終予選に帯同して予選 突破 |
鎌田光夫 日立一高、中央大学で主将を務め、1960年古河電工に入る。1958年日本代表デビュー以来
12年間代表チームで活躍。東京・メキシコオリンピック全試合出場。メキシコではスイーパーとして
バックスを統率し銅メダルに貢献。1976年古河電工監督に就任。JSL、天皇杯の二冠達成。2007年
日本サッカー殿堂入り。A代表43試合、2得点
宮本征勝 日立一高、早稲田大学を経て1961年古河電工に入る。1957年高校選手権の日立一高準優勝
に主将として貢献。1958年日本代表入り以来12年間代表チームのバックスとして活躍。東京・
メキシコオリンピック代表。メキシコでは4試合出場。本田技研、鹿島アントラーズ、
清水エスパルスの監督を歴任。2005年日本サッカー殿堂入り。A代表43試合、1得点
2002年没
佐野敏一 1967年日立市サッカー少年団の発足に当たり、日立市市役所サッカー部員として協力。
1974年の茨城国体に向け1級審判員を志し取得。JSLで85試合ほか天皇杯・高校選手権決勝の主審を
担当。国際審判員としてロサンゼルスオリンピックに参加。1991年FIFA審判特別功労賞を受賞。
2000年没
鈴木隆行 1985年小学3年生から大沼少年団でサッカーを始める。泉丘中学、日立工業高を経て鹿島
アントラーズに入団。複数のクラブにレンタル移籍後2000年に復帰、3冠にフォワードで貢献。
日・韓ワールドカップ初戦のベルギー戦で、全身でのゴールへの執念で初ゴールを決め、予選リーグ
トップ通過に貢献。A代表55試合、11得点。現水戸ホーリーホック所属
池田浩 1971年小学4年の頃油縄子少年団でサッカーを始め多賀中学を経て日立一高でサッカーを
続ける。骨折を経験し、選手を一日も早く復帰させたいとの思いで医師を目指す。順天堂大学医学部
で学び、JEF千葉のチーフドクター、ザック日本のチームドクターとなる。現在順天堂大学医学部
整形外科先任准教授、日本サッカー協会医学委員会副委員長
この50年にわたり、日立市から日本を代表する人材を生み出したことを誇りに思う。その背景には、
トップレベルのサッカーを育む人材と多数の協力者がおり、継承されたことを意味する。ソフト・
ハード両面の環境を一層整えて発展することを願う。 (2014/01 鎌田洋 記)