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ビームスのショッピングバッグを斜めがけして持つのが流行った
「ビームスのあのオレンジ色の袋」そう口にだしただけで当時を思い出して(……ああ!)と声がもれる。
95年前後の大阪ではセレクトショップであるビームスのショッピングバッグを背負ってる高校生がたくさんいた。買ったらもらえる袋をバッグとして使うのだ。 あれはなんだったんだろう。ビームスにきいた。 > 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) ああビームス!ビームス!ああビームス!って感じだ。高校生になって自分が服を買うようになってとりあえずビームス行っとけみたいなあの感じ、あれなんなんだ。
大学に入り女の子へのプレゼントもまあビームス行っときゃいいんでしょ(※)、社会に出てのここ一番のスーツもビームスで……もう、なんかずっとあるなビームス! とまあ「……ずっとあるなビームス!」と店の前でいちいち驚くのが個人的にブームだったのだが、その本拠地に乗り込むことになった。 はい、きました。久しぶりにきた。服を自分で買うようになってはじめてビームスに入ったときのあの緊張。気後れ。本拠地にのりこむことになって久しぶりにきた。 ※他にもあるのになぜ男はビームスへ行くのか! なぜこんなことになったのでしょうか。待合スペースにて
刻み込まれたものがある同行してくれたDPZ編集部の安藤さんは95年当時金沢の大学にいた。バイト先のコンビニでファッション誌を立ち読みしてはビームスの服に憧れていたという。
今日のその顔はもちろん気後れ。気後れが服着て歩いてるといった感じだ。 小さい頃たべた味は忘れないので外食産業は子供を狙うと聞くが、服買いはじめ期のビームスの洗礼はまちがいなく心に刻まれてる。 ビームスのブランドディレクター長友さん。アルミのハトメの初代オレンジ袋は今手元に1つしかないらしい。みんな持ってたのに今や貴重なものとなった。
気後れてロボット化するわれわれ「今日はよろしくおねがいします」とビームスのブランドディレクター長友さんが出てきたところ、安藤さんは「ワタシタチはオモシロサイトで……」と突然演説をはじめた。まるで郷土資料館のロボットのように。
ああ、悲しいロボット。でもわかる。スイッチが入ったのだ。おれもう店員とか年下だしビームスとか大丈夫だな〜と思ってたけど心臓に近い部分にはきっちりスイッチが埋め込まれている。 この記事は(さすがビームス!)といちいち驚いてるのだがそれはスイッチが入ったからだ。金もらってないのに信仰心から広告記事化したという珍しい例である。 そもそもが10周年の記念だったらしい
はじまりは30年近く前長友「袋、これですよね」
――これこれこれ、これです! これいつからあるんですか? 長友「1986年からですね。最初はビームスの10周年の記念のパーティーで作ったんですよ。ビームスが1976年からなんで。 10周年で特別に出したんですがそのあと好評でレギュラー化して、2006年まで出してましたね」 2006年にショッピングバッグは今のものに統一された
そもそも便利だった安藤「あの〜私は金沢の大学にいてこれがほしくて大阪のヘップファイブに行って買ったんですよ」
――知りませんよ 長友「ありがとうございます(笑)そういう現象が起こってましたよね。あの……便利ですからね」 ――便利? そうか、そもそも便利ですよね! 長友「そうなんですよ、カバンとして使ってて、便利っていうのが最初にきたんだと思うんですよ。ビニールでできてて口がしぼれるっていう」 便利だったのか。 今さら何いってるんだこいつはとお思いかもしれないが、当時はとにかくいいものだという信仰心があったため便利だなんて考えたこともなかった。いや、そうだよ、たしかに便利だな! そしておれ今バカなゴリラみたいだな! 当時金沢からオレンジの袋がほしくて大阪に買い物にきた安藤
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