宮崎知己 堀内京子
2014年6月17日04時00分
東京電力福島第一原発の事故時、官房副長官として住民避難政策の責任者を務めた福山哲郎参院議員が政府事故調査・検証委員会の調べに答えた聴取記録「福山調書」を朝日新聞は新たに入手した。専門知識や情報が乏しい中、刻々と悪化する原子炉の状況に追われるように、慌ただしく避難区域を決めていった当時の首相官邸内の初動対応を詳細に語っている。
当初の避難区域の線引きはそこに住む人々の人生を左右した。福山調書は政権中枢の意思決定過程を当事者が証言したもので、原発事故に伴う住民避難の難しさを考える貴重な資料だ。
政府は事故後、福島第一原発周辺の避難区域を①半径3キロ圏=2011年3月11日午後9時23分②10キロ圏=12日午前5時44分③20キロ圏=同日午後6時25分と同心円状に徐々に拡大した。15日午前11時には20~30キロ圏に屋内退避を指示した。
おすすめコンテンツ
PR比べてお得!