住民票はあるが、どこにいるか1年以上つかめない。日本にはそういう小中学…[続きを読む]
「『自虐史観』を植えつけられて、若者が自国に誇りを持てなくなっている」…
「『自虐史観』を植えつけられて、若者が自国に誇りを持てなくなっている」
「行き過ぎた個人主義がはびこり規範意識が低下している」
こう熱心に主張される向きには、まずは安心して頂きたい。
閣議決定された今年の「子ども・若者白書」は、日本、韓国、米国、英国、ドイツ、フランス、スウェーデンの計7カ国で、13~29歳の男女約千人ずつを対象に昨年実施したインターネット調査の結果を掲載した。
「自国人であることに誇りを持っている」と答えた人の割合は、日本が70%。米国、スウェーデン、英国に次いで高く、「自国のために役立つと思うようなことをしたい」は55%でトップだった。一方「他人に迷惑をかけなければ、何をしようと個人の自由だ」は42%。他国平均は約8割なので極端に低い。
調査で若者意識すべてをつかめるわけではないが、気になるのは「自分自身に満足している」と回答した人の割合が日本は46%で最下位だったことだ。他の6カ国は7割を超える。
日本人であることの誇りが、自分自身への満足を大きく上回るという日本だけのこの傾向をさて、どう考えたらいいのか。
いまを生きる子どもや若者の意識からは、目に見えない、この社会の「気分」を感じ取ることができる。正解はない。ただ、基調には「どうせ」が漂っているように思えてならない。
「自分の将来に明るい希望を持っている」(62%)、「うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組む」(52%)、「社会をよりよくするため、社会における問題に関与したい」(44%)、「私の参加により、変えてほしい社会現象が少し変えられるかもしれない」(30%)。すべて日本が最下位だ。
「どうせ」は便利だ。高望みしなければ、失望せずに済む。低成長時代に適合した、「幸せ」な生き方だとも言える。
だが、「どうせ」が広がると、本来は自分たちの手でかたちづくっていくはずの社会が、変わりようのない所与のものとして受けいれられてしまう。
人は社会のなかで役割を担い、そのことを通じて人に認められたいという欲求を満たし、生きている実感を手にできる。「どうせ」な社会はおそらく、その機能を持ち得ないだろう。
「どうせ」なんかじゃない。
彼らよりも長く生きている「大人」がそれを示せるかどうかが、まずは問われている。「そんなキレイゴトじゃ、どうせ何も変わらないんだよ」で、片付けてしまわずに。
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