住民票はあるが、どこにいるか1年以上つかめない。日本にはそういう小中学生が700人余りもいる。

 今まさに育児放棄や虐待に遭い、命の危険にさらされている子がいてもおかしくない。

 助けの必要な親子に気づき、手を差し伸べる人を増やすこと。そして、見守る地域の網目を細かくすることが必要だ。

 あの神奈川県厚木市の男の子が、そう教えてくれる。

 男の子は5月、アパートから遺体で見つかった。亡くなったのは7年半も前、5歳半のころだった。父親に食事を十分与えられず、衰弱死したらしい。

 母親は夫の暴力を逃れるため別居していたという。男の子も母親と一緒と思い込まれて、事件発覚が遅れたふしがある。

 振り返れば、3歳半のころに救う機会がなくはなかった。

 男の子が早朝屋外にいて、迷子として児童相談所(児相)に預けられた。母親への夫の暴力がわかったのはこのときだ。同じころ、市の3歳半健診があったが、男の子は来なかった。

 早朝の迷子と健診未受診。片方だけでは気づけなくても、二つの情報を突き合わせれば危険を見抜けたかもしれない。

 関係機関が連絡をとりあう地域の協議会は今もあるのだが、いかんせん市町村単位だ。大都市は案件が多く、気になる事例を個別に検討する余裕がない。

 この点で注目されていいのが大阪市西成区だ。中学校区ごとに、幼小中の先生や民生委員らが集まる組織がある。一人一人の子に目が届く「顔の見える」規模の支援網づくりは、他の都市の参考になりそうだ。

 厚木の事件は市、児相、教育委員会のどこも男の子の所在をきちんと確かめていなかった。その結果、気づく機会を逃してきたことは批判を免れない。

 ただ、精神論だけで子どもは救えない。背景に人手不足があるなら早急に改善すべきだ。

 全国の児相では、虐待相談の対応件数が10年で倍以上に増えた。厚木のように、担当者が常に100人もの案件を抱えている児相があるのも事実だ。

 また、乳幼児健診に来ない家庭は虐待などのリスクが高く、全戸訪問して確かめるべきだと言われてきた。これも取り組むには当然、人手がいる。

 長期的には、どの子も就学前教育を受けられる社会をめざすべきだ。保育園や幼稚園は子どもの異変に気づくだけでなく、保護者の悩みを聞いて行政の支援につなぐ窓口にもなる。

 子どもを救うためには、保護者も救う必要がある。