「原爆の父」が米国批判 放射線被害、過小評価と 投下4カ月後に英博士 公文書で判明 

2013/08/11 18:01
 1966年10月5日、ロンドンで記者会見するウィリアム・ペニー博士(PA=共同)
 【ロンドン共同=半沢隆実】英国の核開発を主導し「原爆の父」と呼ばれ、米国の原爆開発にも関与したウィリアム・ペニー博士(1991年死去)が日本への原爆投下から約4カ月後、「米国は放射線被害を(政治的な目的で)過小評価している」と強く批判していたことが10日までに、英公文書館に保管されていた文書で分かった。博士は独自に「殺傷要因」を特定するため、英科学者を米国の核実験に派遣する必要性を訴えていた。

 米国は当時、放射線による悲惨な被害実態が世界に知られることを警戒、厳しい報道規制を敷いていた。文書は、米国が最重要同盟国で原爆を共同開発した立場にある英国に対しても、核兵器の本質を隠していたことを示している。

 文書は原爆被害を調査した英政府機関、医学研究評議会(MRC)のファイルの一部で、45年12月4日にMRC関係者が作成。「ペニー博士は(広島と長崎で)多くが放射線によって死亡したことを示す相当な証拠があると判断している」と記されている。

 ペニー博士はさらに「米国はこの見方を軽視し、あらゆる被害を爆風と熱に起因させようとしている」と批判。「この(放射線被害の)問題は、米国で最も重要な政治問題になろうとしている」と背景を指摘した。

 爆風効果計算の専門家であるペニー博士は英国での研究を経て、原爆開発を進める米国の「マンハッタン計画」に参加。長崎では観測機から投下を目撃し、その後、広島と長崎を現地調査した。45年12月13日にロンドンで行われた専門家会合で博士は「投下直後の放射線照射により、多くの人々が死に続けたことに疑いの余地はない」と指摘した。

 また、米国提供の情報は不十分で、次の原爆実験に英側も参加し、放射線被害について「最大限の情報」を収集することを医療専門家らに呼び掛けた。MRCの記録などによると、英科学者らは博士の提案通り、46年7月にビキニ環礁で行われた実験観測に参加した。

◎人体影響否定し情報操作 米、非人道性への批判警戒 

 【ロンドン共同=半沢隆実】「原爆の父」と呼ばれた英国のトップ科学者の1人、ウィリアム・ペニー博士に広島、長崎での放射線被害の過小評価を批判されていた米国は、戦後長い間、人体への影響を完全否定し情報操作を試みた。原爆の非人道性を象徴する原爆症の存在は、米国への批判増幅の引き金となりかねない上、軍事的に重要性を増していた被害データの独占を狙ったためだ。

 「負傷していない人々も『原爆病』としか言いようのない未知の理由で、不可解かつ悲惨に亡くなり続けている」。原爆投下から約1カ月後の被爆地の惨状を、英紙デーリー・エクスプレスはこう報じた。米紙ニューヨーク・タイムズも「原子爆弾はいまだに日に100人の割合で殺している」と状況を伝えた。

 しかし、米国の原爆開発計画「マンハッタン計画」の副責任者、ファーレル准将は、東京での記者会見で一連の報道を完全に否定する。被爆地の惨状を無視するように「広島、長崎では死ぬべき人は死に、9月上旬現在、原爆放射線のため苦しんでいる者は皆無だ」と言い切った。

 米政府はさらに原爆が地上ではなく上空で爆発したために、危険な核分裂物質が地上に影響を及ぼさなかったと主張、これが政府の公式見解となっていく。間もなく報道規制を強化し、投下から約1カ月後に長崎に入ったシカゴ・デーリー・ニューズ紙が「外傷のない男女、子供たちが毎日のように死んでいる」と報じた記事は連合国軍総司令部(GHQ)の検閲で公表を差し止められた。

 冷戦前夜の当時、米政府はソ連との軍事的な対立を不可避と判断。軍事バランスの鍵を握る核兵器開発を進める上で、原爆使用が敵国民、場合によっては自国兵士に与える被害のデータは戦略的にも重要だった。こうした事情が、人体への影響に関するデータを独占し、同盟国の科学者にも事実を 隠蔽 (いんぺい) した背景にあった。

(共同通信)

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