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 ――改革委の結論では、若山氏にも大きな責任があると指摘されている。どのように思うか。

 小保方さんの実験ノートを見ていなかったということは、その場で気がつかなければいけない立場だったと思いますので指摘はその通りだと思います。

 ただ、言い訳になるかも知れませんが、早稲田大を出ている研究者で、ハーバードのバカンティ先生の右腕だと言われているぐらい優秀な研究者という触れ込みで紹介されて引き受けた研究員。大学の4年生に言うように、「実験ノートを見せなさい」なんて言うようなことはできませんでした。

 研究室でのデータ紹介でも、非常にうまい発表をして新しいデータをどんどん出してきましたから、すごい頑張っているんだ、と。ノートを確認することは思いつきませんでした。そこは本当に責任者の立場としては、少しでもいいから確認すべきだったと反省しています。

 ――ノートは一度も目にしてないのか。

 ハーバードの優秀な研究者にノートをみせてくれ、というような雰囲気ではなく、一度もありません。

 ――改めて、一部公開されている実験ノートを見た印象は。

 僕のような技術系の人間にとって、ノートは振り返ってなぜ失敗したのかを知るための非常に重要なもの。命の次に大事なものだと思います。もし公開されているようなノートを見ていたら、あり得ないような書き方ということで、問題を見つけられたのかも知れません。

 ――今から思うと、レター論文の共著者にはなるべきではなかったと思うか。

 はい。僕がキメラをつくるという大事なデータを出していますが、実際に(論文を)書いて下さったのは笹井先生(笹井芳樹・理研発生・再生科学総合研究センター副センター長)です。データの多くは、自分自身が理解できなくなってしまったような難しい論文になってます。

 2013年の8月には笹井先生に「コレスポンデンス(主要著者)をやめたい」というメールを送っています。ただ、笹井先生は僕の今後のことを考えて下さって、僕がコレスポンデンスをもっていた方がいいんじゃないか、と言う話になり、僕はコレスポンデンスをやめたい、と言ったんですけれども、やっぱりそこに魅力もあって。そういうことで、僕自身、コレスポンデンスに残るという結果になってしまいました。

 ――笹井さんや小保方さんが、記者会見で若山さんに責任をおしつけるような発言があったと思う。2人への恐怖感はあったか。

 理研は組織として大きいですし、何か問題があったときに僕にすべておしつけるんじゃないか、という恐怖感はずっとありました。そのために、第三者機関にお願いしたりとか、自分でできる範囲のことに力を注いできました。