6月14日(土)に開催されました、ソ連カルチャーカルチャーでおそロシ庵のカーチャがプレゼンをシました「ソビエト料理」についての資料を公開します。
会場に来れなかった方はこのような発表をしたんだなと雰囲気を感じてみてください。
会場に来た方は復習としてお楽しみ下さい。
発表時よりもより詳細な説明となっております。
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ソ連料理はどこから来たのか?
ロシアの料理伝統を基にしてできたものがソ連料理です。
20世紀まで食べていた料理、使っていたレシピを受け継ぎながらふるいにかけた。
まずはイデオロギーの関係で今までの上流階級の文化を全て排除したので自ずと彼らの食文化も消えていった。
ソ連時代はとにかく何もかもが不足していて、食材も少なかったかので手にはいらないようなものはレシピから消えていく。
そしてソ連は鎖国していたので、外国のものがあまり入らなくなった。
一方、ロシアで伝統的に今まで使わなかったような食材も現れる。
例えば、とうもろこし、海魚など。
商業システムの問題によって野菜などの新鮮な食材が素早く消費者に届けることができなくなり、新鮮な物はだんだんとレトルト食品や缶詰に入れ替わっていった。
ソ連になり、最初は肉と川魚の量が減って、その後穀物の消費率が上がった。
さらに第二次世界大戦後、ジャガイモを料理に盛んに使い始め、しばらくするとパスタ類が増える。
個人で運営するレストランが殆ど姿を消し、国営食堂がメインになった。
料理人の技、個性、想像力は不要とされ、国の決めたレシピ通りに作らなければいけなかった。全国、どこの食堂へ行っても、同じような料理が出るというわけである。
「定食」の組み合わせも決まっていて、サラダ、スープ、メイン、デザートとなった。
帝国ロシアにあったような様々なオードブルのようなザクースカ(前菜)の種類が減少し、ソーセージ、魚の缶詰くらいになった。
スープは種類が減り、例えば今まであったきのこのスープ、川魚のスープがなくなり、ボルシチ、ソリャーンカ、麺のスープが盛んに作られていた。何故かと言うと、それらの材料は手に入りやすく、カロリーが高く、お腹にたまり、メインを作った時に余った材料の使い回しができるからである。
ソリャーンカ(塩漬けのきゅうり、ソーセージ、キャベツなどから作られた塩気の強いスープ)
キャベツとソーセージを炒めて作ったメイン
アジア・コーカサスなどの民族の料理が全国的に作られるようになった。
但し、材料の揃わないことやその品質、また、作り方の知識不足によって現地のものと違うようになってしまっていた。
コーカサス地方の料理はスパイスがいろいろ使われていて、色も鮮やかだったので、ソ連の人にとって特別なイベントの料理というイメージになっていた。
(ソ連では味付けが塩コショウだけだった)。
昔ながらのロシア料理、たとえばブリヌイ、カーシャ、ピロシキなどが国民の知恵として食堂で出されていたが非常にまずかった。
ピロシキ
ブリヌイ(ロシア風パンケーキ)
カーシャ(これは蕎麦粥)
文化の側面からこれらの変化の理由をさぐってみると、先ず、影響を及ぼしたのは料理の政治化である。
ソ連まで料理と政治はまったく関係なく発展してきたのに、ソ連時代になると、政府が国土の持ち主だけではなく、国民の扶養者にもなった。
つまり、国は自分が国民一人一人の食事の責任者であることを主張した。
(食事だけではなく、国民の生活の全ての分野において口を出してた。)
ソ連時代に出版された「美味しくて体にいい料理の本」というレシピ集は絵がとてもきれいだったが、その絵には一般市民が食べられないような理想的な食事が描かれていた。
「台所奴隷をなくせ!」
「新しい日常へ!」
この様なスローガンが男女平等を訴え、女性に料理を作らせないようにした。
以上がソ連における食事文化についての簡単な説明になります。
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