昨日の夜は、職場の仲間4人とカラオケ&飲み会でした。
いやー、楽しかった!!
なぜか最初はアニソン縛りで、次に90年代後半の懐かしい曲をガンガン歌う感じになって、どれも知っている曲ばかりだったし。
また気の合う同士でいったから何をやっても何を言っても盛り上がるんです。
人見知りの他人好き
一人の時間が続くと不安になって、他人と遊んだり話したりするのが好きなくせに、人見知り傾向の強い自分。「ひとりでいられない~♪誰ともいたくない~♪」というトラブルメイカー的な二律背反を抱えて生きてきました。
そんなわけで(どんなわけで?)この「少人数での飲み会」ってのが一番楽しい。
大勢の飲み会も嫌いじゃないけど、世話やき体質なのかどうしても周囲に必要以上に気を配って、盛り上げようとして疲れてしまう。
なんかいつからか、集団の中でピエロ役をやるのが馴染んでしまったな。「笑いをとる」のが人間関係を円滑にすすめるために一番楽だってわかってから、ずっとそんな感じ。
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思えば、小さい頃から本当に心をオープンにして話せる友達は少なかった。単に遊ぶだけ、仲良くするだけの友達はいたけど。
自分は人見知りのわりに、人間関係では器用に立ちまわることができていたので、「周りが思っている自分」と「本当の自分」の大きなギャップにときどき嫌気がさすんです。
考えすぎて言葉に詰まる 自分の不器用さが嫌い
でも妙に器用に立ち振る舞う 自分はそれ以上に嫌い
(Mr.Children「花火」)
どの自分も本当の自分だから、別に分けて考えずに両方を「自己受容」できれば構わないんだけどね。
こういう悩みって多かれ少なかれ誰でも抱えているモノだと思う。ただ、普通は思春期の頃で終わる悩みなんじゃないかな、とも思う。
結局のところ、自意識過剰さと、他人と自分との距離感をうまくつかめない精神的な未熟さから来るものなんだろうな。自分はとても精神的に幼い。ただ、大人っぽく振る舞うのはうまい。と思う。それは、悪いことばかりじゃないと思うけど。
家族は遠い
小さい頃からオレは家族にもあまり本音が言えませんでした。家族の空気を壊さないように気を使っていました。窮屈だったな……
でも、自分の心の持ちようではもっとずっと良い雰囲気を築けたとも思います。小さい頃に自己啓発などでよく説かれる「100%自己責任論」みたいな人間関係の考え方を知っていればなあ。
我が家は、みんながみんなで気を使って、気疲れして期限が悪くなって、険悪なムードになる……というものすごい悪循環な空気が流れていました。父だけは淡々としていましたが、その父が亡くなったらアッという間に家庭が半崩壊しましたからね。
今も家族と会っても、ホントに他人より遠い感じです。距離がありますね。距離を置かないとつきあえない。
人は人の中で生きるもの
ともかく、本当に心の底から自分をオープンにできる人たちとのつきあいは、最高に幸せな時間です。
やっぱり人間は人間関係の中で生きて幸せを実感できる生き物だとオレは感じます。
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