| 小・中学生14名の参加者とともに大学生ボランティア・スタッフの総勢27名で広島を訪れました。 |
一日目、原爆ドームを訪れたあと、市民交流プラザにて『朗読と被爆の証言』に参加し、小学2年の時に被爆した幸元省二郎さんの証言を聞きました。「お寺の下敷きになりはい出してまわりを見た時、あるはずの建物が何もなく、生きている人々はまるでお化けや幽霊に見え、この光景は衝撃的で、子どもの私にはどうして?何が起こったのかわからなかった。たった一つの核により、すべてを破壊され家族を無くしたむなしさ、くやしさは決して忘れない。けれど人間は前を向いて生きていかないといけない。戦争はいろんな人、心を傷つけてしまう。」と、子どもたちに命の大切さを話して下さいました。その後、グループごとに平和公園内の碑めぐりを行いました。
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原爆ドーム前にて |

原爆の子の像 |
二日目は、広島港へ向かい、フェリーで20分の似島(65年前の似島は軍の検疫所だった為、薬品類が備蓄されていた)で「似島少年少女のつどい」に参加しました。原爆投下後、おびただしい数の被爆者が広島市内から船で運ばれ収容された似島。暑く、苦しく、長い道のりを歩く当時の様子や救護活動を追体験しました。まるで昨日の出来事のように、泣きながら自らの体験を話す被爆者の姿に、参加した子どもたちも衝撃を受けていました。
「広島平和記念資料館」で被爆の遺品や資料などを前にすると、似島での疲れも忘れ、真剣な顔で見入っていました。原爆の悲惨さを感じる一日となり、夜のミーティングでは、昨日までとは違った感想や意見が出されました。
三日目、平和記念式典に参加。米国が投下した一発の原子爆弾に焼かれてから65年。核兵器廃絶の実現を願う国際機運の高まりを反映し、式典には国連の潘基文事務総長、原爆投下国である米国政府代表としてジョン・ルース駐日大使、英国・フランス・ロシア・パキスタンなど、核兵器保有国の代表の参列がありました。
その後、「原爆の子の像」で知られる佐々木貞子さんについて、同級生の川野登美子さんに当時の貞子さんの様子や、「原爆の子の像」が建てられるまでのことを聞きました。
「病室で1000羽鶴を折ると願いが叶うと、鶴を折りながら亡くなった貞ちゃんの想いを残そうと、中学生が団結し全国の中学生に募金を呼びかけ、当時のお金で540万円(現在で5400万円)の募金が集まり『原爆の子の像』ができました。」と涙ながらに語られました。 |

似島のフィールドワーク |
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被爆者の悲惨な体験を聞く |
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3歳で被爆した「サダコと折り鶴の話」 |