社説
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集団的自衛権/どこまで無理を重ねるのか

 見直しの根拠を求めて検討を重ねれば重ねるほど、不都合があらわになる矛盾。限定の枠を狭めたように装いながら、拡大の抜け穴を潜り込ませる欺瞞(ぎまん)。率直な印象を言えば、そうなる。
 安倍晋三首相が今国会中の閣議決定に向けて躍起になる、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認のことである。
 その決着をめぐって自民、公明の両与党による協議が大詰めを迎えている。反対姿勢が強く先送りを模索してきた公明党が条件闘争に転じたからだ。
 平和国家を象徴する憲法9条の制約で「権利は保持しているが行使はできない」とされ、歴代政権が踏襲し定着している憲法解釈を変更するとなれば、最低限、確固とした論拠が要る。
 「長年の政府見解との整合性」を重視する公明党の意向をくむ形で、自民党がたたき台として示したのが、1972年の政府見解を盛り込んだ自衛権発動のための新たな3要件だ。
 政府見解は「わが国への武力攻撃で国の存立が脅かされ、国民の生命、権利が根底から覆される急迫、不正の事態」を前提に、個別的自衛権の発動を認めつつ、集団的自衛権は専守防衛を逸脱し、憲法上、認められないと明確に結論付けている。
 新3要件は(1)排除する他の手段がない(2)必要最小限度の実力行使にとどめる−を加えた従来の3要件の核心部分、「わが国への武力攻撃」に「他国」の文言を付け加えて、集団的自衛権の行使を可能とした。
 要件の一部をいかにも都合よく切り取って、全く逆の結論に導いており、その理屈立ては評価に耐えない。
 公明党は「国民の生命、権利が覆される」との部分を厳格に受け止めれば、行使の範囲を狭められて容認の「高い壁」を越えられると読んだとされ、提案はあうんの呼吸でなされた。
 ただ、自民案は「覆される」に「おそれ」を添え「覆されるおそれ」とし、行使拡大の余地を残した。限定への期待も事実上、解釈次第となるわけだ。
 公明党の抵抗でたたき台を修正し、行使に厳しい枠がはめられれば、その分、自衛隊の活動は制限されて「外交・安保環境の激変」に対応するため、日米同盟の深化を図って抑止力の強化につなげる、との狙いを実現しにくくなる。自公の綱引きがぎりぎりまで続こう。
 もっとも、憲法の縛りを外してしまえば、今後の安保法制の改正で活動範囲を広げていくことはでき、当初の限定や歯止めが機能し続ける保証はない。第一、有事に際して実力行使を必要最小限度に抑えきることの困難さは指摘するまでもない。
 憲法解釈変更のよりどころを、最高裁・砂川事件判決に見いだそうとした時期もあった。迷走ぶりは、集団的自衛権行使の容認をそれに求める「解釈改憲」の手法に無理がある、何よりの証しではないのか。
 理屈をこねても「針の穴」は通し難く、肝心の国民の理解も広がるまい。必要ならば、憲法改正の正攻法で臨むしかない。


2014年06月16日月曜日

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