「嫌いなものがある」「嫌いだから自分は関わりたくない」という意思表示は否定しない。ただ、「嫌いだからあいつの本は買うな」「嫌いだからあいつに酷い目にあってほしい」という手の主張には正直、賛同できない。
と、右翼と右翼嫌い(≠左翼)の論争を見てて思いました。
対策なんかしなくても、自分が無関心を装えばいいだけじゃないのかな? 嫌いなやつ、気に喰わない奴を片っ端から排除したい、ぶん殴りたいと思うのは高校生ぐらいまでの「青さ」でしかないとぼくは思うよ?
レイシストになる自由はあるか?社会学者・明戸隆浩氏が語る「ヘイトスピーチ規制論」
野蛮な人だと感じることに対してもそうだ。結局は規制なんかしなくても警察のお縄にかかるか、主張している内容から人が遠ざかるかのどちらかだ。
父の言葉を借りればこうだ。
「早かれ遅かれ谷底に落ちるような人を進んで蹴り落とさない方がいい。
谷底から落ちた人や周りで見ていた人からいらぬ反感を買う。
何も自分から相手に恨みや攻撃を浴びる立ち位置に行く必要はない。」
老獪ですね。自分の父親ながら、これを30代のうちから僕にしつこく言っていたのはなかなか老獪だと思います。
とはいえ、僕も若いため父の言い方はあまり好きじゃないからこの言い回しは参考程度に。本質的な言い回しだとは思うけど、なんか計算高すぎて賢しらよね~。
というわけで、自分なりに嫌いな人やモノに割り切る、嫌いなものにとらわれない方法とその大切さを語ってみたい。
- 嫌いなものに関わってても幸せになれない
結論から言えば、
「嫌いなものを追い詰めても、別に好きなものを獲得できるわけじゃない」
「嫌いな人を殴っても、モテるわけでも好きな人から愛されるわけじゃない」
ということだ。
そりゃ、政治のことに関心を持つのはいいことだ。でも、自分が賛同しもしない思想や人を罵るばかりで、豊かになるための提案力やニュースを見るリテラシーのつかない政治との付き合い方は良くない。
自分の好きなアニメがあるのはいいことだ。でも、嫌いな作風の作品が目につくからといってそれを罵るような立場を取るのは…ストレスもたまるし、人と喧嘩になるだけなので、あまり望ましくない。
嫌いなままでいいんだよ?自分が許せないと思う政治家や思想、あるいは作品があることを表明することもいいんだ。ただ、それは「私は彼らとは関わらない」「私に彼らを推薦したり、押し売りしたりしてくれるな」という周りへの意思表示だけ。
日常的な場面で考えるなら「私はタバコを吸わない」「ヤニの臭いが残るのが嫌だ」といえば、大体の人は目の前で吸わないようにしてくれる。
吸うことが当たり前な場所や職場、あるいは立場の差があれば仕方ないけど、多くの場合は自分が喫煙に関わりたくないことを示したら、控えてくれる。
それをだ!もしも普段から「タバコなんか金の無駄遣いだ」「タバコ休憩を混ぜるヤツは仕事効率が悪い」と攻撃するような言い方をしたらどうだ?その場ではたばこをやめてくれるかもしれないが、付き合いそのものに弊害が出るかもしれない。
ネットにはこの僅かな違いを含んだ言い回しを使い分けられない人がイタイ人だと思われるほど相手を叩いたり、望んでもないのに言い回しがキツイ人ばかりを引き寄せて喧嘩してネットに疲れてしまってる。
ディベートや討論のルールとして「相手の論理を批判し、相手の人格や特徴などを感情的に批判するな」ということを教わる事があると思うが、考え方としてはこれに近い。
人格や考え方が近い人でも、食い違ってしまうことや考えが違うことは少なからずある。その時に「僕はこういうところが苦手なので、僕の前ではちょっと」と言えるか、「タバコなんて吸ってる奴は仕事ができるわけがない。不効率だ!」と紋切型で相手のことを見ようとしない言い回しをするかで、相手への印象も変わってしまう。
もちろん、わざとレッテル貼りをして相手に「いや、一息入れて仕事を切り替えるのは大事だ」とか「眠たくならないから集中力が続く」とかタバコのメリットを聞き出すこともできる。でも、わざとレッテルを貼る使い分け以前に、言い回しを知らない人や「正論には逆らえない」と勘違いしている人が多すぎる!
ネットは仕草や表情、あるいは相手の性格が読めない分、言葉によるコミュニケーションが多くを占める。ならば、もっと言葉を尽くすか血の気を殺して相手の言いたいことを読み取るようにたくさんの文字を冷静に読むべきだ。
嫌いなら嫌いでいい。だから、嫌いであることを表明する人を僕は否定はしない。でも、明らかに悪口や幼稚な理論であれば、当然冷やかす人や疑問に思う人からツッコミを入れられる。
それでは、どうしても自分とは反対意見の人や喧嘩腰の人に囲まれてしまう。
そのことを念頭に置いて書き込むべきだ。
- 好きな人やモノに貢献することを優先する!
それでも、自分の血の気が押し殺せず喧嘩になってしまう人のために自分がやってることをアドバイスしていきたい。
私は絵やゲームが好きだ。だから、その製作者に裏話を聞きたいし、良い作品を書いたり、見つけたら教えて欲しい。
でも、私は絵も描けないし、ゲームも作れないから普通ならば「1オタク、1ファン」で好きな人やモノを見つけても人並みにしか関わることが…できないわけでもなんだよね~これが!
例えば、僕は絵師さんのフォロワーがそこそこいる。ゲームレビューを始めたお陰でドット絵を作れる人やゲーム制作者のフォロワーも最近増えてきた。
同人誌やフリーゲームなどのレビューをやったり、アニメやイラストの作品解釈を書いたりすることで「普段、そういうものをやらない人を巻き込みたい!」と思ってたら、製作者や元々関心のあるクリエイターの人からフォローしてもらえたり、色んな知識をもらえるようになった。
他にもツイッターで気に入ったイラストや投稿を見つけてきて掘り起こす活動なども良い絵師さんやオタク、ブロガーさんと繋がるきっかけになっている。
今思えばかなり強引だけど…製作者自身に体当たりで書いたレビューを報告してたのがじわじわと効いて積み上がっていった。
自慢話がしたいのではない、提案がしたいのだ!
「好きなことだけでは生きられないけど、好きな人やモノに関わって過ごす時間のほうが面白く、何よりも積み上がっていくものがあるぞ。そういうことに関わる場所や役割を自分なりに見つけることを考えてみないか」
と。
音楽が好きな人がなるべきはバンドマンだけじゃない。CD屋の店員にもなれるし、アマゾンの人気レビュアーにも、事務所やライブハウスのスタッフさんにもなれるし、好きなバンドのライブを撮影してあげる友達…という立ち位置だっていい。
むしろ、そうやって関わるほうが確実に好きな音楽を増やしていける可能性に恵まれたり、それらを奏でる理論や製作者に関われる。
もちろん、お金が絡んだら…とか、関係が近づきすぎて…となればいいことばかりでもない。しかし、ヘイトして不毛なケンカをしているよりは圧倒的に自分の望む現実を叶えているし、自分の望む世の中や趣味のあり方に貢献してる。
「~嫌いなら嫌いでいいじゃない!」というタイトルには続きがある。
「好きなものを好きと叫ぶことにエネルギーを使おうよ!照れくさいことだけど、そのほうが笑みがこぼれるじゃないか!」
というのが僕がこの記事で言いたかったことです。
なんのアフィリエイトを貼ろうか考えてたら、FLCLの6話のキスシーンを思い出したのでこれにした。
良かったら見てね