ラブライブ!は端的に言えば「サザエさん時空」の中にある「永遠の一年間」のコンテンツである。即ち、μ'sは卒業しえない。それどころか「新年度始まってすぐでμ'sに加入していなかったメンバー」もエピソードによっては桜の咲く中描かれたりする。μ'sは永遠だ。
キャラクターの紡いだエピソードはファンとキャラクターの双方にただただ蓄積されていく。ただただ、ただただ雪のように降り積もっていく。その粒の一つ一つがSIDであり、雑誌連載であり、スクフェスのショートストーリーであり、CDのドラマパートであり……アニメーション版である……はずだった。アニメ版ラブライブ!が本日(6月15日)宣言したのは、その「永遠の一年間」の終了を描きますよ、という事だった。
一度ラブライブ!で優勝してしまったからには、その後に描く苦悩は「とは言えそれって優勝しちゃうんでしょ」になり、一度廃校を回避してしまえば「今の居場所が無くなる事への不安」も描いたところで茶番となる。永遠の一年間の中で課題への答えを出してしまった以上、課題解決への苦悩は描けない。アニメ以外のラブライブ!がやってきたのは、廃校への不安を抱えながら、どこまでも「叶え、私たちの夢――」と走り続ける、どこまでも発展途上の彼女たちを描くことだけだった。
アニメ版ラブライブ!は、異質だ。廃校は回避された。A-RISEを越える圧倒的支持を手に入れ、「憧れ」であったA-RISEを倒した。そして今、卒業を描こうとしている。
ひとたび卒業が描かれてしまえば、あとに何をやろうが「一度卒業したはずの人間」がまた楽しい学園生活を送っているという事になってしまう。そして、一度でも「μ'sからの卒業」を描いてしまえば……幾らメディアミックスとは言え、後に続く展開は全て「一度終わったはずのμ's」という影を背負う事になる。
これは、決して軽くはない。
展開を続けることは出来る。これからも何事も無かったように雑誌連載や小説や漫画が続くだろう。下手すればラブライブ!リピュアだのラブライブ!第2幕だのラブライぶ~んだのラブライブ!オルタナティブだのラブライブ!!だのラブライブ!XENOGLOSSIAだのアニメがはじまったっておかしくない。だが続ければ続けるほど「じゃああのアニメの別れは何だったんだよ」という事になる。今のアニメがやろうとしているのは、そういうことだ。
『キボウノユクエ 誰にも解らないね 確かめようと見つけようと走ってく』
『残された時間を握りしめて』
次回のラブライブ!「ラストライブ」を楽しみに待ちたい。