日本の国家から企業に至るまで、優秀な部下と無能な上司が遍在する原因を経済学で考えてみよう。契約理論を知っている人ならすぐ思いつくのは、Aghion-Tiroleの有名な論文だろう。これはGrossman-Hartのモデルに「情報」の次元を加え、次の図のように形式的な権威実質的な権威の2次元で効率的な組織形態を考えるものだ。この形式的な権威は法的な所有権で、実質的な権威は情報で決まる。
aghion
モデルは単純で、結論も直感的だ:トップがすべての権力と情報をコントロールする垂直統合も、すべて分散する完全分社化も一般には最適にならない。形式的には同一の企業であっても情報を現場に分散するか、その逆が望ましい。

しかし具体的にどうやってこういう組織を実現するのかは、むずかしい問題である。垂直統合と分社化は簡単だが、事業部制のような組織は、へたをするとセクショナリズムが強くなる。その逆は情報を本社に集中して製造部門はアジアに外注する個人資本主義だが、これは経営者がスティーブ・ジョブズや柳井正氏のように強烈なカリスマでないと、本当にバラバラになる。

日本の企業の多くは、この図でいうと事業部制の分権的システムと考えることができる。ここで現場(エージェント)の実質的な力の源泉は情報だから、Aghion-Tiroleが示すように、経営者(プリンシパル)との情報の非対称性が強いほどインセンティブは強まる。普通のエージェンシー理論とは逆に、経営者は無能で何も知らないほうがいいのだ。

片山杜秀氏もいうように、これが天皇制の伝統的な構造である。平安時代から実権は摂政や関白などのナンバー2がもち、天皇は「しらす」とか「きこしめす」といった受け身の形で統治して実務にはタッチせず、「つかさつかさ」のインセンティブを強める。その中心のない構造は明治憲法で制度化されたが、本来は実権をもたない天皇に軍を統帥する強い権力を与えた制度設計が失敗だった。

近衛文麿から安倍晋三氏に至るまで、日本の首相のほとんどもこの「天皇型」である。小沢一郎氏がいみじくもいったように「みこしは軽くてパーがいい」ので、無能なほうが長期政権になる。こういうガバナンスは自動車のように定型的な仕事を効率よくこなすには向いているが、コンピュータやファッションのように変化の激しい仕事には適さない。経営陣に情報がないため、企業戦略が立てられないのだ。

すべての部門に適した組織形態はないが、先進国が新興国に対して優位性をもつのは変化のスピードが速い情報集約型の産業だから、独裁型の個人資本主義が適している。いつまでも「天皇制企業」しかないから、何も決められない日本企業が負けるのだ。そして政治がだめになるのも同じ原因である。