テレビ業界でさんざん給料を貰い、さんざん名前を売り、退職後もプロフィールに、しっかり自分がテレビ局の出身だと明記(売り?)にしているような「諸先輩方(?)」による、テレビ局の内定者へ「Disり」が、ネット上で「プチブーム」のようである。まるで「他人ごと」のように内定者(学生)をDisる言葉に、強烈な違和感を感じた。
ぜひこのバカな若者たちの実態を取材してほしい。おバカぶりを会社名とともに世にさらけ出して欲しい。ちなみに私は会社名を知っている。ここでは書かないが。各局の中で特に不遜トーク、傲慢トークが多いテレビ局がある。こんな連中はどうせ、数年以内にカネに飽かせて、未成年買春や痲薬か何かで逮捕されて職を失うのが関の山だろう。ここで言いたいことは、昨年、逮捕されてクビになった有名キャスターの息子だけが傲慢なのではないということだ。キー局に入った。そのことだけで「傲慢」「不遜」になる人間が数多い、ということなのだ。
自分がかつて務めていたテレビ業界に、希望をもってこれから入社しようとする学生(内定者)に向かって、よくもここまで言えたものだと思う。
ところで、私は、自分自身が育ってきた「業界」や「企業」を退社後にDisる人は好きではない。
その理由は「Disる」くらいならば、元関係者(=当事者)として「今、自分ができる提案」を、外部からでもできる(するべきだ)からである。端的に言えば「Disる」だけであれば、誰でもできる。自分のいた業界、企業、共に働いてきた仲間たちを愛する心があれば、元関係者としてどうすれば、その業界や元所属企業が良くなるか、少なくともこれから業界に入る内定者(学生)に対しては前向きな提案をすることが当然だと思っている。もちろん個々に起こった事件や案件に対する批判は別である。まだ入社もしていない内定者(学生)を内定者であるというだけで批判する意味も必要もないという意味である。(批判する必要あるならば遠慮せずに「社名」を出して特定すれば良い。ここでなぜ遠慮するのだ?他の局に迷惑ではないか。)
テレビ業界と全く関係のない異業種の方々からの「テレビ業界批判」ならば内定者(入社前の学生)であっても、意見として甘んじて受けるべきだと思う。しかし、何故に、さんざんこの業界で「給料を得て」「メシを食って」いまだにプロフィールにテレビ業界の出身だと明記して「アピール」している「業界OBの方々」(入社前の内定者にとってはアカの他人である。)に、しのごのと「ご意見」を言われなければならんのか?と、私が内定者(学生)ならば正直思うだろう。
まして、内定者が集う「うちわの会」(恐らく酒の席)の、非公式の会話を、何故ゆえに「複数の内定者をニュースソースとして書いています」までして、公衆の面前にさらけ出されるのか?その目的は何か?「報道する価値」があるの?と思ったりもする。(あくまで彼らは内定者であり今はただの学生であるからだ。)あるいは単に学生を「ダメな奴ら」だと「コケ」にしたいだけなのか?
もっとも、この手の「マスコミ(テレビ局)批判」は、公開すれば、そこそこ注目(アクセス)を稼ぐことができる。常套手段である。マスコミ(テレビ局)側は余程のことでもない限り、公開の場で反論はしない。逆に、私のように、少しでもマスコミ(あるいはその内定者)を擁護しようものなら、「なぜ『マズゴミ』を擁護するのか!」と必ず「バッシング」され荒れる。私にとっては「百害あって一利なし」だ。この記事にも多くの批判のコメントが付くことだろう。
だが、気になったので、あえて続ける。
「元テレビ局員」という「元」の立場(絶対的な安全地帯)から、現在のテレビ局員の「給与が高い」「上から目線」など、誰でも言える批判をすれば、マスコミ批判を良しとする一般の方々の溜飲を下げる。多くのアクセスと賞賛を集めることができる。
と、仮に思っているとしたら、これこそ「上から目線」の典型である。
ところで、私の印象では、私などの世代(1994年入社)よりも、テレビ局に限らず、学生全般の「就職に対する意識」は遥かに高まっている。良いか悪いかは別として就職活動において相当な苦労と努力をしている。そのため内定者一人一が「粒揃い」である。(もちろん賛否はある。)
多くの応募者の中から、何度も面接や筆記などの選考を通過し、最終的に内定を得た学生は、テレビ局やマスコミに限らず、どこの企業の内定者であっても、当たり前だがそれなりに優秀だ。決して「運」だけで内定を得たわけではない。そんなに甘くはない。
そう言って舞い上がっている学生に、テレビ局のOBとして、大学の教員として教えてやろう。「オマエらは別にすごくはない。単に運が良かっただけだ。自慢しているんじゃないよ。バカモノ!」
TV局の内定者が「運だけ」というならば、他の大企業の内定者に対しても「運だけ」だと言い切れるのか?100倍、1000倍、あるいはそれ以上の倍率の中から選ばれて内定を得た学生はテレビに限らず本当に単に「運が良かっただけ」なのか??
ところで、50年前、日本には「鉄は国家なり」といった当時の風潮があった。「重厚長大産業」への就職が学生にとっても花型だった。私の父(故人)は、当時マスコミ企業の就職内定を断って鉄鋼会社に入社した。だが50年のうちに日本の産業構造は大きく変わった。当時、父は「鉄は国家なり」といった気概を持って鉄鋼会社に入社した。どれだけ「鼻息」が荒かったか、私には容易に想像がつく。
今、40~50代の働き盛りの人々が就職活動をしていたころ、その父親の世代は造船や繊維といった産業が花形の就職先と言われました。同じく「鉄は国家なり」という時代もありました。自分が就職活動をしていた数年前は、人材業界がまさに花形の仕事でした。でも、今、花形の就職先としてそれらの業界を挙げる人はいるでしょうか?今で言えば、ソーシャルゲームやアプリを開発する会社は時代のうねりに乗って、もの凄いスピードで成長しています。同様にスマートフォン業界や電子書籍業界も他の分野では考えられないような成長をとげています。特定の企業を揶揄(やゆ)するわけではなく、それらの会社は会社で本当に素晴らしいと思いますが、ただ、そういった企業が「5年先、10年先も同じように成長する姿が描けるか?」
私が大学を卒業し就職したのは1994年である。当時、私の仲間の多くは金融関係に就職した。(私が経済学部生だったこともあるが)まだバブル崩壊の余波もさほど深刻とまでは言えなかった。その後、多くの金融機関が破綻や合併によって再編成が行われ、今でも当時と「同じ名前」の金融機関に務めている友人は「日本銀行」へ就職した友人くらいだ。
そして長い「就職氷河期」を迎える。
さて、今年、テレビ局に内定した学生の方は、内定者同士の会合(飲み会?)の場では、その場の「ノリ」で軽い話もしただろう。多くの学生同士の新しい出会いや交流の場で「暗い深刻な未来の話」など相応しくない。
もちろん内定者の皆さんは、決して「OB」と称する方たちの思うほど「ノーテンキ」ではない。テレビ局の人事部も(もちろん他企業の人事も)、そのようなノーテンキな学生を、わざわざ大勢の志願者の中から採用しない。(テレビ局の人事の人間はそれほどいい加減ではない。)関係者が集う交流の場、パーティーの場での内々のトークはトーク。その一方で、入社予定の企業や業界の現実に迫った課題については、すでにある程度(あくまで学生として可能な範囲で)調べあげ、当然、研究しているだろう。だからこそ多くの応募者の中から内定を得た。(とにかく昔と今とでは学生の就職に関する意識が根本から異なる。「運」だけで内定はとれない。)
ところが他の「先輩」と自称する方のこんな記事も目にした。
そう言えばって感じで思い出しましたが、僕、もともと高校で、朗読の大会とか弁論の大会とか出てましたけど、6万人ほど受けてる朗読の大会で全国優勝してます。6万分の1?弁論大会は全国では12万人ほど受けてるって聞いてますけど、そこで全国3位だし。12万分の3?いやいや、そう言えば、僕は99年入社なんですけどね?99年入社の大学生って確か全国で190万人ほどいたはずですけど、全国で1番最初に「内定」出したの、僕です。はい。フジのアナウンサーが一番早かったので。もちろん、他も全部受かってましたけど、内定出たので他を辞退しました。190万分の1?以上、しつこい自慢大会でした。ご清聴、ありがとうございました。
この筆者が何を言いたいのか、私には正直よく分からない。元フジテレビのアナウンサーらしい。どういう目的でフジテレビに入社し、入社後どういう実績を残し、どういう経緯で退社するに至ったのかよくわからないが、就職活動と学生の「朗読大会」「弁論大会」とは全く本質が異なる。「朗読大会」や「弁論大会」は自分が言いたいことを「朗読」「弁論」し高く評価されればよい。入社面接では、入社後に、自社の期待を裏切るような社員ではないか?仮に途中退社することになったとしても、ちゃんと円満退社が可能な人物か?こうした「弁論ごっこ」とは異なる「人物像」をも評価の対象となる。この方は、ちゃんと会社の期待に応えた上で円満に退社したのだろうか?
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