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【ロバート ホワイティング】

東京五輪2020の虚偽広告「穏やかな晴天が続く東京の夏」

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Abebe_Bikila_1964_Olympics

 2020年の東京大会が、高い視聴率が期待できる時間帯に放送したいという米国NBCテレビの意向に縛られていることは明らかだ。一方、1964年の東京大会は、国際衛星放送が史上初めて行われた大会だったため、視聴率などは考慮されなかった。だから開会式を、日本の「スポーツの秋」である10月の「(のちに)体育の日(となった日)」に行うことができたのだ。爽やかな秋晴れの、そう、まさに「穏やかな晴天」のもとで……。しかし、時代は移り変わり、近年の大会ではメディアへの配慮が最優先になってしまっている。
 
 さらに、東京都が南米ブエノスアイレスでIOCに提出した2020年大会開催のための公式申請書類には、東京都は「物理的にも精神的にもアスリート中心」と考えており、「選手が最高のパフォーマンスを行える舞台」を提供すると書かれている。
 
 私の希望は、東京都がマラソンの開催場所を東京以外、たとえば、仙台市や福島市に移すことだ。東京に比べたら気温は少し低く、熱疲労の恐れも軽減されるだろう。また、こうした地区でマラソンを開催することは震災による甚大な影響を受けた地域に経済効果をもたらすだろうし、テレビ放送を通じて世界に対し、「東北の人々は力強く生きている」という強いメッセージになるはずだ。
 
 とはいえ、おそらくそうなる可能性が高いのだろうが、もしもマラソンを東京都内で実施するなら、スタート時刻を2012年ロンドン大会のように午前8時にするか、1960年ローマ大会のように夜にすべきだろう。だが、どちらの方法も理想的ではない。なぜなら、東京は昨年の夏、気温30度を超す熱帯夜の連続記録を更新したことを、あなたも覚えているだろう。
 
 もちろん、猛暑の屋外で行わねばならない他の競技にも課題は多い。東京の街は何台もの巨大な扇風機とかなり大量の氷の塊が必要となるだろう。
 
 オリンピック史上、最初に死亡したのはマラソン選手だった。彼の名はフランシスコ・ラザロ。1912年のストックホルム(スウェーデン)大会での事故で、彼はレース中、30km地点で倒れた。死因は当初、高温化でのレースによる極度の脱水症状だとされた。
 
 ところが、その後の調べで、ラザロは日焼け止め用のワックスを体中に塗っていたことが分かった。つまり、ワックスの不浸透性が自然な発汗を妨げ、体内の電解質バランスの極度な異常を引き起こした結果だったのだ。
 
 ポルトガル人の小説家ホセ・ルイス・ピクスト(Jose Luis Peixto)が書いた小説『ピアノの墓(The Piano Cemetery)』はフランシスコ・ラザロの話が元になっている。
 
 夏のオリンピック大会における死亡事故は他に2選手の記録が残っている。1人は1936年ベルリン大会でのボクサー、もう1人は1960年ローマ大会の自転車選手で、2人とも死因は熱射病だった(他に4人が冬季大会で亡くなっている。1人はアルペン滑降のスキー選手で、2人はリュージュの選手、もう1人はスピード・スキーの選手で、いずれも激突事故による。編集部註:スピード・スキーは現在では競技が行われていない)。
 
 2020年の東京大会で記録が増えないことを祈る。
 あるいは、夏の天候について嘘をついたという理由で、IOCが東京から2020年の開催権を剥奪することのないよう祈るばかりだ。
 
(ロバート・ホワイティング/星野恭子・訳)
PHOTO : Abebe Bikila with gold olympic medal on 1964 Summer Olympics in Tokyo
by Universal Studios [Public domain], via Wikimedia Commons

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