日本は人権後進国であるらしい。
敗戦国であるから、人権を指導される立場にあるのだろうし、国民に主権はないと言いながら戦争をやり、敗戦してマッカーサーが日本人に憲法を書かせようとしても、誰も国民主権に基づいた草案は書かなかった。
天皇陛下(大元帥陛下)の大権は絶対的であるというのが、その当時の日本人の立場であった。
やむを得ず、マッカーサーが国民主権に基づいた憲法を作り、昭和天皇に人間宣言をさせたのだが、いまだに日本では国民が主権者という意識が希薄なのであろう。

しかし不思議なことに、人権意識が高いはずの欧米では犯罪率が高いのである。
逆に日本の治安のよさはよく知られる。
これは人権が反道徳的であることに根ざしている。
日本人は人権(権利)ではなく、道徳(義務)から物事を考えている。
人権と道徳は対立概念なのである。

教育に関しては、人権意識の低さはさほど影響があるわけでもない。
日本人のノーベル賞受賞者の生まれ年を見れば、むしろ戦後の人権意識の高い世代の方が、明らかに知力が低い。
戦前生まれのエリートは強い向学心を持っている。
テストに出るところだけ勉強するという戦後生まれとは対極である。
戦前の日本は人権意識が低いから土人のように生きていたということはない。

1899 川端康成
1901 佐藤栄作
1906 朝永振一郎
1907 湯川秀樹
1918 福井謙一
1921 南部陽一郎
1925 江崎玲於奈
1926 小柴昌俊
1928 下村脩
1930 鈴木章
1935 根岸英一
1935 大江健三郎
1936 白川英樹
1938 野依良治
1939 利根川進
1940 益川敏英
1944 小林誠
1959 田中耕一
1962 山中伸弥


児童ポルノの問題に関しても、欧米の人権活動により、量刑が天井知らずに上がってしまっている。
18歳以上と18歳未満を区別し、18歳未満を性的に保護するという論理で暴走しているのである。
18歳未満が修道僧のような生活をしているならいいのだが、それとは真逆であるがゆえの問題である。
カトリックの国なのに18歳未満が連日連夜乱交しているのが欧米の姿であり、それを前にして愚策を練る人権主義者という構図なのである。
本当は18歳未満を取り締まりたいが、人権的にそれが出来ないので、18歳以上を刑務所に入れたがるのである。

道徳とは、要するにパワハラである。
道徳が大事という人間は、果たして軍隊に入って、上官から殴られ罵声を浴びせられることに耐えられるのだろうか。
実際のところ一昔前なら、学校で教師に殴られることは普通であった。
道徳の遂行は生やさしいものではないのである。
増長してから怒っても手遅れなので、罪もないこどもを脅しつけ殴るわけである。
人間は欲望のかたまりであるから、人権と道徳の兼ね合いに解決策などあるはずがない。







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