マイルドヤンキー体験記(その2)~大切なことはすべてマイルドヤンキーが教えてくれた~


 

前回記事はこちらから。

さて、大学に入ってみたら、受験勉強による燃え尽き症候群&大学入ったら周りが意識高すぎて劣等感に苛まれ、速攻で半引きこもりとなり、次第にマイルドヤンキーになっていったというのが前回の話でした。

で、マイルドヤンキーライフが始まりました。
活動内容は以下のようなものでした。

■日常的な活動
・地元の図書館の喫煙所や公園など、溜まり場でダベる
・週末になると、浪人生を慰労するという名目で、公園で飲み会。部活でもサークルでもないのにやたら体育会系の激しい飲み会で、必ず数人が潰されていた。ちなみにこの活動は、恐るべきことに高校三年時から行なわれていたらしい。たいへんイリーガルである。
・深夜にラウンドワンでビリヤード、ボーリング。これはふつう。『ヤンキー経済』にも書かれていましたね。

■スペシャルな活動
・地元の女子に紹介してもらって渋谷とかに合コンに出かける
・オールでカラオケ(激しい飲み付き)
・二子玉川でバーベキュー、江ノ島で海水浴など


〜〜〜〜〜〜〜

ちなみに、このよくわからないコミュニティの主要人物は二人いた。仮に、「タカシ」と「ヒソカ」とでもしておこう。

1.「お前はそう思うかもしれないけど、みんなが同じようにできるわけじゃねーじゃん」

タカシというのは、僕が保育園の頃から一緒の幼馴染である。喧嘩とかをするわけではないのだが、地元の同学年マイルドヤンキーコミュニティでは番長的なポジションにいる人間だった。

彼は必ずしも、下で書くヒソカのように飛び抜けて地頭がいいという感じではないのだが、コミュニケーション能力が高く、見た目とファッションのセンスがいいので女の子によくもてた。たしか中学生の頃からタバコとセックスを嗜んでいた。本人は池袋ウエストゲートパークのキング(=タカシ)がたぶん好きだった(口調とかも似ていた)ので、仮名はタカシとしておいた。

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▲池袋ウエストゲートパークのキングことタカシ。「マコっちゃーーん!」はみんな真似していたが、窪塚洋介演じるタカシのカリスマ感までコピーできる人はまれであった


タカシとの話で印象深いのは、勉強とか学力の話である。彼はいわゆる日東駒専の大学に通っていたのだが、僕があるとき、「MARCHぐらいだったら浪人して勉強すれば誰でも行けるんじゃないの」という、今考えるとすごくダメな発言をポロッとしてしまった。

そうしたらタカシはこう言った。

「お前はそう思うかもしれないけど、みんなが同じようにできるわけじゃねーじゃん」

「お前さ、前からそうだよな。もっと想像力働かせられないの? みんなもともと勉強が得意じゃなかったり、苦手だからどうしてもやる気が出なかったり、色んな事情があんじゃん」


当時、勉強に関しては「誰でもやればできる。できないのは努力が足りないだけだ」という、9.11以降/ドラゴン桜的世界観を生きていた僕には、とてもガーーーンときた。

進学校の男子校という場は、階層的にも学力的にも極めて同質性が高いので、6年間とかのスパンで純粋培養されると、自分たち以外の他者に対する想像力がすごく鈍くなったりする(一部だけなのかもしれないが)。高度に学歴社会に順応したオタッキーな男の子たちが、大学のような広い場所に出て最初にぶつかる壁である。

(※ちなみに、こういうコミュ障的な進学校男子の生態は、こないだ読んだ『「弱くても勝てます」―開成高校野球部のセオリー』に書かれてて、「そうそう、これこれ!」と思いました)

最後に詳しく書くけれど、精神科医の斉藤環氏は、ヤンキーというものを「関係性」重視と捉えていた。このタカシの人間理解もなんだか母性的で、もともと極めてオタク的な人間である僕には、彼のような感性は、すごく新鮮で、眩しいものに思えた。

 

2.「他人の幸せを喜べない人は、自分も幸せになれないよ」

もう一人、ヒソカくんは川崎市西部の、スポーツなどで有名な私立高校の出身。少し染めた髪をワックスで立たせた爽やかな見た目とは裏腹に、中学〜高校時代はいじめっ子として絶大な権力を有していたらしく、ノリで校舎の二階からいじめられっ子を突き落とすなど、マイルドな狂気を発揮していたらしい(本当かどうかは知らないが、二階からという按配がいかにもリアルだとは思う)。彼はいつもニコニコしていたけど、なんか「冷たい笑顔」という感じで、見た目も行動も『HUNTER × HUNTER』のヒソカにちょっと似ているのでこの仮名にしておいた。

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彼は、勉強はあまりできたわけではないものの、とにかく洞察力に優れていて、地頭がいいという感じだった。当時、浪人生をも巻き込んだ週末の激しい体育会系飲み会を主導していたのも、このヒソカくんだった(彼自身、浪人生だったにも関わらず・・・)。

彼との付き合いで、印象的なエピソードはこんな感じだ。

みんなが高校を出て約一年。大学生活に早々と挫折し、半ひきこもりとなっていた僕は、浪人していた誰かが大学に受かったと聞いて、自分が何も先の展望が描けないし、友達もいない大学に戻る勇気もなくて、嫉妬で、ふと「なんだ、決まっちゃったのか」と言ってしまった。

そうしたらヒソカが、いつもの貼り付いたような冷たい笑顔でこう言った。

「他人の幸せを喜べない人は、自分も幸せになれないよ」


・・・

 

すごく、まっとうな、正論だった。


「勉強ができる」というのが自分を支えていたプライドの一つだったんだけど、誰かを思いやる人間性でも、地頭でも、コミュニケーション能力でも、女の子に対するモテでも何でも、マイルドヤンキーの彼らには何一つ敵わない。というか、そもそも「頭がいい=勉強ができる」ということにどれぐらいの価値があるのだろうか?

今から振り返って、彼らのコミュニケーションで特徴的だと思うのは、けっこうあっさりと人の価値観に踏み込んでくるというところだ。オタクや文化系とされるコミュニティは、誰かの価値観に踏み込んで「お前、それ違うんじゃねーの」と指摘することがあまりない。お互いの価値観に踏み込まないのが繊細さの証であり、リベラルだ、ということなのか。

もちろんそれも大切なことだけれど、上に書いた僕のような、明らかにダメな発言すら「お前、それ違うんじゃねーの」と訂正したりせず、ぬるま湯のようなコミュニティで、心の底ではお互いをそれほど好きでもないままにじゃれあっていたりする。「お互いを傷つけない」というのが至上命題だから、なのか。

繰り返しになるけど、精神科医の斎藤環氏は、オタクは「所有」、ヤンキーは「関係性」を求めると位置付けた。これはそのまま、象徴的な意味での「父性」と「母性」の違いであるとも言い換えられる。マイルドヤンキーな彼らは、そう考えると、けっこう母性的でもあるのかな、と思ったりする。他人の価値観にズカズカと入ってくるのは「文化系」を自認する人たちにとっては「うるさい」ものである一方で、人間理解は母性的である、と言えるのかもしれない。そしてそれは、馬鹿にされがちなマイルドヤンキーの、いいところなのかもしれない、と思う。

ちなみに、このヒソカくんは、のちに就職活動で金融業界を志望し、リーマン・ショック以降の就職氷河期にもかかわらず、超大手から軒並み内定を取りまくり、今はメガバンクでバリバリ働いている。企業の人事担当者のおじさんたちって節穴だなんだとボロクソに言われたりするけど、けっこう確かな目を持っているんだなと思う。

(おしまい)

 


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