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19年の専業主婦としての時期を経て、現在は起業家として、自身のキャリアを築いている熊坂氏。安定した生活から抜け出す決断ができたのは何がきっかけだったのだろうか。自身の経験談を語る動画です。
【講演者プロフィール】
熊坂 仁美(Hitomi Kumasaka)は、株式会社ソーシャルメディア研究所代表取締役。慶應義塾大学文学部卒業。インタビューライターをしていた2010年に渡米しソーシャルメディアの研究を開始。Facebookの先進性に注目し、日本初のFacebookビジネス書『Facebookをビジネスに使う本』を出版、ベストセラーとなる。SNSの専門家として日本経済新聞、朝日新聞、NHK、『ワールドビジネスサテライト』等、メディア取材、出演多数。(熊坂仁美.com)
【動画もチェック!】
The Power of Curiosity: Hitomi Kumasaka at TEDxKyoto 2012
※この動画はYoutubeのクリエイティブ・コモンズライセンスです。
焦りと苛立ちの日々から新しい人生への旅立ち
私は10年前まで専業主婦をしていました。大学を卒業して、すぐに結婚をして、二人の子供を育てていました。仕事をしたことは一度もありませんでした。主婦として私はすごく恵まれていました。高級マンションに住んで、高級車に乗って、別荘が二つもありました。そんな風に見えませんけど。でもその10年後、私は子供を連れて全てを捨てました。古い築30年のマンションに引っ越したんです。
なぜそうなったんでしょうか?
話は30年前に溯ります。この初々しい花嫁が私です。私が早く結婚したのは、母の影響が大きかったと思います。優しい母でしたが、典型的な、保守的な、古風な女性でした。「女は仕事なんかしなくていい。早く結婚して家庭に入るのが一番幸せ」子供の頃からそんな風に言われてきました。私は自分で、自分の頭で考えることもなく、母の期待通りの人生を生きていました。子供が大きくなって手が離れ始めると、自分のことを考え始めます。「私はこのままでいいんだろうか?このまま家庭の中で長い人生を生きていて良いんだろうか?何かできることがあるんじゃないか?」自分の力が100あるとしたら、10か20ぐらいしか使っていない。焦りと苛立ち。元から良くなかった夫婦関係は、更に悪くなっていきました。自立をしたい、家を出たい。でもそんなことできない。子供がいるし、働けない、働いたこともない。周りの友達に相談すると、みんな同じことを言います。「それはあなたのわがままよ。子供がいて何を言ってるの?十分に幸せじゃないの」その通りです。私は自分に納得させます。でもしばらくすると、また同じことを考えるんです。そんな状態が10年近く続きました。
42歳になったとき、もうこれがラストチャンスだと思いました。このまま歳をとったら気力も体力もなくなって、何か新しいステップを踏み出すことができなくなる。そしたら諦めたまんま、なんか人生を過ごすことになる。そんなのは嫌だ。清水の舞台から飛び降りるように、私は新しい人生を始めました。まずは職探しです。42歳で、子供がいて、仕事の経験がない。就職活動は想像以上に厳しかったです。求人情報を見て、履歴書を書いて送ります。しばらくすると、不採用通知と共に送り返されてきます。送っては送り返され、送っては送り返され。どんどん自信がなくなっていきました。ある会社では、履歴書を持ってグループ面接に行ったら、周りは20代、30代の人ばっかり。40代は私一人でした。試験官は私の年齢を聞いた途端に無視し始めます。声も掛けない、目も合わせない。悔しくて、帰りの電車の中で泣きました。そんなとき、ある本屋さんに入ったんです。そしてフリーペーパーが目に入ったんです。フリーペーパーを見ると、小さな求人記事がありました。時給1000円で不動産営業のアルバイトです。私が望んでいた正社員ではありませんが、とにかく仕事が欲しい。応募するとメールでエクセルの履歴書のテンプレートが送られてきたんです。当時、エクセルの履歴書ってまだ珍しかったんです。でも私は主婦時代に好奇心があって、パソコンを買って自分でエクセルとかワードとかやってたから、すぐに送り返すことができました。
採用の連絡をもらったのがクリスマスイブでした。最高のクリスマスプレゼントです。私はもう飛び上がらんばかりというか、本当に飛び上がって喜びました。小さな不動産会社でしたが、それが私の仕事人生の始まりです。後で聞いたらびっくりしました。採用の理由というのがその履歴書だったんです。ほとんど履歴書が返ってこなかったそうです。エクセルができなくて。でも私は指示もされていないのに、写真までアップロードして送った。それが良かったみたいです。なんの目的もなく好奇心だけで始めたパソコンスキルが、私の人生を切り開いてくれました。それからもう夢中になって仕事をしました。あるときインターネットの魅力に魅せられて、無謀にも会社を作って、インターネットサービスを始めます。見事に失敗しました。でもそれからずっと、インターネットの仕事をしています。
好奇心は何かのサイン
あるとき友達がTwitterを教えてくれました。140文字でつぶやくTwitter。なんかこれ新しい、面白い。でも今ひとつ使い方が分かりません。そこで本家本元のアメリカはどんな使い方をしているのかなと見に行きました。ウェブサイトを見に行きました。びっくりしました。全然違う世界が広がってたんです。Twitterだけじゃない。いろんなサービスがある。それがソーシャルメディアでした。なかでも一番興味を持ったのはFacebookです。Facebookは実名登録のソーシャルネットワークです。当時もう利用者が4億人近くいました。でも日本ではインターネットは匿名というのが当たり前でした。だから「実名のサービスなんて流行るわけがない」そういう風に言われていました。でも私は「これはおもしろい」と思いました。何か新しい時代の幕開けを感じたんです。夢中になって研究しました。どこにも情報がない。だから試行錯誤しながら自分でマニュアルを作りました。ケーススタディも調べました。でもどうしても、アメリカでどういう風に使われてるのか知りたい。お金をなんとか工面して、アメリカに行ってカンファレンスで勉強しました。そこでソーシャルメディアのコンサルタントと知り合って、いろんな情報をもらったりしました。その研究の成果を一冊の本にまとめました。
本はベストセラーになりました。私のところにはコンサルティングや講演の依頼がどんどん舞い込みました。マスメディアの取材も頻繁に受けるようになりました。今まで自費でカンファレンスに行っていましたが、先日ある会社から招待を受けて、来週サンフランシスコに行ってきます。そして先月、ある企業から出資をしたいという申し出がありました。私の小さな会社は少し大きくなりました。そして今までずっとやりたかったソーシャルメディアの人材教育事業を始めることができます。でも面白いんです。その出資をしてくれた会社というのは、実は10年前に、私に不採用通知を送ってきた会社なんです。
長い長いさなぎの時代を経て、ようやく蝶になって羽ばたいている。そんな感じがしています。でもこうやって振り返ってみると、本当に、何というか、計画性がないというか、自分でも呆れてしまいます。でもなんでここまで来れたのか?思い当たることが一つだけあります。それは私はずっと、自分の好奇心に正直に行動してきたんです。もしあのとき 仕事をしたいという強烈な好奇心に従わなかったら、私は今でもさなぎのままです。もしあのとき夢中になってソーシャルメディアを研究しなかったら、心から愛するこの仕事を得ることはできなかったでしょう。だから私は思うんです。好奇心っていうのは何かのサインなんです。「お前はこれをやれ」という心の声なんです。だからもし皆さんがこの当たりで、なんか好奇心がうずうずする。それはもしかしたら心の声なのかもしれません。思い切って従ってみてください。徹底的にやってみるんです。楽しくて、面白くて、大変だけど、ワクワクする。目が輝き出す。好奇心が身体の中で、大きなパワーを作りだしてくれることに、きっと気がつくと思います。
ありがとうございました。
【おわり】