これまでの放送

2012年3月 4日放送

シリーズ震災一年(2) "被災地復興"に企業の力を!

あれから一年。被災地の雇用が、経済が、少しずつ変わろうとしている。

朝礼

「働ける場所がほしい!」被災地に誕生 雇用の場

フードコート宮城県石巻市。震災で亡くなった人・行方が分からない人は、およそ3800人。一つの自治体としては最も多くの命が奪われた町です。この町の中心部で去年7月、フードコートの建設が始まりました。トレーラーハウスと呼ばれる車両型の店舗を持ち込み、わずか半月で完成させました。このフードコートをつくったのは、タコ焼きチェーンを全国に展開している佐瀬守男さんです。取引先など6社に呼びかけ、1億円かけて建設しました。

炊き出しする佐瀬さん去年3月、佐瀬さんは社員を連れ、積極的に被災地を回り、炊き出しのボランティアをしました。仙台、南三陸、石巻など、8か所を回った佐瀬さん。どこの町に行っても耳にする、ある声が心に突き刺さりました。「今一番とにかく必要なのは雇用を増やしてほしいと、働ける場所をつくってほしいという意見がすごくあったんです。ただ、炊き出しして帰ることで、ほんとに満足していいのか?っていうのが、思ったことだったんですね。」

求人票被災したどの町でも悩みの種は、望んでいる仕事がないこと。求人票を見ると、期間が短かかったり、資格が必要だったり。働きたいという人たちとのミスマッチが問題となっています。そこでこのタコ焼きチェーンの会社はフードコートをつくり、石巻の人を雇用しようと考えました。新たに雇われたのは16歳か60歳までの100人。漁業をしていた人や寿司屋の板前さんなど。多くが震災で仕事をなくした人です。

杉山さんフードコート全体の売り上げの管理や、個々の店のサービスの指導をするマネージャーを任されている、杉山瞬さん(28)。震災前は、地元の居酒屋の社員でした。働いていた居酒屋が津波の被害にあい、退職。いっしょに暮らしていた母親の命も奪われました。「母親のいる地を拠点に仕事できたらなと、石巻にこだわっていましたね。」働き始めて半年。冬の寒さで客足が遠のき、売り上げが落ち込んだため、杉山さんは仲間たちと話し合い、タコ焼きやタイ焼きなどを直接お客さんのもとに届ける移動販売を始めることにしました。向かった先は、7キロ離れた仮設住宅。すると、続々とお客さんが!移動販売は杉山さんたちの予想を超える大人気でした。

佐瀬さんそして去年12月、この会社は思い切った行動に出ました。被災地を支援するため、群馬県にあった本社を石巻に移したのです。「(佐瀬さん)本社所在地っていうのは、やっぱり社長の位置、僕の位置だと思っていて、僕がいま一番いるのは石巻ですから、必然的にそこに本社を置いて、そこでいい会社をつくって、そこで地元に根付いて納税の義務も果たしたいっていう、そういう思いなんです。」震災からまもなく1年。被災地の経済が、一歩ずつ、少しずつ、変わろうとしています。

女性に働き口を!

コールセンター午前9時。宮城県・登米市に、女性たちが続々と集まってくる場所があります。ここは、震災後の去年8月にできたコールセンターです。旅行会社や食品の宅配会社など大手企業の予約受け付けなどをしています。100人の従業員のほとんどが、震災で職を失った人たち。そのうち8割が女性です。登米市に進出したのは、愛媛県松山市に本社を置くコールセンターの会社。社長の小島のり子さんは、被災地で女性や若者が職がなく困っていると聞き、東北に初めてセンターをつくることにしたのです。

小島さん登米市では、震災前から雇用の場を増やそうと企業誘致に力を入れてきました。そこに起きた大震災。市内に仮設住宅ができ、移り住む人が増える中、コールセンターの誕生は、市にとって願ってもない話でした。この会社では、今後も東北の各地にコールセンターを作り、1000人規模の人を雇いたいと考えています。「自分が生きる力をつけることがすごく重要だと思います。お仕事を楽しみながら自分達でこの仕事を守っていくという、自立した人になってほしいですよね。」震災直後から被災地に足を運び、住民と交流を重ねてきた小島さん。今、従業員たちにそんな願いを持っています。

起業支援会社が妙案 編み物で内職を

テーブルの毛糸群を見る奥谷さん一方、被災地の女性のために、家でもできる簡単な仕事はないかと、女性の起業を支援する東京の会社が立ち上がりました。代表の奥谷京子さんが目をつけたのが毛糸の編み物です。これなら誰でも空いた時間に、家で内職することができると考えたのです。「ただ、サービスを受けるのではなく、自分が主体になって、それがさらに、自分のお金につながる。すごく大事ではないですかね。」材料となる毛糸は、インターネットや取引先の企業にお願いし、無償で集めました。できた製品を買ってくれるのは、全国の支援者たち。奥谷さんがインターネットで呼びかけました。

毛糸を編む盛合さん岩手県宮古市では、水産加工会社で働いていた女性の多くが仕事を失いました。盛合道子さんは、震災前は知り合いの漁業関係者のもとで、ホタテ養殖の仕事をしていました。以前は朝5時半から昼の12時まで働き、月々の収入は、およそ3万円ありました。しかし、仕事の再開は、見通しが立ちません。盛合さんは、夫と89歳の母と3人暮らし。食事の支度があるため、日中ずっと家を空けるわけにはいきません。そこで、盛合さんは市の広報誌でこの取り組みを知り、さっそく参加しました。今では、家事の合間をぬって、1日平均5時間、ひざかけや小物入れなどのニット製品を作っています。これで月1万円から2万円の収入を得ることができるようになりました。

奥谷さんこの編み物のプロジェクトが始まって9ヶ月。今では、大槌町や岩泉町など被災地4カ所で56人の雇用が生まれました。プロジェクトを立ち上げた奥谷さんは、編み手の女性たち一人一人の技術が高まれば、もっと可能性が広がると考えています。「ただの『被災者の方の応援』という意味合いは、もう一年でそろそろピークは過ぎてくる。本当に『大変だから応援しよう』っていうだけではなく、ちゃんと商品としてもっともっと腕を磨いて。逆に、私達のところでない所からも、仕事を受けていけるような集団にしていきたい。」

藻谷浩介さん(日本総合研究所 主席研究員)

藻谷浩介さん(日本総合研究所 主席研究員)

飲食業を復興するのに、地元の人だけではやはり力が足りないので、ぜひ都会の人間も食べに行くということをそろそろ本格化してもいいころなんですね。行くのは失礼ではなくて、むしろ地元の人が喜んでくれる。そして実はもう魚は揚がってくるようになってますので、加工はまだできないけれど、逆に捕れ捕れの新鮮なものが頂けるように、そろそろ始まっていますので、ぜひ地元に積極的に泊まりに行って食べることで、ああいう人たちの飲食業の雇用を先に取り戻してほしいですね。

生島ヒロシさん(フリーアナウンサー 気仙沼出身)

生島ヒロシさん(フリーアナウンサー 気仙沼出身)

先だって僕、石巻の女性と話したんですけど、このかたは被災されてお母様も亡くされたんですよ。だけど「いつまでも被災者っていう立場に甘えたくない」と。やはりもう1年そろそろ経つし「自分の力で生活できるように戻んなきゃいけない」って。お母さんを発見されたときのトラウマとかもあるんですけれど、それを乗り越えて私は頑張るんだというふうなことをおっしゃってたのは、非常に心強い人もいるなと思ったんですね。

お問い合わせ先

タコ焼き店やタイ焼き店などが入ったフードコートについて
「ほっと横丁」 
場所:宮城県石巻市大街道北1-1-14
ホームページ:http://ishinomaki.hotyokocho.com/

このフードコートをつくり、雇用を生んだタコ焼きチェーンの企業
(株)ホットランド
ホームページ:http://www.hotland.co.jp/


登米市に進出したコールセンターについて
運営会社:「DIO(ディオ)ジャパン」
ホームページ: http://diojapan.jp/

宮古市で行われている「編み物で仕事づくり」について
「東北を仕事づくりで応援 ニットプロジェクト」 
運営:第3世界ショップ/(株)プレス・オールターナティブ
    (企画したWWBジャパンの姉妹団体)
ホームページ:http://www.p-alt.co.jp/asante/
カビラさん選曲のエンディングの曲
曲名:「Step By Step」(1990)
歌手名:「NEW KIDS ON THE BLOCK」(ニューキッズ オン ザ・ブロック)