忘れられる権利 生貝・東大大学院特任講師に聞く
2014年06月13日
欧州連合(EU)司法裁判所の「忘れられる権利」判決では、インターネットの世界で大きな影響力を持つ検索エンジンが規制対象となった。日米欧の情報政策に詳しい生貝直人・東大大学院特任講師に、その意味と今後の展望を解説していただいた。
−−判決では、報道機関ではない検索エンジンの運営会社に対し、情報の「適切性」を判断しなければならないとの責務を課しました。
◆今回の判決で最も難しい点だと思います。これまでは検索エンジンは(違法性や権利侵害の疑いが強い情報の削除に関して)基本的には裁判所からの命令があった際に削除するという対応を採ることで、価値判断を伴わない削除・非削除の一定の「線引き」が可能になっていましたが、(今回、EU司法裁判所が認めたような)データ保護指令に基づく削除請求では、検索エンジンは第一義的にその価値判断を行わなければならなくなります(最終的にはプライバシー・コミッショナーや裁判所の判断に委ねるという道は今後も残されますが)。
まずグーグルではあり得ないと思いますが、もし検索エンジンの運営者が「リスク回避的な企業」であれば、こうした請求を「全て認めて削除する」ことすら合理的な対応であり得ます。やはり検索エンジンのような汎用的な情報インフラに対して一定の価値判断に基づく情報削除を求めることは、ある種の私的検閲への道すら開き得るものですから、その判断の客観性や中立性、謙抑性を確保していくための措置を行うことは不可欠であると考えます。
−−どのような場合に削除しなければならないか、判断の基準がはっきりとしません。
◆まさにその判断の客観性・中立性、そして迅速性・低コストを担保するため、早くもドイツでは裁判外紛争解決手続(ADR)・仲裁機関の活用を模索し始めています(参照記事<http://www.out-law.com/en/articles/2014/may/arbitrator-could-rule-on-right-to-be-forgotten-cases-in-germany/>)。
ただ、そのような判断基準が確立してくるまでにはかなりの判断の蓄積が必要となるため、しばらくの間は大きな混乱が見込まれますし、現状のデータ保護指令ではそうした判断や運用のあり方は基本的に国内法に委ねられているため、EU(また、データ保護指令の対象に含まれるEEA<欧州経済領域>)の中でも国ごとにばらつきが出てくることも避けられず、検索エンジンとしては相当程度困難な対応を求められることになります。
現在、EUで制定に向けた作業が進められているデータ保護規則(EU域内でのデータ保護法を完全に統一するもので、2014年中の成立を目指す)では、明確に「忘れられる権利」の概念を導入する流れになっていますが、そこでは判断基準の統一と共に、こうした紛争処理と判断基準確立のための仕組みを「EUレベルで」実現するための制度基盤作りが求められてくると言えます。
−−技術の進歩やインターネットの価値を阻害しないようにという観点は考慮されていますか?
◆必ずしも「技術の進歩やインターネットの価値」を考慮していない訳ではなさそうで、削除可否の判断にあたっては「その情報へのアクセスに関心を持ちうるインターネット利用者達の合法的な利益」とデータ対象者のプライバシーの利益のバランスを重視しなければならないということは強調されています(上記引用はEU司法裁判所のプレスリリース<http://curia.europa.eu/jcms/upload/docs/application/pdf/2014-05/cp140070en.pdf>より)。
特にEUの憲法と言うべき欧州連合基本権憲章11条では、「Freedom of Expression and Information(表現と情報の自由)」として、「公的権力の干渉を受けずに情報を受け取ったり伝えたりする自由」を明示的に保護しており、裁判所としてもその点はやはり考慮要素としては強く意識している模様です。判決の射程(名前からの検索結果に一応は限る)などから見ても、検索エンジンの社会的価値そのものを滅失させないように注意深く書かれた判決であると見ることはできそうです。
また別の観点からは、逆説的ではありますが、従来はデータ保護指令の規制対象となるかどうかが必ずしも定かでなかった検索エンジン(の検索機能)について、今回の判決で明確にその対象としたことは、インターネットとその入り口である検索エンジンの急速な普及という「技術の進歩」それ自体によって、検索エンジンが独自のプライバシー・リスクを持つように「なってきた」と評価したものと理解でき、ある意味では技術の進歩を適切に法の解釈に読み込もうとした結果であるとも言えます。さらに別の観点となりますが、特にプライバシーの保護強化に関しては、「インターネットの価値」そのものの発展のためにこそ、消費者が安心・安全にインターネットを利用して様々な活動を行えるためのプライバシー保護制度が必要だという視点は、(EUでも米国でも、そして日本でも)広く共有されてきているものと思います。
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いけがい・なおと 1982年生まれ。東京大学大学院情報学環特任講師、博士(社会情報学)。東京芸術大学特別研究員、科学技術振興機構さきがけ研究員等を兼任。専門分野は日米欧の情報政策(著作権、プライバシー、セキュリティ、表現の自由、イノベーション)、文化芸術政策。主な著書に「情報社会と共同規制」(勁草書房、テレコム社会科学賞奨励賞、国際公共経済学会学会賞)など。