中国人・韓国人の取材を通じて、筆者はこれまで自分の国について考える機会をたくさん与えられ、彼らから教えられてきたが、その1つが、日本には「自然と共生し、万物に神様が宿っている」という独特の宗教観があることだった。今の中国・韓国からは、残念ながら国民が「拠って立つところ」があまりないように感じられる。お金や新興宗教に頼ってしまいがちになるのは、日本人以上に、彼らが「心の拠り所」を求めているからなのかもしれない。
むろん、国家としての状況は政治体制、地理、民族、経済発展の度合いによってそれぞれ異なるものであり、優劣をつけられるものではない。学校で水泳の授業がないことについても、韓国や台湾、中国は日本と比べて砂浜が少なく、海水浴が一般的ではないし、泳ぐ機会も少ないという理由があるだろう。
また、地震も日本のように多いわけではないので、「避難」という行動自体、滅多に必要のないものだろう。だから、教育の仕方や何に重点を置いていくかという方向性など、国家の目指すところは自ずと違ってくる。
他人事ではなく身近な問題として
隣国の出来事を受け止めよう
だが冒頭で述べたように、私たちはこれだけ近い国家同士でありながら、お互いの日常生活のことをほとんど何も知らない状況にある、ということだけはよくわかった。自分の目線、自分の常識だけで相手の国を見ていては誤解が広がるばかりだが、相手の立場に立ってみれば、また違ったものが見えてくるはずだ。
そうなれば、ニュース報道1つ取っても、全く違った角度から目に飛び込んでくるし、私たちに考える材料を与えてくれるだろう。
筆者は冒頭のプールのニュースを見たとき、そのように感じた。そういう意味で、韓国船沈没事件は私たちにとっても非常に重要な教訓を残してくれた事件だった。日中・日韓間に横たわる国家的な課題も、こうした何気ない日常生活の違いなどについて相互理解を深めることにより、解決に向かう部分も少なくないのではないか。
今後も他人事ではなく、身近な問題として隣国の出来事を受け止め、かの国の人々を見つめていきたいと思う。
●著者プロフィール
中島恵(なかじま・けい)/フリージャーナリスト。山梨県生まれ。中国、香港、台湾、韓国など東アジアのビジネス事情、社会事情などを新聞・雑誌などに執筆。著書に『中国人の誤解 日本人の誤解』『中国人エリートは日本人をこう見る』(共に日本経済新聞出版社)などがある。