現在、韓国中がフェリー事故の悲しみに暮れているのは、問題の原因が政府や海運会社だけにあるのではなく、国家、国民の在り方そのものにあり、そのことに失望したからである。
「私たちの国はこれでよかったのだろうか? 経済成長の過程で、何か大事なものを忘れてきてしまったのではないか?」と自問自答し、国民全体が自責の念にかられているからであろう。そして、儒教の国であるはずのこの国で、これほどまでにモラルが欠如してしまっていることへのショックなのではなかろうか。中国も同様だが、経済至上主義、詰め込み教育、他人を蹴落とし競争に勝つことを最優先としてきたことの綻びやツケが、1つの事件に集約されてしまっていることに愕然とし、立ち直れないでいるのである。
今回の事件の問題点はあまりにも多くあり、すでに多くの専門家が指摘しているが、海運会社の関係者にとって、少なくとも企業人としての責任感や倫理感は、小学校から高校までの学生時代に、親や教師、友達との関係性の中で、時間をかけて培われているべきものだった。亡くなった子どもたちにはもともと何の罪もないことはいうまでもないが、とはいえ子どもを教育する側が、詰め込み教育だけでは得られない「自分の頭で考えて、行動する」という意識を持って指導し、子どもたちがもう少しそれを実践できていたとしたら、結果はもう少し違っていたのではないかと思うと、残念でならない。
孔子の教えが根付いているのは日本だけ?
隣国の出来事の背景をしっかり見つめよう
私は以前、在日中国人から「中国人や韓国人が持っていた仁、義、礼、智、信などの孔子の教えは、今は本家ではなく、ここ日本にある」と言われて仰天したことがあった。果たして、本当にそうなのかどうかはわからないが、少なくとも人間形成の場である教育現場で、日本では勉学だけが重視されてきたわけではない、ということは確かだろう。