以前、中国人が書いたブログに「日本の給食当番は素晴らしい。みんなで協力して配膳することで、食べ物に対する感謝の気持ちや友達への思いやり、協調性が生まれるんですね」と書かれており、逆に筆者のほうが感心させられたが、その中国人は「日本の学校の教室では誰も監視していない。教師が指示もしていないのに、子どもたちがきちんとやっている」とも書いており、「なるほど。中国人はそのように感じるのか」と考えさせられたものだった。
掃除当番も同様だ。ほとんどの日本人は、子どもの頃、班ごとに分かれて教室を掃除した経験があるだろう。掃除をサボる子がいればきちんとやる子もおり、文句を言いながらも友達と一緒に和気あいあいと掃除した経験は、競争が激しく、1分1秒を惜しんで勉強しなければいけない韓国人・中国人から見れば「無駄なこと」であるかもしれない。だが、日本人に「勉強以外に大事なこと」を教えてくれるものではなかっただろうか。
悲惨なフェリー事故の真の原因は
国家・国民の在り方そのものにあり
誤解してほしくないが、筆者は「日本の教育が最も素晴らしい」などとは思っていないし、そんなことが言いたいのではない。日本の教育現場だって、問題は大いにある。ただ、日本人にとって学校で「当たり前」のように毎日やってきたことは、もしかしたら、自主性や協調性といった社会性を身につける上では、非常に重要なことではなかったか、と今振り返ってみて思うのだ。
そうした教育には、出世やエリート街道を進むのとは関係がないこともあるかもしれないが、「いざというとき」に身を助けるものではないかと思う。避難訓練なども同様だろう。
東日本大震災のとき、駅の階段の両脇に座り、階段の真ん中を通行人のために空ける日本人の行動は、多くの韓国人・中国人から称賛されたが、以前筆者が「あれは私たちにとって当たり前のことであり、自然に取った行動だったのだ。誰かに指示されたのではない」と彼らに話したら、ますます驚かれた。「どうしたら、そんな教育が実践できるのか? 教えてほしい」と逆に質問されたのである。