たとえば給食についてだ。河南省出身で現在は上海に住む35歳の女性は、「小学校時代、学校に給食はなく、学校は二部制で昼ごはんは自宅に帰って食べていた」と話していた。彼女の子ども時代の話を聞くと、一回り年上の私の幼い頃よりもずっと貧しかったことがわかる。
彼女に、「日本の小学校では生徒がお揃いの学習教材や道具を揃えることが多く、授業の一環で朝顔を育てる際は、お揃いの植え木鉢に植えるんだよ」という話をしたとき、彼女は目を丸くして驚き、「日本人はずっと前からお金持ちだったんですね。中国ではお揃いの道具を揃えられない(買えない)人がまだ大勢いる」と言われて、びっくりしたことがあった。中国の中学・高校の制服はジャージだが、それも田舎に行けば、全員が必ず着用しているわけではない。
また、韓国と同じく中国でも、学校にプールや体育館があるところは非常に少ない。いずれも設置や維持にはかなりの費用がかかるものだが、経済発展の陰でそうした子どもの教育のための施設と、その設備があることによってできる多様な教育の両方が、後回しにされてきた可能性はある(もちろん、設備があればよいというものではないが、設備そのものの設置がこれほど遅れているとは、正直言って思わなかった)。
日本の学校で当たり前だったことが
社会性を身に着ける上で重要だった
昨年、上海の高校を取材したときには、給食は業者がつくった温かいお弁当が用意されていたが、日本のように給食当番があるわけではなく、ただ食べるだけだと先生から聞いた。準備や片づけもなく、もちろん「いただきます」の挨拶もない。韓国も同様だが、学校はただ勉強するための場であり、日本のようなクラブ活動もほとんどない。韓国・中国では勉強ができる子だけが周囲から認められ、褒められるのだ。