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 コリアンタウンの大阪鶴橋で、レイシストによる「『返さなければ戦争だ!』拉致被害者全員奪還国民運動 in 鶴橋」と題したヘイト街宣が4月19日、行われる予定だったが、急遽、中止となった。

 レイシストらのヘイト街宣に抗議するため、鶴橋に集まったカウンター勢は、街宣の中止を受け、近くの公園で祝杯をあげた。IWJは、鶴橋周辺で生まれ育ったカウンター参加者などにインタビューを実施。地元・鶴橋への思い、ヘイトスピーチなどの差別行動に対する、それぞれの考えを聞いた。

  • 記事目次
  • 「ヘイトを見て育った日本の子どもは、どうなってしまうのか」
  • 差別や偏見は無知から生まれる
  • オールドカマー・ニューカマー・観光客で賑わう楽しい街・鶴橋
  • 「動けなくなるまで自分がどう生きるかが大切」余命1年を宣告されたカウンターの先駆者・泥氏インタビュー

■イントロ動画

  • 収録 2014年4月19日(土)
  • 場所 鶴橋駅前周辺(大阪市生野区・天王寺区)

「ヘイトを見て育った日本の子どもは、どうなってしまうのか」

 鶴橋の周辺で生まれ育った在日コリアンのカラーコーディネーターで、ミュージシャンのBaby-B氏は、IWJのインタビューに、「(ヘイト街宣主催者の川東大了は)最近よく、街宣をすっぽかすので、今日も中止になるかと期待していましたけど、実際に中止になってよかった」と話した。

 Baby-B氏は、「学校のクラスの半分は在日だった。あからさまな差別はなかった」と、この地での経験を振り返り、「共生できていたし、(国籍を)いちいち気にしていたら、人間関係なんて築けないですよね。この辺りは、そういう意味では『モデル地区』かなと思います」と語った。

 鶴橋で、レイシストらによってヘイトデモや街宣が行われてきたことについて、住民の方々はどのような思いを抱いているのか。Baby-B氏は、「腹を立てている人もいれば、そっとしておいてという人もいる。在日社会といっても様々」と話し、「ここで訴える意味はない」と断じる。

 「北朝鮮行ってしろよ、と思う。ぼくの在日2世の母が、ヘイトデモを見て心配するのは、日本人の子どもたちのこと。ヘイトデモを見た子たちが大きくなったら、この日本はどうなるんだろう、という意味です」

差別や偏見は無知から生まれる

 鶴橋で生まれ育った日本人男性は、地元・鶴橋がレイシストに襲われたことが、カウンターに参加するきっかけだったと話す。

 男性は、「この辺りに朝鮮人の方が住み始めたのは、戦前に平野川の付け替え工事があって、そこに出稼ぎに来たのが始まりだ、と小学校の地域学習で習いました。鶴橋生野区民の4人に1人が在日コリアンと言われています」と鶴橋を紹介した。

 「鶴橋の商店街には、子どもの頃から母親に手を引かれて買い物に来たりもした。小学校の同級生だったり、買い物に行く店の店主だったり、在日コリアンはあたりまえに近くにいる人だった。私はこの辺りで生まれ育ったから、差別もしないようになったのかもしれません」

 男性はこう語り、さらに、「差別や偏見は、『知らない』ことから生まれてくる。まず知ることを多くの方にしてほしいですね」と述べ、「ヘイト街宣の中止はベストな形で、『させない』ことが大事。観光客や買い物客がいつもどおりの週末を楽しんでいるようでよかった」と話した。

オールドカマー・ニューカマー・観光客で賑わう楽しい街・鶴橋

 公園での打ち上げ後、鶴橋のコリアン料理屋に移動し、大宴会が始まった。

 京都在住の在日コリアン・凡氏は、ヘイト街宣の中止について、「めっちゃ最高ですね。カウンターしてもヘイトスピーチは流れるし、街ゆく人も自分もダメージはウケますから。開催されないというのが一番いい」と喜んだ。

 凡氏は、鶴橋という街について、「在日コリアンが古くから住んでいて、コリアンタウンとしてキムチ売ったり焼き肉売ったり。駅を降りてすぐに焼き肉の臭いがして、胃袋が刺激される。『なんか食べていこうかな』と思う楽しい街」と紹介した。

 「最近はK-POPの店やニューカマーの人も増えて、韓国で最近流行の『ホットク』とかも売り始めた。文化が入り乱れていて、例えば、東南アジアのような下町が鶴橋には存在する、ざっくばらんで楽しい街。ツイッターで『鶴橋』と検索すると、だいたい『焼肉食べに行こう』とか『K-POPの店行こう』とか、そういう話ばかりで、ぜんぜん揉め事の書き込みもないし、在特会が言うように、在日コリアンが暴れまわっているということもないです」

 在特会などのレイシストについて、凡氏は、「デマを流してレイシズムをあおって、国と国の問題を鶴橋の人たちに持ち込まれても意味がわからん。人が胸を痛めるだけの街宣をして、自分の正しさを押し付けた気になって楽しんでいるのは最低。絶対させたらいかん」と強調。

 レイシストがこの日、予定していた「『返さなければ戦争だ!』拉致被害者全員奪還国民運動」という街宣のタイトルに対し、「お前が戦争を指揮できる立場でもないし、『お前が言うな』ということ。拉致被害は絶対に許せないし、解決を進めていかなければいけない」と反駁し、次のように続けた。

 「鶴橋に住んでいる人を、拉致の実行犯のように言うのは許せない。昨年、女子中学生が『鶴橋大虐殺を決行する』とスピーチしていた隣で、拍手喝采を送っていたのが(主催者の)川東大了。そんな奴がまともな政治主張を言うわけがない」と続け、「(今日街宣があれば)『殺せ』、『ゴキブリを叩きだせ』とでも言ったんだろう。先日の京都のウトロ地区でも、『ゴキブリ』という単語が出てたんで。今日、もしヘイト街宣があったら、酷いことになっていたと思う」

「動けなくなるまで自分がどう生きるかが大切」余命1年を宣告されたカウンターの先駆者・泥氏インタビュー

 いち早くレイシストに対してカウンター行動を起こした泥憲和(どろ のりかず)さんにも話をうかがった。泥氏は現在、悪性リンパ腫と固形癌を併発しており、入院しながら闘病中だ。医者には余命1年と宣告されているという。この日は、レイシストへのカウンターのために外泊許可をとり、鶴橋に駆け付けた。

 泥氏は、09年の京都朝鮮第一初級学校襲撃事件の後から、カウンター行動を始めたのだという。

 「09年に鶴橋で、『主権回復』を訴える連中が、京都の襲撃事件を手柄でも上げたかのようにアピールのデモをしにきた。これを監視したのが最初のカウンター行動ですね」。この情報を泥氏は、ソーシャルネットワーキングサイト(SNS)mixiで知ったという。

 「その時、実際にヘイトデモを見て呆れた」と泥氏は振り返る。

 「デモ前の集会で、彼らは、『今まで我々は、朝鮮人に悔しい思いをさせられてきたが、我々が朝鮮学校を襲撃したことで、生徒の父兄が「こんなに悔しいことはない」と言った。我々は初めて朝鮮人を悔しがらせることができた。ざまぁみろ』と演説していた。それを聞いて、『馬鹿か』と思った。子どもをイジメて、『ざまぁみろ』って」

 その後のデモでレイシストらは、「文句があるなら戦争だ。いつでも平壌を火の海にするぞ」といったシュプレヒコールをあげ、「日本人は差別されている」と主張していたという。泥氏はその際、130人ほどのヘイトデモ隊から目を離さないよう、2〜3人の仲間とともに並走し、「ふざけるな」と怒号を浴びせたのだという。今のカウンターのスタイルを09年の段階で始めていたということになる。

 「デモ後、彼らと話しました。喫茶店でゆっくり話そう、と持ちかけても拒否されたので、その場で。そこで、『なぜ朝鮮人は出て行け、と言うんだ』と聞くと、『ろくでもないからだ』、『ミサイル飛ばしているだろう』という。そこで、『在日朝鮮人は飛ばしていない』と反論すると、彼らは二の句が継げない。こういうことが繰り返されたんです」

 09年当時、TwitterやFacebookは今ほどユーザーがいたわけではなく、こうしたSNSを利用した拡散なども、今のように普及していなかった。そのため泥氏は、資料を集め、自身のブログで、在特会らの言う「在日特権」に反論し続けたが、現実的にカウンター運動を広げる手立てはなく、組織化もできなかった、と説明する。それから数年が経ち、コリアンタウンに登場したのが、「レイシストをしばき隊」だ。

 泥氏は、「こういうこと(しばき隊)をおれはしたかったんだ。東京の『しばき隊』がやってくれたから、自分がやりたかったことを、今、できている」と、嬉しそうに話す。

 自衛官出身の泥氏は、現在の右傾化した安倍政権について、「安倍さんは許せない」としながら、当時を振り返る。

 「自衛隊に入って、まずやらされるのが『宣誓』。『私は、我が国の独立と平和を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し〜』から始まる。いまだに暗唱できますよ。私は独立と平和を守るために自衛隊に入った。今の『集団的自衛権』は、他国の都合で、政治的に、日本が国家として都合がいいからやろうとしていますよね。宣誓にも、憲法にもそぐわない。多くの自衛官もそう考えていると思う」

 安倍政権の誕生や、現在ささやかれている「社会の右傾化」は、鶴橋や新大久保で吹き荒れるヘイトクライムとも繋がっている、と泥氏はみている。

 「90年代までは、こんなにヘイトはなかったし、在日コリアンや部落への差別も下火にあったように思うんです。その頃の日本は、政治・経済的にもアジア諸国を凌駕していた。少々膝を屈しても、余裕があった。だけど中・韓などが政治・経済的にも伸びてきて、日本と肩を並べ始めた。膝を屈すれば、相手よりも下になってしまうという危機感が出てきたのではないか。『強くて、相手を上から見下ろせる日本であってほしい』。こういう思いが、どこか日本社会の根底にあるのではないかと思う」

 さらに、「90年代までのリベラルな日本はリベラルなわけではなく、政治・経済的な強さに裏打ちされた余裕でしかなかったんじゃないかと思う。それが今、露呈しているのではないか」と話し、続けた。

 「日本のデモクラシーやリベラリティが試されているのはこれからだ。レイシストたちは日本社会の油断を突いて勃興してきたが、それに対抗して、みんなが集まってカウンターを食らわせるというのは、日本社会のデモクラシーの強さを表している。これを失ってはいけない」

 泥氏は現在、60歳。「命がある間は、こういった運動を次世代に引き継ぎたい」と意気込む。

 医師から、余命1年と告げられていることについて、「たったひとりで、大きな力にはなれないが、動けなくなるまで自分がどう生きるかが大切。余命の宣告は、これからどう生きるかを考える、いいきっかけになった。宣告は、むしろありがたい」と語り、「宣告がありがたいのであって、1年しか生きられないという現実がありがたいわけじゃないけど」と笑顔で付け加えた。

 「自分に悔いのないようにいきたい。その中で、例えばカウンターの際に逮捕されるということがあるかもしれない。しかし、逮捕されたからといって、なんということもない。人生を曲げられるわけじゃない。遠慮なくヘイト野郎たちに、思うがままのことができる。後がないからね。考えるのは自分のことでなく、『自分のすることが社会に対してどう影響するか』だから」

 では、泥氏は、どのような社会にしたいのか。(IWJ・原佑介)

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