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■わたしと沖縄戦:下

 「戦争」で思い起こすのは沖縄本島中部、沖縄市に住んでいた1970年暮れのことです。小学1年でした。眠っていたぼくを兄が起こして叫ぶのです。

 せんそうがはじまった。

 米軍による一方的な交通事故処理をきっかけに起こった「コザ暴動」でした。

 ぼくらはわけもわからないまま、家をでて嘉手納基地のゲートへ走りました。数分の距離です。ゲートの前に立つ米兵に向かって、住民が石や空き瓶を投げつけていました。兄も、ぼくも投げつけました。