私は慢性腎不全の人工透析を行っている1級身体障害者です。
これまでには、鬱病等の精神疾患、強迫性障害(潔癖症)皮膚湿疹、不眠、色々なものを発症してきました。欝になんてなるようなタイプじゃなく、むしろプラシ思考な人間なんだけどな~。
病気が自分を変えてしまったのです。
「サイコネフロロジー」
といって、人工透析をやっていると、精神的にもダメージを受けてくる人が多いそうです。仕事、特に若い人は仕事に憑いていない(突けていない)人も多いです。
他の透析患者さんと出逢い、お話をすることがよくあります。
健常者と変わらないように見える元気な人もいれば、口数が少なくなってしまって元気のない人もいる。私なども普段は口数が多いですが、病院では少なめです。病院という環境が私の口数を少なくしてしまっています。
しかし、私事でもしわけないのですが、色々な病気と闘っているうちに、感知したもの(欝など)や感知はしていないけれど、付き合い方を覚えたものもあります。
幸い、昔から友達にだけは恵まれているので、それなりに楽しい人生を送ることが出来ています。貧乏ですけどw
でも、世の中の障害者は私のように乗り越えられるタイプの人ばかりじゃないですよね。
「俺は努力して乗り越えた。だからお前も努力すれば乗り越えられる。」
「他の同じ病気の人はちゃんと働いているよ?」
私の大嫌いな言葉です。
病気の症状は一人一人違うので、外部の人間が想像だけで好き勝手言えるものではありません。それがたとえ、医者や看護師などの医療関係者であっても。
確かに、障害を盾に前進しない、卑屈になってばかりの人がいるのは事実です。しかし、本人には本人なりの悩みがあるのだと私は思っています。
少なくとも、健常者の障害者に対するイメージ、知識は的外れなものが多いので、叱咤激励のつもりが相手を傷つけていることは多々あるでしょう。
それでも、
「私は正論を言っただけ。あいつは甘えている。」
という言い訳を、そういった健常者はします。
じゃあ、あなたも障害者になってみたら?
人は、自分の経験したことしか理解出来ない生き物です。それを全て世の中のことをわかったようなことを言うのは間違っている、とハッキリといえます。
そういう健常者は実際、多いのです。
生活保護バッシングも(不正受給は別として)自分がちゃんと働ける状態だから言えること。貴族が奴隷階級の人間を見下しているようなもの。想像力の欠如。
もっと、相手の立場になって考えてみようよ。自分が障害者になったらどうなるか、もっと想像力を膨らませてみようよ。
強い言葉が、意見が必ずしも相手の為になるとは限らない。むしろ、相手の為にならないことのほうが多いんじゃないかな。
人の意見ほど参考にならないものはない。明らかに行動がめちゃくちゃだったら別だけどね。
もっと相手の立場に立ち、想像力を膨らませ、健常者と障害者はもっと共存していかないといけないんじゃないでしょうか。
ここまで書いていてなんだけど、私の周りは幸いにも理解者に恵まれています。障害者も、理解者にさえ恵まれれば、案外悪いものじゃないよ。
自殺未遂もしましたが、今はそこそこ幸せな人生を送ることが出来ています。
障害者には、障害者なりの生き方がある。
思ったことを書き綴っただけなので、まとまりのない文章ですが、そこはご愛嬌ということでw
だいちゃん(∀)