かつての日本は美しかった

日本人の為の日本、かつての美しかった日本を取り戻さなければなりません。

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【歴史戦…産経新聞特集記事 PART.2】

【歴史戦 第1部 河野談話の罪(4)前半】
中国“歴史カード”の1つに急浮上した「慰安婦」
2014.4.4 09:04 msn産経ニュース

 3月下旬の南京市は汗ばむような陽気だった。

 「戦時中に旧日本軍が造った慰安所としてはここがアジアで最大だと考えている」。周辺住民が無造作に捨てた生活ゴミの山を踏みながら、廃屋と廃屋の間をすり抜けるように歩く南京史を専門とする南京師範大学元教授の経盛鴻(69)はこう話す。

 戦時中、南京市内で日本人街があったという住宅街の一角に「慰安所」はある。6年前の春節(旧正月)に周辺住民が打ち上げた花火が引火して火災が起き廃屋となっていた。

 「慰安所」は木造家屋7棟のうち、朝鮮半島出身の慰安婦用の「東雲楼」1棟、日本人女性用の「故郷楼」とみられる建物の5棟が残る。中国人女性がいたという「吾妻楼」は数年前に取り壊された。故郷楼は主に士官や下士官が、東雲楼、吾妻楼には兵士らが通ったという。慰安婦の部屋を訪ねるチケットを購入する窓口や商店が軒を連ねた木造建築も残されている。

 朝鮮半島出身の慰安婦は約30人いたという。2003年に経が聞き取り調査を行った朝鮮半島出身で、元慰安婦と称する朴永心(すでに死亡)の“証言”によると、現在の北朝鮮で暮らしていた女性らは「戦地で看護婦の仕事があるから行かないか」と朝鮮人の男性に誘われ南京に来たが、実際の仕事は慰安婦だった。

 南京の慰安所から、雲南省の前線に造られた慰安所に送り込まれた経験があるという朴は、終戦後、北朝鮮に戻ったが、03年に経らの招きで南京を再訪し、当時の様子を話したという。

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「慰安所」として保存が決まった建物。
後方にはビル群が並ぶ=南京市利済巷(河崎真澄撮影)

 慰安婦は1人1部屋で生活し、午前10時から午後6時まで客を取る規定があったようだ。避妊具の使用義務と衛生面での注意や飲酒厳禁、指定された部屋以外に立ち入ることを禁じるなど、指示は細かい部分にまで及んでいる。

 建物は誰でも自由に出入りすることができるような雰囲気にも見えたが、経は、「慰安婦たちは強制的に働かされた性奴隷だった」と語気を強めた。

 中国は慰安婦問題に関して日中首脳会談などで持ち出したことはない。1996年の国連人権委員会(当時)で、特別報告官のラディカ・クマラスワミが日本の法的責任を求めた際も中国の代表から国家賠償を求める発言はなかった。しかし、中国外務省筋は先月末、こう言い切った。

 「日中間には歴史に残された問題が3つある。遺棄化学兵器、強制労働、そして慰安婦だ」(敬称略)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140404/chn14040409090001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140404/chn14040409090001-n2.htm


【歴史戦 第1部河野談話の罪(4)後半】
中国が仕掛ける根拠不明の「慰安婦30万人」 6月英文出版
2014.4.4 10:28 msn産経ニュース

 「慰安婦に関する資料の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界記憶遺産への登録を目指そう」

 2月8日、上海で開かれた慰安婦問題に関する国際会議でこのような共同宣言が採択された。会議を共催したのは上海師範大とソウルの成均館大。中韓の研究者は慰安婦問題で民間レベルでの連携を確認した。

 会議で中心的役割を務めた上海師範大教授の蘇智良(59)は、慰安婦問題を世界記憶遺産にしようとする理由について、「日本が『特攻隊』を申請しようとしているからですよ」と説明する。特攻隊の出撃基地があった鹿児島県で、隊員の遺書などを記憶遺産として申請する動きがあることに中韓が“対抗”したという。歴史的価値そのものではなく、日本への対抗こそが申請の理由なのだ。

 2年に1度のユネスコ世界記憶遺産への登録の審査は、戦後70年にあたる来年行われる。

 蘇によると、この会議の費用は「昨年末に、中国政府から初めて下りた80万元(約1320万円)の慰安婦問題に関する研究予算が充てられた」という。

 研究予算が初めてついたのは蘇らが昨年、吉林省長春市である歴史資料を見つけたことも影響している。

 現在、吉林省の中国共産党委員会が利用している建物は、関東軍司令部が使用していたもので、蘇らはこの建物に眠っていた10万点に及ぶ資料の一部に「日本軍がかつて慰安所を管理していた」とする文書を見つけたのだという。

 ただ、資料がどこまで日本と関係し、信頼性のあるものなのかが現時点で不明であることは蘇も認める。

 「われわれも知らない慰安婦に関する史実が、今後の研究で明らかになるかもしれない」

× × ×

 蘇の研究によると、32年に上海市内で“日本租界”とも呼ばれた日本人居留区の虹口にできた「大一サロン」が、世界で最初に日本軍の管理下に置かれた慰安所だったという。現在は一般の住宅になっているその建物に足を踏み入れた。46年から一室に住んでいるという住民の部屋には、畳はなくなったが、欄間に富士山を描いた木工細工が残っていた。

 蘇によると、大一サロンは20年代から存在した「大一」という名の貸座敷が前身。この貸座敷には芸者や遊女もいたと蘇はみているが、軍医の意見を吸い上げた軍部が定期的な性病検査などを義務づけた慰安婦制度を作り、慰安所として管理下に置いた第1号が「大一サロン」だという。

 蘇は著書『上海日本軍慰安所実録』で、38年当時、上海には約300人の慰安婦がいたとしており、その過半数の女性は朝鮮半島から連れてこられた「日本植民地政策の犠牲者だ」などと表現している。

 45年の終戦まで上海には160カ所以上の慰安所ができたといい、蘇は朝鮮半島出身者が経営を担っていたケースも多いと語る。その根拠となる当時の「在華半島人人名録」には、慰安所経営者として「韓次礼」(日本名・大原光江)や「白利淳」(同・白井源一)などの名前が並ぶ。

 蘇は「強制性はあった」と強調するが、中国人女性との接触に神経をとがらせていた旧日本軍が関与したとはとても思えない例まで挙げた。

 「海南省や山西省などには当時、纏(てん)足(そく)(女児の足指に布をきつく巻いて足が成長しないようにした中国の風習)が残っており、走って逃げようにも逃げられない中国女性が慰安婦にさせられたケースがある」

 中国共産党機関紙、人民日報が運営する「人民網」は、中国大陸のみならず台湾や東南アジアなど各地に広がった慰安所で、最大で30万人の慰安婦が存在し、このうち約68%が中国出身者だったとの記事を昨年8月に掲載している。30万人という数字はいわゆる「南京事件」で虐殺されたとして中国が主張する人数と奇妙に符合しており、いずれも根拠は不明だ。30万人という数字がまずありきだったのではないかという疑念も生じる。

 蘇は6月には、研究成果を英語でまとめた書籍『チャイニーズ・コンフォート・ウーマン(中国人慰安婦)』を出版する。そのサブタイトルは「日本帝国の性奴隷の証拠」。英語で出版する理由は何か。そこに、まさに中国側の「歴史戦」の意図が透けてみえる。

 平成5年の慰安婦募集の強制性を認めた河野洋平官房長官談話に関与した元官房副長官、石原信雄は2日の参院統治機構調査会に出席し、作成過程で「韓国側も『過去の問題に一応区切りをつける』と言っていたので、それを信じて談話を出した」と述べた。ところが、談話で慰安婦問題は収まるどころか、韓国と中国が共闘して対日攻勢をかける事態にまで深刻化している。(敬称略)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140404/chn14040410310002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140404/chn14040410310002-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140404/chn14040410310002-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140404/chn14040410310002-n4.htm


【歴史戦 第1部(5)前半】
元政府高官 慰安婦調査について「質は低い」
2014.4.5 09:09 msn産経ニュース

 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話の根拠となった韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書は現在、「非開示」とされており、国民の目から隠されている。とはいえ当然のことながら、政府内の関係者はその内容を知っている。

 そのうちの一人、平成6~8年に内閣外政審議室審議官として戦後50周年記念事業などを担当した美根慶樹は元慰安婦への聞き取り調査報告書を初めて読んだときのことをこう振り返る。

 「非常にもどかしい思いだった。(事実関係が)もっとはっきりできるのではないかと思っていたが、いまひとつはっきりしない」

 美根の記憶によると、調査では元慰安婦とされる女性の証言への反証もなく、話を詰めるプロセスもなかった。「強制」を感じていた女性はいたが、肝心要の誰に強制されたかは判然としない。

 「『あなたが言っている根拠は』『誰が強制したのか』と詰めていけば、立ち往生するような話だった。ものごとをはっきりさせる裁判などに耐えうる証拠ではない。質は低い」

 美根の感想は産経新聞が調査報告書を「極めてずさん」と報じたことと合致する。ただ、報告書がいいかげんなものでも、美根は河野談話自体は評価している。

 「いろんな問題はあるにせよ、日本として慰安婦問題に無関心ではなく取り組んでいくという姿勢を国際社会に示し、評価されたことは本当に大きい」

 美根は聞き取り調査に関しては、一定の結論を得るための「儀式」だとあらかじめ織り込んでいたという。「調査はそういうものだったから、ずさんでもしようがないということか」と聞くと、率直に答えた。

 「そうですね。調査記録を読む心得としてそういう気持ちがあった。それが当然の前提という感じがあった。そうでないと(調査報告書は)ほとんど意味がない」(敬称略)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140405/plc14040509270004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140405/plc14040509270004-n2.htm


【歴史戦第1部(5)後半】
「日本と日本人の名誉ために正面から戦っていくしかない」
2014.4.5 13:04 産経ニュース

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石原元官房副長官発言ポイント

 政府は現在、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話の作成過程の検証作業を進めている。当時の政府関係者からの聴取に加え、慰安婦問題に詳しい専門家を交え、日韓両政府間でどのようなやりとりがあったか詳しく調べる方針だ。

 官房長官、菅義偉(すが・よしひで)がこの方針を表明したのは、今年2月20日の衆院予算委員会での談話作成時の事務方トップだった元官房副長官、石原信雄の証言がきっかけとなった。

 「日本軍や官憲が強制的に女性を募集した客観的資料はない」「談話は聞き取り調査に基づくが裏付け調査はしていない」

 石原はこう述べたが、こうした事実は以前、国会でも取り上げられていたのだ。9年3月12日、参院予算委で内閣外政審議室長、平林博=写真=は自民党の小山孝雄と次のようなやりとりを交わしていた。

 小山「これまでの調査では慰安婦の強制連行はなかったのか確認する」

 平林「政府の発見した資料の中に軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接示すような記述はなかった」

 小山「慰安婦の聞き取り調査の裏付けはとったか」

 平林「個々の証言を裏付ける調査は行っていない」

 平林は答弁にあたって、談話作成当時の政府関係者から説明を受けた。この結果、「軍が強制連行をした形跡はない」と、自信を持って答弁したという。説明を聞くなかで、平林は聞き取り調査のあり方そのものに疑問を持った。

 「調査の信頼性もさることながら、周りからの影響を受けながら元慰安婦の方は証言をされたという気がする。相当昔の話なのでかなり無理があったと思う」

 聞き取り調査については自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の9年3月19日の会合で、内閣外政審議官、東良信もこう答えている。

 「(強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった」

 調査には日本政府を相手取り賠償請求訴訟を起こしていた元慰安婦ら原告側の弁護士、福島瑞穂(前社民党党首)がオブザーバーとして同席していた。

 こうした経緯を知る石原は談話について「いかなる意味でも、日本政府の指揮命令の下に強制したということを認めたわけではない」(平成17年の産経新聞インタビュー)と明言していた。

 ところが、これを覆したのが談話発表後の河野の記者会見だった。

 「調査結果は、強制連行の事実があったという認識でいいのか」との質問に次のように答えた。

 「そういう事実があったと。結構です」

 「客観的資料はみつからなかったのか」との問いにはこう述べた。

 「強制には物理的な強制もあるし、精神的な強制もある。精神的な強制は官憲側の記憶に残るというものではない。しかし、関係者、被害者の証言、それから加害者側の話を聞いている。いずれにしても、本人の意思に反した事例が数多くあるのははっきりしている」

 これは河野個人の見解にすぎない。平林は「(河野が)自分で作った談話を自分流に解釈した。資料では少なくとも見つからなかった。見つからなかったからこそ、曖昧な表現になった」と分析する。そのうえで平林は河野談話の検証を評価し、こう強調する。

 「慰安婦問題は日本を道義的、政治的に貶め劣位に置くための韓国、中国の道具になっている。当時の日本政府のやり方がおかしければ明らかにした方がいい。日本と日本人の名誉ために正面から戦っていくしかない」(敬称略)

=第1部おわり


 この企画は有元隆志、阿比留瑠比、是永桂一、田北真樹子、田中靖人、上海・河崎真澄、シンガポール・吉村英輝)が担当しました。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140405/plc14040513080011-n1.htm
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Author:nanakotedy
イタリア ローマで生まれ、10歳までイタリア育ち
大学卒業後、帰国
母方の祖父母と同居中

度重なる歴史認識の違いと言う言葉に、改めて近代史を学び直しています

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