福島県いわき市。
東日本大震災では455人の方が亡くなるなど大きな被害を受けました
いわき市では今も福島第一原発周辺の市町村から2万人以上の人たちが避難生活を送っています
一方震災から3年がたち東北屈指の観光地として知られたいわきは徐々にかつてのにぎわいを取り戻しつつあります
NHKアーカイブスにはいわき市の懐かしい映像が保存されています
本州随一の炭鉱で栄えたこの町はエネルギー政策の転換という時代の波に翻弄されました
「最後の閉山闘争を強力に展開中である!この闘いに限り…」。
炭鉱の閉山によって危機に陥ったふるさと
そこに現れたのがフラガールでした。
石炭に代わる観光産業のシンボルとなりいわきの発展を支えてきました
(拍手)
そして震災に見舞われたふるさと。
フラガールは復興のシンボルとして被災者の心の支えとなりました
閉山そして震災を乗り越えフラガールと共に歩むいわきを見つめます
(拍手)いわき市の皆さんこんにちは。
(一同)こんにちは。
「NHKアーカイブス」では被災地をお訪ねしまして皆さんとご一緒にその土地の懐かしい映像をご覧頂く公開収録を行ってまいりました。
今回はここいわき市のいわき明星大学を拠点にしましてここからお送りしたいと思います。
ゲストをご紹介します。
皆様よくご存じでらっしゃいます。
女優の秋吉久美子さんでいらっしゃいます。
(拍手)そしてもう一方ですね。
地元のスパリゾート施設のダンシングチームフラガールのリーダーでらっしゃいますモアナ梨江さんです。
後ほどすてきな踊りも踊って頂きます。
よろしくお願い致します。
よろしくお願い致します。
秋吉さんはここいわきはふるさとと言ってもいいくらいの所なんですよね。
父の仕事の影響で6つの時に小名浜に移り住みましてそれから18歳まで高校3年生卒業するまでいわきにおりました。
ここにいらっしゃる方も皆さんそうだと思うんですが自分の生まれ故郷やゆかりの場所がまさかこんな災害に遭うなんて誰も思ってなかったんですね。
そういう場所だったんだという事がしばしの間自分の中でも受け止められないまんま3年たってようやく今みんなとにこやかに話せる。
そしていろいろと未来に向けて希望が見えてきたという気持ちがします。
そしてモアナさんでいらっしゃいますけども1年足らずでダンシングチーム再開された訳ですがどうでしょう?3年余りたちました。
今はどんな日々でいらっしゃいますか?そうですね。
震災当時はもう再開は無理だなと正直思っていたので。
状況も状況でしたので。
でもこうやって震災前と現在は変わらず再開してからはお客様もたくさん足を運んで頂いて。
本当に震災前と変わらず生活をしております。
まずいわきは今から48年前昭和41年に生まれたんですね。
当時全国でも一番広い面積のいわきですがそのいわきを取材した「新日本紀行」ご覧頂きたいと思います。
発足当時のフラガールの映像も入っておりますので一緒にご覧下さい。
どうぞ。
関東から東北地方に向かう国道6号線は福島県に入ると急に山が迫ってきます。
アカマツの林の中の旧街道にひっそりとしたたたずまいを見せる関所跡。
かつて東北が蝦夷の地と呼ばれていた時代にその蝦夷の侵略に備えて作られ「勿来」つまり「来る勿れ」という意味からこの名が付けられたといいます。
後三年の役で勝利を収めた八幡太郎義家が勿来の関の美しさを詠んだ歌ですが今は訪れる人影も少なく松の老木に囲まれた旧道は日一日と秋の装いを濃くしていました。
赤茶けた肌をさらすずり山。
常磐炭田の長い歴史がここに刻まれています。
幕末の頃今からおよそ120年前土地の材木商人片寄平蔵が初めて石炭を採掘して以来石城地方は日本における主要な石炭の産地として発展してきました。
これは一つには京浜工業地帯に最も近いという地理的条件に恵まれたためで東北というよりむしろ関東の一部としての性格を形づくってきました。
ここでも戦後のエネルギー革命で中小炭鉱の閉山が相次ぎかつては200を超える鉱山でにぎわった山々も今では18の鉱業所を残すだけになりました。
地元ではぼた山をずり山と呼んでいますがそのずり山を崩す作業が今月の5日から始まりました。
長い間土地の人々から炭鉱都市の象徴として親しまれてきたずり山もその姿を変えようとしています。
このずり山を平らにしたあとに新しい住宅地の造成が計画されています。
常磐炭田には昔から一つの悪条件がありました。
それは地熱が高いため1tの石炭を掘るのに10tのお湯が湧き出る事です。
それも60度という高温のためその処置に困り川に捨ててきました。
ところが去年の暮れにある鉱山が捨てていたお湯を観光面に役立てようと炭鉱の外れに娯楽センターを建設しました。
石炭産業の不況から来る苦肉の策としてまさに180度の転換をしたのです。
一年中泳げる大温泉プールを中心に場内には豊富なお湯を利用した各種の風呂があり近郷近在からのお年寄りも交えてにぎわっています。
かつて地底で働く人々を悩ませてきた高い温泉熱ですが今では豊かな熱帯植物を育てています。
平均年齢17歳。
炭鉱住宅に育った娘さんたちによるフラダンスが始まりました。
南国ムードあふれる踊りにお客さんも思わずうっとり。
常磐炭坑節からフラダンスへ。
去年まではどの娘さんもフォークダンスさえ踊れませんでしたが1年半の練習でご覧のようになりました。
音楽も元炭鉱の従業員です。
そのほかここの従業員は全て炭鉱に関係のあった人たちばかりです。
会社の企業合理化に加えて炭鉱離職者の再就職にも役立ちました。
かつて石炭の積み出し港だった小名浜港はこの10年ぐらいの間に東北でも指折りの商業港に生まれ変わりました。
小名浜港を訪れる外国船の数も年ごとに増えており国際港としての色彩を濃くしています。
更に10月1日には浜通り南部の勿来内郷常磐磐城平の5市と石城郡の9か町村が合併していわき30万都市が誕生します。
小名浜港はこの新しい都市の出入り口として一層大きな役割を果たす事になります。
小名浜港に隣り合った常磐工業地帯には重化学系の工場が集まっています。
広い土地と豊富な工業用水に恵まれているために大手の企業も進出してきました。
特に最近では銅の製錬を中心とする硫酸コンビナートが建設され臨海工業地帯として目覚ましい発展を遂げています。
その工場地帯の中ほどにひときわ高くそそり立つ煙突があります。
高さ170m日本一高い煙突だと地元の人の自慢の種です。
10月1日に合併して新しく生まれるいわき市は暫定的に平仮名で市の名前を表す事に決まりました。
面積は1,260。
札幌市を上回る広さです。
日本一の煙突にふさわしい日本一広い市の誕生です。
「新日本紀行」をご覧頂きました。
秋吉さんちょうど小学生の頃でしょうか?昭和41年ですけれどもね。
いかがでした?ご覧になって…。
父が水産関係の仕事でしたので小名浜の港が臨海工業地帯になっていくのはそれも含めて小学校の時とかいろいろと重なる部分がとてもありますが湯本の炭鉱に関しましてはずり山ってこんな所があったんだとか…。
ずり山の巨大さ…大きさ…びっくり致しましたね。
モアナさんどんなふうに「新日本紀行」を…?まだまだ全然生まれてないですよね。
そうですね。
でもこうやってなかなか見れない映像を見る事でいろいろな発見があったりまた新たに話では聞いていても実際に見る事がなかった映像などもあってすごく勉強になったというかまた違ったいわきの歴史を奥深く知る事ができましたね。
いやもう…いわきは何でもありですからね。
小名浜に住んでいた頃はちょっと道路状況はあんまり今みたいによくなかったんですね。
ボコボコしてて…。
つまり港からタンカーが置いていったいろんな重たい物を運ぶトラックのおかげで道路が凸凹になっちゃう訳ですよ。
そうすると次はお魚をいっぱい載せた…。
(観客の笑い)笑ってらっしゃる方がいらっしゃるんですけど。
…という事は皆さん分かってらっしゃるんですね。
本当に…海に行かなくても漁ができる訳ですよね。
道端に落ちてるんですか?道端にじゃない。
道の真ん中ですよ。
真ん中!?もうお魚を載せたトラックが跳びはねるごとにボンボンお魚が落とされていって…。
そうすると普通の主婦が…。
うちの母は主婦ですよ。
別に昔の縄文人でも何でもないんですよ。
バケツ持って…。
(笑い)「キャ〜!」って周りで…。
道の真ん中に?みんなでワ〜ッと取りに行って…。
ワ〜ッてこうね…。
夜ごはんを道に取りに行くっていう…。
だからお魚とそれからクリとかワラビとか同じ感覚ですよね。
取っていいもんなんだっていう。
それから三崎公園の下でツブ貝とか…。
ほう!それを夏休みとか土日の休みとかにやはり両親なんかに連れてってもらってそして岩をどけてイソギンチャクとかツブ貝とかウニとか…。
今は禁漁とかいろいろありますけどね。
法律もしっかりしてきて…。
そのころあんまりしっかりしていないそういう時代なので「これはいい!」なんていう感じでいろんな物取ったりとかさんざん自然を味わわせて頂きました。
いわゆる野性児だったという事ですね?海も山も駆けて…。
田んぼに行ったらイナゴを捕ってそしてお母さんにつくだ煮にしてもらったりとか…。
今女優をやってるこういうちょっとセクシー系なんですよ。
(笑い)イナゴのおかげでセクシーになって…。
先ほどから皆さんうなずいたりしていらっしゃいますがちょっと会場の皆さんに伺ってみたいと思うんですが…。
炭鉱の廃湯が流れてる川に行くとメダカばっかりじゃなくてグッピーが泳いでたんですよ。
あっそうですそうです!グッピーというのはいわゆる…。
熱帯魚ですよ。
そうです!今思い出しました。
遊んだ記憶がありますね。
何か「はい」って声が聞こえましたけど…?はいどうぞ。
あらこんにちは。
こんにちは。
先日はお世話になりました。
同級生です。
セツコさんです。
私が子どもの頃はさっき60度のお湯を川に捨ててるという事だったんですけどお風呂を川に入ってた事あります。
子どもだけじゃなくて大人の方も入ってて土手に洋服を脱いで大人の方は下着着てたのかどうかは覚えてないんですけど電車が行くと手を振ったりとかして…。
(笑い)私のおばなんですけれども土手に洋服を脱ぐと盗まれてしまうので風呂敷にくるんで頭の上に載せて入ったという話を聞いた事があります。
いろんな豊かさのある魅力的ないわきだというのがよく分かったんですけれどもその一つの象徴が炭鉱だと思うんですが実は昭和46年大規模な炭鉱の閉山が決定しました。
激しい労働争議が起こったんですね。
そのころの番組をここで今度はご覧頂きたいと思います。
「人間列島みちのくの椰子の葉陰で」。
短縮版でご覧下さい。
・「ハァー朝も早よからヨー」・「カンテラ提げてナィ」・「坑内稼ぎもヨー」・「ドント国のためナィ」「今回突然の5,000名に上る4月29日付き全員退職という会社提案はそこに働く従業員に急な生活設計を立てる余裕を全く与えないものであり我々は限りない怒りと不満を抱いている」。
「一山一家」。
それが80年続いたこの会社の合言葉であった。
1期生と呼ばれる18人の娘たちでこのダンシングチームが結成されたのは6年前である。
1期生はいずれも炭鉱従業員の娘たちであった。
会社が当時としては風変わりな企画を打ち出した時娘たちは毎日の厳しい練習に耐える事で会社の期待に応えた。
一日4回のステージに午前午後のレッスン。
寮に帰るのが夜9時過ぎ。
公休日以外の外出は許されない。
一山一家の理念に育まれた常磐の人々はその事を誇りにした。
もう少し下だけ短くしちゃっていい?これ?うん。
ハワイアンセンターの出現で生き方を変えたのは娘たちばかりではなかった。
有能な炭鉱労働者でありまた長い間労働組合の幹部として常磐だけでなく全国をオルグして回った男である。
会社の新しい事業には労務担当職員と彼のような組合活動家とが送り込まれた。
給料は以前より少なかった。
山の男たちに号令をかけていた彼が若い娘たちに手を焼いた。
しかし甘んじてそれを受けた。
一山一家はそうあるべきだった。
はい回って。
少し回って…。
一山一家は労働者の定着率のよさを誇っていた。
一山一家とは資本家と労働者とが互いに協調し合ってこの炭鉱と運命を共にする事であった。
だからここの労働組合は本格的な争議を経験した事がない。
会社は常にできるだけの事はしてくれる事になっていた。
有り余る温泉を利用して常夏のレジャーセンターを造るという構想を経営者が打ち出した時常磐の人々は一様に首をかしげた。
南の島から本物の椰子の木をたくさん持ってきてまで採算が取れるのだろうか。
東北にハワイがある。
これを一番喜んだのは東北の農民たちだった。
「常磐ハワイ観光団」と書いたバスから降り立った客たちは辺りに行き交う人々の東北なまりと農村の人らしい風情を感じ取ってほっと安心する。
ここは長い冬を忍んできた人々が手軽に利用できるオアシスとなった。
かりそめの椰子の葉陰で人々は減反も出稼ぎも忘れてつかの間の解放感に浸る。
今ハワイアンセンターは年間150万人の客を集めている。
併設されているホテルやレストハウスは何か月も先まで予約が詰まっている。
椰子とフラダンスと大衆向きの料金とが図に当たった。
そして一山一家がこれを支えバンドリーダーからウエイトレスまで全てが炭鉱関係者である。
炭鉱で働く人々も年若い妹を見る思いでこのセンターに声援を送った。
お客様はどちらからなんですか?原ノ町から来ました。
原ノ町から。
原ノ町と申しますとあそこは野馬追の有名な所でございましてね。
同じ福島県でございますけれども。
どうもどうもありがとうございました。
閉山退職金を巡る会社の回答が要求とあまりかけ離れていた事から一山一家にひびが入った。
「金がないならハワイアンセンターを売り飛ばせ」。
そんな不満も聞かれるようになっていった。
「会社側から出された内容は先ほど申し上げましたとおり労働組合の要求そのものに非常に遠いものがございます。
従いまして我々は今後会社側より出されます回答が具体的な回答が前進あるものでなければ明日以降48時間のストライキには自動的に突入致しますので組合員の皆さん今後の交渉の進展に十分ご注目願いたいと思います!」。
(取材者)お客さんはどうですか?どういう事…。
まあ…今はそうですね。
1期生も少なくなっちゃったし。
今ですか?ハハハ!う〜ん…。
好きで…。
フフ…。
(取材者)話は変わりますけども…会社側としてもそういう事はもう何年か先に考えてたと思うんですね。
そういう事で大変ショックでした。
「我々は親子2代3代にわたって常磐炭礦会社のために『一山一家』の合言葉のためにだまされてきたのであります。
社長はあのハワイアンセンターにいる時には赤いアロハを着て胸を反り返しセンターの中を我が世の春だと言わんばかりにのっしのっしと歩いているのであります」。
炭鉱閉山が発表された時会社は既にハワイアンセンターの方が親会社になっていた。
今後センターのお湯を確保するために炭鉱は小規模な別会社を作って部分的に操業する。
(取材者)どちらからおいでですか?新潟県佐渡です。
(取材者)この中どうですか?暖かくていいです。
本当に…。
夢のようです。
(取材者)今佐渡は雪ですか?雪です。
ただいま〜!はいお疲れさまでした!ただいま!ただいま!はいお疲れさまでした。
はいお疲れさまでした。
ただいま。
お疲れさまでした。
はいお疲れさま。
3月18日閉山を巡る条件闘争は終わった。
退職金は1人平均189万円である。
4月上旬通産省に正式な閉山届が提出され常磐炭鉱は80年の歴史を閉じる。
本当に常磐から離っちゃぐねえ自分が…。
いいとこだと思って今まで勤めてきただけに…
(取材者)夜寝ててもふっと考える事あるでしょ?・「ハァー朝も早よからヨー」・「カンテラ提げてナィ」・「坑内稼ぎもヨー」・「ドント国のためナィ」・「ハァー娘よく聞けヨー」・「炭掘りさんの嬶はナィ」・「ガスがドント出りゃヨー」・「ちょいと若後家だナィ」ワン!ツー!スリー!フォー!ワン!ツー!スリー!フォー!ファイブ!シックス!セブン!エイト!プリエ!はい体まっすぐ!かつて山を栄えさせたのはこの娘たちの母親が流した汗であった。
今母親とは違うしかたで娘たちは汗を流す。
はいピッと張って!いきます…!昭和46年放送の「人間列島」ご覧頂きましたけれどもどんなふうにご覧になりました?ドキュメンタリーの力の強さですね。
私自身は炭鉱と深く関わってきた訳ではありませんがすごく胸に響きました。
同じいわき市の中に住んでいてもやはり炭鉱の方には目が向かなかったんですね。
でも高校生の時に進学クラスだったんですが私より成績のいい子が何で大学行かないのかなと思ったんですよ。
そしたら彼女のお父さんが今炭鉱に勤めてるんだけどでもこれから難しくなるので仕事の事も。
だからあえて大学には行けないんだよ。
このままもう専門学校も行かずに働くんだよという話を聞いた時にも「ああそうなんだ。
いろいろあるんだな」ぐらいの考え方だったんですね。
でもその裏にこういう事があったんだなっていうのをひしひしと感じましたし。
ちょうどその昭和46年ごろというのは高校生の頃でお友達子どもたちにもそういうふうに少なからず影響があったという事ですよね。
そうです。
映像の中に当時の初代のリーダー小野恵美子先生の言葉昔は裸踊りだ何だといわれていたけどもでも自分たちは芸術を踊っているんだ。
表現しているんだという言葉がすごく私の中では印象にすごく残っていまして。
その中でもその当時は炭鉱の閉山という危機があってでも今回私たちが実際に体験したのは震災という危機があってという。
その時代時代で状況は違うんですけれどもそういう部分がすごく昔と今とすごくだぶって見えた部分があるので本当に福島の復興のシンボルという事でたくさんの方に目を向けて頂いて応援して頂いてという形で今の私たちがいるんですがやはりそういった部分では多分昔も今も変わらず常磐炭鉱の先ほど言ってた一山一家というDNAを今でもそういった部分で引き継いでいっているのかなとも感じますね。
フラガールの皆さんも実は被災者でいらっしゃって実際にすぐはショーはできなかった訳ですがそれでも皆さんは被災者の皆さんの所を回って全国キャラバンを始められたんですね。
全国125か所ですかね。
回らせて頂いて本当に一番最初は慰問公演という形で避難所からスタートしたんですが最初は避難所を回るって言った時にはもう回りたい踊りたいという気持ちとでもそれに反対にして不安な気持ちの方がすごく大きかったんです。
でも本当に避難所の皆さんはフラガールの皆さんにどんなに勇気づけられたか励まされたか分からないと思うんですがその辺りを平成24年2012年になります。
「特報首都圏」。
首都圏で放送した番組なんですが「フラガールにもらった勇気」。
短縮版でご覧頂きたいと思います。
去年3月11日。
フラガールたちのステージがあるリゾート施設も大きな被害を受けました。
壊れて使えなくなったステージの代わりにフラガールたちは全国の避難所に向かいました。
はい拍手頂戴な。
(拍手)はいありがとうございます。
そこには家や大切な家族を失った人たち。
・「小さな光が」・「ささやかなしあわせを」・「祈ってる」埼玉県で避難生活を送る…夫と1歳の佑矢くんの3人で暮らしています。
震災前福島第一原発から7kmの富岡町に住んでいました。
家は結婚した1年前にリフォームしたばかりでした。
近くに住んでいた今野さんの両親は毎日のように孫に会いに来ていました。
当時生後3か月だった佑矢くんを抱いて埼玉県内の避難所を2か所回り今のアパートに移り住んだのは震災から5か月後の事でした。
自宅のある区域は戻る事が許されていません。
しかしたとえ許されたとしても佑矢くんの事を思うと帰れないと考えています。
今野さんは今経済的な不安も募っています。
毎月およそ10万円もらっていた失業給付は3月まで。
更にこれまで無償で借りていたアパートの家賃の補填も3月まで。
今後は毎月6万円家賃を支払わなければなりません。
収入が減っていく中で増えていく支出。
そんな避難生活が続く中で出会ったフラガール。
幼い頃から何度も見に行った思い出がよみがえりました。
今野さんの両親は原発から50km離れた福島県いわき市に避難しました。
2年間の期限付きで古い民家に入る事ができました。
埼玉県に避難した娘や孫とは会えなくなりました。
佑矢くんの姿を写真でしか見られなくなったおじいちゃん。
警戒区域に一時帰宅した時持ってきたアルバム。
幼い今野さんを連れてフラガールを見に行った時の写真です。
母になった娘と孫を連れてみんなでフラガールに会いに行きたい。
1年かけて行われた大がかりな修復工事も終わろうとしていました。
フラガールのサブリーダー…フラガールのほとんどは福島県出身。
彼女たちもまた被災者でした。
施設の修復が進む中オープンの日を目指して練習に熱が入ります。
ちゃんとやる時やんないとやってる意味ないよ。
はい。
はい。
ありがとうございました。
サモアいきます。
高校卒業後フラガールの試験に失敗した大森さん。
ダンスの学校に2年通ってようやく念願のフラガールになれました。
小学生の時初めてショーを見て以来夢となったフラガール。
そんなフラガールになる夢を常に応援してくれたのが一緒に暮らしていたおばあちゃんでした。
去年9月大森さんはフラガールに密着したドキュメンタリー映画に出演。
その映画の中におばあちゃんの家を訪ねるシーンがありました。
町は震災直後のままでした
おばあちゃんの家は跡形もなく無くなっていました
残っていたのはお風呂の浴槽だけでした
そして映画の中では震災前に大森さんが両親と暮らしていた家にも。
まるでそこは時が止まったままのようでした。
カレンダーも3月のままです
あの原発の排気筒が見えるんですよ。
ずっと帰ってなかったので葉っぱとかで見えないんですけど。
いつもだともうちょっとすっきり。
まさかこんなにも変わり果てるとは正直思ってなかったので。
今回また4月以来に久しぶりに来たんですけどまたこの景色がまた目に焼き付いたまま毎日これから過ごすんだなあというのは思いますけど常に胸の中にはしまっておきたいなというふうに思いますね。
廃校になった県立高校が避難所に使われています。
ここは大森さんのふるさと双葉町の人たちが集団避難している場所です。
ここではふるさとに帰るめどが立たないままおよそ600人が避難生活を続けています。
この避難所でフラガールが踊ったのは震災から2か月後5月の事でした。
生き残った人も苦しみや悲しみをたくさん抱えている。
その事が大森さんの胸に突き刺さりました。
それでも込み上げてきたのは生きて会えてよかったという思いでした。
リゾート施設のオープンを明日に控えた2月7日。
東京駅から出発する高速バスはフラガールを一目見ようというお客でいっぱいでした。
その中に埼玉県で避難生活を続ける今野さんの姿もありました。
フラガールを見に行こうと両親に誘われたのです。
東京から200kmおよそ3時間の道のり。
間もなくスパリゾートハワイアンズ到着致します。
佑矢!お久しぶりだなぁ。
離れ離れになった両親との久しぶりの再会。
震災の時ハイハイもできなかった佑矢くんは歩けるようになっていました。
朝10時行列は100mを超えていました。
この日がようやく来た。
会いたかったフラガール。
アロ〜ハ〜!
(歓声)
(拍手と歓声)全国各地の避難所で踊り続けてきたフラガールが今再びステージに立ちました。
家族がバラバラに避難生活をしている大森梨江さん。
この日自分が踊る姿を一番見てもらいたい人が駆けつけてくれました。
フラガールになる夢をずっと応援してくれたおばあちゃん。
震災を機に踊る事の意味を見つめ直した大森さん。
見てくれる人たちに届けたい思い。
もう一度ふるさとに帰りたい。
それはかないそうにない遠い夢。
もう一度取り戻したいふるさと。
・「雨上がりの虹を追いかけた」復興へ。
みんなの願いを背負ってフラガールたちは踊ります。
・「映る光を」・「君の涙を」・「そして笑顔を」・「僕はいつまでも」・「忘れないから」番組で取材をさせて頂きました今野さんですが今は埼玉県の越谷市からこちらいわき市の方に移り住んでいらっしゃるそうなんですね。
そしてお子さんも今2人目が生まれたという事です。
秋吉さんご覧頂いていかがでしたか?フラガールの人たちに関連したいろんなドラマがあってモアナさんにしてもご本人にもすごいドラマがあってそのご親族の方とかね。
ダンスの裏にほほ笑みの裏につらさもあって強さもある訳ですけどそれだけではなくてやはりなぜこんなにご覧になった皆さんも私もそうなんですけどこう胸に迫るもの思わず泣きたくなるようなそういうものがあるかっていうと多分踊る楽しさっていうかそのエネルギーがあるからだと思うんですよ。
つらいつらい強くならなきゃ強くならなきゃじゃなくてやはり踊る楽しさ見る楽しさがあってそこに帰りたい。
それを思い出にしたい。
そしてそれでやっていきたいっていう。
それがフラダンスそしていわき市の今象徴になっていますこのハワイアンズの復興という事に結び付いてるのかなと思いました。
それにしても双葉町のご出身なんですね。
今ご家族はどうしてらっしゃる?あの〜モアナさんは寮暮らし?私は寮暮らししています。
家族はいわきの方に近くに家を借りて住んでいます。
震災から3年以上たちましたしそして全面オープンから2年ですがどんなお気持ちでずっと踊ってこられたのかしら。
そうですね一回一回のステージが本当に楽しくて震災後は特に震災前もそうでしたが震災を経験してからは当たり前の生活であったりそういう当たり前の事というのが本当にどれほど幸せな事かというのも感じましたしやっぱり自分たちだからこそ伝えられる事がやっぱり絶対あると思うのでそういうものを自分たちができる事を進んでまた皆さんと協力し合いながらやっていけたらいいなという思いはダンサー一人一人強い思いはありますね。
こういう事を乗り越えてきてまた重みのある50年目というものを迎えられるのでそれを誇りに思ってまた次の100年に向けて50年に向けて進んでいけたらいいなというふうに思いますね。
なのでまたこれからもたくさんの方に応援をして頂いて私たちもできる事をしっかりやって盛り上げていけたらいいなという思いはあるのでこれからも応援よろしくお願いします。
(拍手)さあそして秋吉さんいわきをはじめ東北各地を応援で回ってらっしゃいますが今どういう活動を中心にしてらっしゃるんでしょうか?いわき市の山の中の夏井川渓谷とかあの辺りそちらに古民家を引き継いでちょっと住む方がもうそちらには住めないという事で引き継いでそこを福島県内外の方の交流の場所でもありあるいは「ああ日本の里山っていいもんだな」って福島の里山なんだけど日本の里山ってこういうもんなんだってここがこのまま復活していけば日本全体の里山こんなにいいとこなんだなって事を気が付いてもらってお互いの幸せ幸福感をシェアできたらいいなという事でそこを活性化していけたらいいんじゃないのかなとそういう事も始めたりしてお披露目があったばかりなんですけどね。
いわきの皆さんへのメッセージ復興へのメッセージお願いできますか?東北の方々はどんなつらい時にも「ギャ〜ッ!」って叫ばないでほほ笑みで「ちょっとくたびれてしまったな」みたいな言い方をするんですがほほ笑みの東北だと思うんですよね。
その中に品格とか我慢とか強さが秘められていると思います。
それは日本の美徳でもありますしそれを全国に今回の震災をただ被害者として受け止めたりかわいそうな東北というふうに主張していくのではなくてこの東北の美しさを逆に全国に向かって発信していく時なんじゃないのかなというふうに私は思います。
一緒に頑張っていきましょうと申し上げたいです。
私たちもこれからも応援をさせて頂きます。
本当どうもありがとうございました。
(拍手)さあそれでは皆さんここでフラガールの皆さんに最後ですが一曲踊って頂けるんですよ。
どんな曲を踊って頂けるんですか?今回の曲は「アイナふくしま」といって「アイナ」とは日本語で「ふるさと」という意味なんですがふるさと福島への思いを語ったオリジナル曲になるので是非皆さん聴いてよければ是非踊って頂けたらうれしいです。
それではフラガールの皆さんで「アイナふくしま」です。
2014/06/01(日) 13:50〜14:55
NHK総合1・神戸
NHKアーカイブス「ふるさとはフラと共に〜福島県いわき市〜」[字]
福島県いわき市。かつての炭鉱閉山、3年前の震災と地元が困難に直面した時、そこにはフラガールの姿があった。ふるさとの再生に大きな役割を果たす彼女たちを見つめる。
詳細情報
番組内容
【ゲスト】秋吉久美子,フラガール…大森梨江,【キャスター】桜井洋子
出演者
【ゲスト】秋吉久美子,フラガール…大森梨江,【キャスター】桜井洋子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
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