徹子の部屋 2014.06.06

およそ3万匹のスズムシを人工ふ化させました。
飼育ケースの中に草花やコケを入れスズムシが過ごしやすい環境を作っているため自然に近い美しい音色が楽しめます。
8月末までに、およそ2000セットの注文を見込んでいます。
(黒柳)さあこのお美しい方は一体どなただか皆さんおわかりにならないかもしらないんですけど時代劇のほうに皆さんが強い関心をお持ちかもしらないけどこの方本当はシンガーソングライターが…本職といっては変なんですけどもご自分がお出になるもののテーマをお作りになったりもするんですがシンガーソングライターになって30周年。
俳優のほうが35年という京本政樹さん今日のお客様です。
よろしくお願いします。
どうも。
お変わりないですね。
そうですか?本当に?お世辞じゃなくて?お世辞じゃなくて本当に。
じゃあうれしいです。
あなたも全然お変わりないんですけど。
でもお変わりあるのはこれから後であなたの息子さんに出ていただこうと思ってるので。
そこのとこが大変わりだなと思いますよね…。
僕だから徹子さんとお会いしてから30年経つんですよね。
その間にいつの間にか息子さんがいらっしゃって…。
後でご説明いたしますけど。
それで親子で出たの初めてですってね?親子の共演。
テレビ初めてですね。
テレビ初めて。
息子さん後から出ていただくんですけどもとにかくまあ何といってもこの方が皆さんは時代物の俳優さんと思ってらっしゃるかもしれないけれども…。
今日はギターもお持ちになってるんですけど。
こういったシンガーソングライターをお始めになってから30年ということでございますが。
なんか中学生の頃井上陽水さんにすごく憧れてたんですって?そうですね。
元々はジャニーさんに声をかけていただいたのが12〜13歳ぐらいなんですけど。
でもシンガーソングライターっていうのはその頃ちょうど出てくるんですよ世の中に。
それで井上陽水さんとか小椋佳さんが出てきて。
それで僕父親とか母親にギターをやりたいって言ったら…。
僕の姉がフルートをやってるんですよ。
そしたらうちの母親と父親は政樹も目覚めたって思ってこのガットギターを…。
いわゆる古いタイプの。
急に買ってきて。
僕は白いギターが欲しかったんですよ。
でもこれしばらく押し入れの中に。
エレキみたいなのが欲しかったんでしょ?きっとね。
でもこういう普通のクラシックのギターを。
でもそれあなた弾ける?ええ。
13歳の頃に始めてこれを…。
最初の頃はもう1年ぐらいやってなかったんですけどやってる間に曲が作れるようになって。
ちょっと何か…。
ちょっとやっていただける?何でもいいんですけど。
こうやって…。
「夢でみた」みたいな。
こういう歌をこうやって作ったりとかしてそれでそのうちに『必殺』の…。
「心に傷を隠し持ってる」みたいな曲ができてくるわけですよ。
それで劇中音楽っていうのもあって最初にタイトルバックの音楽があるじゃないですか。
ダーンダーンっていって僕らの写真が出てくる。
ああいうのとかあとパラパー…。
ちょっとやって…。
それがまあ有名だけど。
「優しい手で抱かれる夢を見るわ…」これがパララータタタタタタターン…。
「タータタータタラーンタラララーララララララン」で僕が人を殺してたんですよ。
自分の作った音楽で人を殺してた。
音楽のほうは目立たなくて。
どうしてもね。
そりゃ俳優のほうがね目立って。
まあ…京本さんという方は時代劇の奇麗な俳優さんだっていうふうにみんな何となく思って長々くいらっしゃるんですけども音楽も30年やってらっしゃる。
あれでしょ?あなた高校ぐらいの時POPCONにお出になって。
そうですそうです。
そんなこんなで入賞しなかったけどレコード会社から「来てちょっと何かやってみない?」つってお茶なんか出したりなんか…。
そうです。
レコード会社のほう行ってすぐデビューできると思ったらいきなりお茶くみやらされて。
三浦友和さんとか山口百恵さんとか郷ひろみさんのお茶を…。
お茶出したりしたの?みんな覚えてるかな…?覚えてないと思います。
ただそういう少年がいたことは覚えてると思います。
あっそう。
少年がお茶出してくれたって。
そういうことをやっていらしたのね。
そのうちどんどんどんどん時代劇のほうに出るようになって有名になっちゃって…。
レコード会社でそうやってお茶出してたら色んな方の社長さんとかプロデューサーいらっしゃるじゃないですか。
「君何やってるの?」って言われて。
いや何っていうか…。
来いって言われたから…。
「曲作ってね勉強してるんですけどなんかなぜかお茶出してます」みたいな。
そしたら「俳優なんない?」って言われて。
でその頃僕森田健作さんすごく憧れてたから歌う俳優もいいなみたいな。
それでそっちのほうにしゅーっといったらいきなり…。
俳優としてのデビューが先になって。
で『必殺』に入る手前ぐらいに『傷だらけの天使』のプロデューサーとかが…とか『必殺』のプロデューサーとか監督とかが参加して色んなプロモーションビデオとかを作ってるんですよね。
そういうのも全部入ってるのが今回6月4日に…。
今度それが…。
一つになる。
当時VHSですから。
そうかそうか…。
こういうふうにバラバラのものが。
当時のパンフレットの…。
なるほど。
コンサートの時のパンフレットの復刻とか。
これ24歳の僕と…。
奇麗ね。
こっち54歳ですね右側が。
すごいですね。
あんまり違わないように見えるけど。
徹子さんも人のことあまり言えないので。
でもあなたお奇麗。
ねっそういう…。
これ55歳ですね。
そうか。
ちょっと見てみます。
VTRで見ますね。
「京本政樹です。
皆さんいかがお過ごしでしょうか」24〜25ですねこれ。
「僕はですねこういうことになりましてですね留置場の中におります」『傷だらけの天使』のプロデューサーが演出してるんですよ。
あっそう。
ねっ。
うん。
こういうミュージックプロモーション…ミュージックビデオっていうのがまだね当時そんなにはやりじゃなかった…。
しょっぱなぐらいじゃないですかね僕が。
奇麗ねうん。
30年ぐらい前ですよね。
こっちはフィルムで『必殺』のスタッフたちが撮ってくれてこの曲も僕が作ってるんですけど。
沖雅也さんが着てた衣装を着てるんですよこれ。
あっそうなの。
はい。
ふーん。
こういうのやりたくて。
あっそうなの。
はい。
でんぐり返しとか。
でもこうやって奇麗なほうをやらされるという。
まあね顔奇麗だからやっぱりどうしてもさ…。
おお!おお…。
これがミュージックビデオとして当時発売されてオリコンとかチャートとか入ってるんですけど今となっては…あれはもうVHSの時代ですからそれを全部CDにしてDVDにして。
そういうのも全部今回のボックスには入ってます。
それでなんかファンの方が撮ってくだすった何かっていうのがあるのね。
珍しいんですけどちょっとファンの方が撮ってくださったの見ていただいていいですか。
すごい。
ライブをね。
当時ライブを撮るっていう習性ってなかった時代ですから。
出てきたんですよこの映像が。
ねっすごいね。
自分のバンドで。
なかったのねこれね。
なかったんですね。
だからほらあんまり色んなとこから撮ってないじゃないですか。
ファンの方がたぶん撮ったのを編集して僕にくれたんですよね。
うーん。
すごい。
懐かしいでしょああいうの見ると。
自分で見てもびっくりしましたから。
そうでしょう。
ちょっとコマーシャル挟みましていよいよ息子さんに登場していただきます。
後にも先にも息子さんとご一緒にテレビにお出になるのは初めてですってね。
まあ…。
これからもないかもしれませんね。
しかも名前がすごいのね。
はい。
京本大我といいます。
大我。
あれタイガーっていうつもりだったの?大きい…。
いや大河ドラマやってる時だったんですよ…。
ご紹介いたします。
京本政樹さんの息子さんの京本大我さんでいらっしゃいます。
よろしくお願いします。
こんにちは。
お父様と並んでお出になるとどんな気持ち?なんか初めてこうしてテレビで2人で並ぶんですけど本当に…家とは全く違う緊張感があります。
お父さんうちではどんなふう?家では髪の毛もボサボサで本当に普通のお父さんっていう感じです。
本当に?僕ね家に戻るとね必ず着るジャージーがあるんですけどもうかれこれ20年近く…。
同じの?同じのを着て。
新しいのをプレゼントしてくれたりするんですけどどうしてもそっちに戻っちゃうっていう…。
着やすいのね。
はい。
で頭ボサボサにして。
お父さんっていう感じなの?でもそんなこと言えないよね。
ジャージーだよね。
僕も…遺伝というか。
親子そろって。
(2人)はい。
まあそういうふうにしてらっしゃるんですけども。
お父さんと一緒に共演したでしょ?ジャニーさんが「やって」って言って。
そうですね。
滝沢君のやつで。
その舞台でお父さんと共演するっていうのはどんなもんでした?去年初めて共演させていただいて正直最初は僕すごい2世ということに…。
11歳の時からジャニーズ事務所にいるんですけども…。
そうなの。
あなたはねお父様と関係なく11歳からジャニーズJr.。
はい。
僕が13歳の時にスカウトされてるにもかかわらず彼は11歳の時にスカウトされて。
ジャニーさんってすごいですね。
それでジャニーさんの下でずっと勉強させていただいてたんですけども。
正直2世と言われるのがとても嫌で抵抗がすごいあったんですけども。
共演してみたら舞台が終わる頃にはすごいお父さんの…父親のすごいところというかかなり…尊敬の気持ちがかなり大きくなりまして。
2世と言われることもだんだん抵抗がなくなり…。
悪くはないなっていう?はい。
舞台のVTRがあるみたいですからちょっと見てみます?タッキーさんですね。
橋の上はタッキー。
僕は殿って呼んでますが。
はい殿。
滝沢君。
すごい大きな人ですよ。
これが…弁慶があなた。
お父様。
「私は真之介」これが大我ですね。
僕です。
大我!「景時様の家臣にござります」「そなた親はおるのか?」「おります」「何をしておられる?」「弁慶を」「ワシをしておるのか」「はい」「よろしくお伝えくだされ」「はっ」「ではついてまいれ」「はっ!」あそこだから何にも台本がないんですよ。
だから僕が自由に発したことに対して彼が答えるっていう。
そうなんです。
今弁慶って…。
弁慶って…。
相当おかしいよね。
でも最後にお父様が泣いた。
うんそうですね。
あの…。
最後の日。
そうやって毎日やってて。
去年はもうね…やっぱり時代劇は初めてってこともあったのでうわー大丈夫かななんて思いながら本当に滝沢秀明さんに全部お任せ状態。
ジャニーさんに全部お任せ状態で僕見守ってたんですけど。
見てただけだったんですけど。
今年は役者として成長していく姿が見えてきて。
それで一番ラストのセリフがあるんですけどそのセリフを彼が急に変えてきたんですよ。
最後の日に。
最後のセリフはこれでやってみようと思って決めてたの?僕自身が…ずっとこの舞台は本当に日々成長というのを僕の中でテーマに作っていまして毎日なるべく研究しながら芝居を変えていってたんですけども。
千秋楽の3日前に僕の中で最後は絶対こういう芝居で終わりたいっていう気持ちがありまして。
そのセリフを滝沢君にだけ許可を頂いて他には内緒で父親にも内緒で…。
何も言わなかったもんね。
ぶっつけ本番で。
はい。
このように仰いました。
ちょっとVTRご覧ください。
「真之介…」「これにて…」「本望にござりまする!」これは通常のセリフですね。
わかったわかった。
これ通常ですね。
これで死ぬんですよね可哀想に。
「真之介!」…って叫んで。
うん。
「若き…」“若き命を…”と。
これ通常ですね。
通常のとふた通りあります。
「若き命を…」「粗末にしおって…」「どうか…」「どうか…」「あなたは…」「最後まで生きていてください」セリフが変わってますよね。
「真之介!」“生きていてください”。
“生きていてください”って言われてこの時もう涙が出ちゃって。
「真之介!」「のりぞう…」他にも若者がいっぱい死んでいくんですよ。
その子たちの名前を…。
あっみんな言う。
「若き…若き命を…」長くなっちゃったんですけど。
「粗末にしおって…」よく撮れてましたねこんなの。
すごい。
皆さんおわかりになったでしょうか。
初めのほうは通常どおりのをお目にかけたんですけど最後の時はあなたが考えて「どうかあなたは最後まで生き永らえてください」と仰ったのでお父様は思ってもいないことだったので…。
僕は最初ね最初は通常どおりあの…「真之介これにて本望にござりまする」って言って「真之介!」って言ってから「若き命を粗末にしおって」ってこれ普通ですよ。
ところが急に僕のここをこうやりながら「あなたは…」って言ったから「セリフ忘れたのかな?こいつ」って一瞬思って。
で「あなただけは最後まで生きててください」って言われた瞬間に…。
この前に滝沢さん扮する殿のためにどんどん命を落としていく若者がいるんですよ。
その若者の名前はまあ「三郎」っていう名前は言うセリフあるんですけど「のりぞう」とか「十兵衛」っていうセリフは言ってないんですよ。
でもそれを僕いつも言いたいなってずっと思ってたんですよ。
でもこの「あなただけは生きててください」って言われた瞬間に出てきたんですよ自分の中から。
すごいねそれ本当にね。
それで「のりぞう十兵衛三郎!」って言ってあのあとセリフ言ってダーッと斬るんですけど。
涙流れましたね。
流れながら斬ったというか。
すごいね。
これがなんか芝居なんだなって。
自分がこんなね35年も経って言うのも変ですけど。
なんか息子とやっててそういうこと思ったの初めてだったので。
どうですか?それをあなたが仰ったらお父様がそれで涙したっていうのは。
僕も正直その時…僕は言った後死んでるんですけど。
父親のセリフを変えてくるのはもちろん聞こえるじゃないですか。
それで僕も泣いちゃって。
死んでなきゃいけないんですけど涙だけずっと出続けちゃって。
これはちょっと役者として駄目だなと…。
いやいいと思う。
でも本当にジャニーさんという方は若い人を見つけて才能を引き出すの上手だとは言いながらですよちょっと写っている写真見て「これ誰?」って言ってそれで京本さんの息子だっていうことわかったら「ちょっと見に来ない?」って言って滝沢君のをとにかく見に行った。
楽屋にお邪魔した時にジャニーさんと殿もいた…タッキーもいたんですけど。
写真が…その時の写真も残ってるんですけど。
それで…こうやって座りながら急に彼に「出ない?」って急に言って。
ジャニーさんが言う。
「出ない?」って。
でもまだ11歳だから固まってるわけですよ。
それで僕も笑いながら「いやいやいやいや…」とかって言いながら。
なんか泥だんご作ってたんだって?当時まだ子供で。
大好きでした。
それで僕はただひと言だけ言ったんですよ。
「もしなんかそういうことをやりたいって思う意思があったらああいった時に自分で“やりたい”って言わないと駄目だよ」みたいなことだけ言った記憶があるんですよ。
そうしたらそのあとジャニーさんが結構頻繁にもう僕を通さないで連絡して呼んでくださってたみたいで。
それでKAT‐TUNのコンサートに行ったことは…知ってるんですよ。
行ったらオーディション生と一緒に僕も踊ることになりまして急に。
練習してたらその踊りを見てジャニーさんがなんか「今日の夜公演に出ちゃいなよ」って急に…言われまして。
もうねジャニーさんがそれですごいっていうのは聞いてはいましたけどそんな初めて来てちょっとやった子に「もう今晩出ちゃいなよ」って言って…。
その「今晩出ちゃいなよ」がVTRに残ってますので。
またですか。
そうよあるらしいわよ。
11歳。
あっこれ左側。
亀梨君の…右側。
「何歳ですか?」「11歳です!」この子ねこの子。
今の…今のだけなんだ。
亀梨君の左側にいて「11歳です!」。
あのあとだから当時『青春アミーゴ』がね。
そうです。
ちょうど大ヒットしていまして。
あの時にちょっと踊ってるところのVTRも…。
これこれ…この子この子!初めて?これ自己流ですよ。
これたぶん。
小さいよね。
それで自分で適当に…。
後ろにKis−Myの…二階堂君が。
そうかそうか。
うん。
衣装をなんか着せられたらしいんですけどピンクのね。
『青春アミーゴ』がちょうどはやってたからなんかずーっとモジモジしながらテレビ見てるの僕たまたま家で見てたんですよ。
そしたらみんな「SI」ってこうやって踊ってたじゃないですか。
でそんなに好きだったらやってみりゃいいじゃんっていう記憶が僕あるんですよ。
で夜帰ってきたらじゅうたんが毛玉になってるんですよ。
ずーっとやってたらしいんですよ。
やってたの?すごい。
だからもう…この時研究生とか発表されちゃったんですけど実は入ってないんです。
素人なのね本当はね。
ド素人です。
初めて出たっていう感じなのね。
でもあなた随分棒のようなお体の方ですね。
細いんですよね。
細いっていうの?なんかね。
でも僕もそうでしたから。
ちょっと立ってみていただいていい?なんか本当に棒のように…。
いいねこういうのってさ。
本当に若々しい。
泥だんごをこの間まで作ってたっていう感じがするんですけど。
今もうそうするとジャニーズJr.に入って何年っていうことになるの?今8年経ちましたから9年目に突入しました。
もうそんなになるの?でもあなたもご自分にさ結婚してるの?っていうような感じのあなたがこんな大きな息子がいて…。
もうね舞台やってる時もね公開処刑みたいな感じですよね。
そうでしょう。
絶対そう思うわよね。
うちのファンの方とかも…。
あんまり僕も私生活とかそんな語りたくない人なので。
なのに公開処刑じゃないですか。
一緒に出てね息子だなんてさ。
でもなんか頑張ってる姿見ると「これはもうじゃあお互い頑張って…」なんて言ってね。
でもこうやって暮らしててお父さんに何か直してほしいっていうとこあります?ここんとこはちょっとやめてもらいたいっていうような。
直してほしいところ?でもあれですね…部屋はもちろん別々なんですけども僕の寝てる時とか…朝まだ眠いのに寝てる時とかに僕の部屋に何もノックもなしに入ってくる時があるんですよ。
それでなんか…この前だったら自分の発売するDVDボックスが完成したから…。
朝…僕もちょっとその前仕事があったのですごい眠かったんですけど朝急に8時とかに起こされてDVDボックスの完成品を見せられ。
僕も眠くてあんまり記憶にないんですけど事細かくこっちにはこう入ってて…。
なんか今となっては一番身近な意見を言ってくれる人に自分の中でなっちゃってるんですよ。
わかるわかるうん。
これ大我どう思う?みたいな。
こういうのできてきたんだけど…。
思ってもいなかったのにね。
ところがそれがちょっと朝早いんですけど。
すごい起こされるのがちょっと悩みかなっていうのありますね。
もうちょっと寝た後だったらばいいっていう感じ?昼とか。
『忍ジャニ参上!』という時代物。
はい。
『忍ジャニ参上!未来への戦い』っていうのだそうですけれどもここで親子共演してらっしゃるので…。
もうそんなこと言いたくないもヘチマももう…。
映画にまでって…ちょっと見てください。
私も見ます。
関西ジャニーズ新世代集結
「我は忍び。
闇に…」「痛っ!痛い痛い痛い!」
痛快!でもちょっとズッコケな忍ジャニたちが関西狭しと駆け回る
「勝負いたせ」
江戸忍者との対決に悪徳藩主の悪だくみ!
「俺ら仲間でしょ!」
果たして彼らの運命やいかに!
「俺一人では忍びではないんです」「ヨッ!」「いや飛ばへんのかい!」フフッ。
なんだか全然わかんなかったけど。
これが要するにその…京都映画っていいましてね京都の松竹撮影所なんですけど僕の出世作の『必殺仕事人』を撮ってたスタッフたちと…。
また公開処刑なんですよ。
まさか京都映画まで…松竹の撮影所まで…なるっていうのがなんかねずーっと追ってこられるから。
映像で初めての絡み。
しかもそれが時代劇ですから。
時代劇。
そこちょっと見てみます?そこんとこ見られるみたい。
「この代償は高くつきますよ」ここ?ええ。
大我と僕が戦うんですよ。
横にいる子は森本慎太郎君という…。
これあなた?はい。
あらら…!で手裏剣投げられるんですよ。
「ハッ!」大我君どうしました?弱いですね僕。
左?あれっあらら。
ボロ負けです。
いや…だからこういう『必殺』を撮ってた場所で息子とやるっていうのが…。
だからほとんどしゃべんなかったですね現場で。
あっなるほど。
はい。
でもそれが今見れてうれしかったですけど。
映像に残してもらえるっていうのは生涯の記念に…。
そうよね。
だって映像に残るんですものね。
あなたもほら初めの頃は家族のことなんか何にもお話しにならなかったじゃない。
それがだんだんだんだん変わってって。
ですね。
聞かれることも逆になかったんで。
そうよね。
そうそう…それはそれで結婚してらっしゃるかどうかもわかんないような様子だったんでね。
あんまり伺わなかったんだけども。
こんな今や立派な息子さんがいらっしゃって。
私よ黒柳徹子よ。
ハハハ…。
それじゃ頑張ってくださいね。
京本さんの親子に今日は出ていただきました。
ありがとうございました。
続いては『おしゃべりクッキング』。
上沼恵美子さんです。
どうぞ!2014/06/06(金) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋[字]

〜貴重!親子テレビ初共演〜京本政樹さん、京本大我さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
芝居以外での共演は初!京本政樹さん&ジャニーズJr.京本大我さんが登場!!
◇番組内容
俳優のイメージが強い京本政樹さんだが、実は歌手活動が30周年を迎えた。今日は、中学の時に両親から貰った思い出のギターを持参し、歌手としての歩みを振り返る。現在、ジャニーズJr.として活躍する息子・大我さんが「2世」と見られることに対して複雑な思いを抱えていたことを明かす。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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