唐や新羅などの滅亡をきっかけに…歴史の大海原を旅するキャプテン歴史アイドルの小日向えり。
世界中のさまざまなゲストと一緒にいざ船出しよう!
(小日向)私の歴史の部屋へようこそ。
今日は中国にゆかりのある方がいらっしゃいます。
(林)お邪魔します。
初めまして。
初めまして!林丹丹です。
タレント発掘オーディションのグランプリをきっかけに芸能界入りした林丹丹さん。
日本人の父と中国人の母を持つ国際派の国民的な美少女です
私の母は中国の北京出身で漢民族なんですがちょうど今日のテーマも漢帝国という事で「漢」つながりで。
今日は私からお土産があります。
はい。
女優の丹丹さんが…。
こちらです。
ジャン!「平成」。
ちなみに私も平成元年生まれなんですが。
何ですか?平成生まれアピールですか?これは。
すいません昭和生まれで。
そんなに変わらないですよ。
大きい壁がここにありますよ。
何ですか?この「平成」って。
平成というのは元号ですよね。
この元号というのは実は漢帝国にすごく関わりがあるんです。
えっ漢帝国に?そうなんですか。
もう一つありましてこちらは…。
はい。
漢帝国初代皇帝の妻呂雉さんです。
私をお呼びか?現在まで続く中国という国の土台をつくったともいえる漢帝国。
私こそがその初代皇帝の妻呂雉である。
私は生涯を通じて夫を支え子を育て家臣らを導き安定した支配を確立するために力を尽くした。
今回紹介する時代は紀元前3世紀末から紀元後の3世紀初めまで。
およそ400年間中国を統一支配した我が漢帝国はその後の歴代中国王朝のモデルとなり周辺の国々にもさまざまな影響を与えたのだ。
その証拠に漢字や漢文などお主らの周りに「漢」と付くものがいくつも見つかるであろう。
さあ中国の原点ともいうべき偉大なる漢帝国の歴史を語って聞かせよう。
そもそも「漢」ってどういう意味なんですか?実はもともと地名で中国のほぼ中央現在の陝西省辺りの事をいうんです。
地名なんですね。
そうなんです。
それが現在では中国全体を表す言葉になっていて私の母も北京出身で漢民族ですし中国の南の方に住んでいる方のほとんどは漢民族なんです。
それって日本でいう「大和」ですね。
奈良の昔の呼び方を大和っていうんですね。
いいますね大和。
それが今大和魂とか大和撫子とか日本全体を表す言葉になってますもんね。
いやすごい興味湧いてきました。
漢の事知りたいです!それでは早速呂雉さんに聞いてみましょう。
呂雉さ〜ん!呂雉さ〜ん!よろしい。
それにはまず秦の時代から話を起こさなければなるまい。
秦の始皇帝は中国の統一という大事業を成し遂げはしたがその後の政治はあまり褒められたものではない。
急激な改革相次ぐ土木事業や対外戦争などで民衆を苦しめていたのだ。
そんなある日のこと。
私の父親がうたげの席で出会った農民出身の男に私との結婚を申し込んできたと言いだした。
常日頃私の嫁ぎ先は高貴な人に限ると言っていたのにだ。
その男は沛という町で亭長という治安維持を主とする仕事をしていた。
言ってみれば秦の下っ端役人である。
しかし彼こそが後に漢帝国初代皇帝となる劉邦であった。
私の父は一目見るなり劉邦の人相にほれ込んでしまったらしい。
顔が長く鼻は高く突き出た龍顔というめったにない人相なのだそうだ。
実際劉邦は親分肌で人望が厚く人を引きつける魅力があった。
私は劉邦との間に2人の子をもうけつつましやかにしかし幸せに暮らしていた。
ところが紀元前210年ある出来事をきっかけに私たちの運命は大きく動き始める。
秦の始皇帝が亡くなり各地で秦の支配に対する反乱が起きたのだ。
我が夫劉邦もその戦いに身を投じやがて反乱軍のリーダー格にまでのし上がっていった。
反乱軍にはもう一人リーダーがいた。
それが項羽。
後に劉邦のライバルとなり覇権を巡って争う事となる男だ。
項羽は秦に滅ぼされた楚という国の貴族の家に生まれ若いうちから兵法を学んでいた。
更に身長2mを超える巨漢で人並み外れた武力を誇るエリート軍人だった。
項羽と劉邦は性格も随分違っていた。
始皇帝について語った言葉にそれがよく表れている。
項羽は祖国を滅ぼされた恨みもあって……と反骨心をあらわにしたそうだ。
しかし劉邦は……と言った。
始皇帝の偉大さを受け入れる懐の深さがあったのだ。
紀元前206年2人の活躍によって…そして楚の国の復興を掲げる項羽と漢の地に拠点を得た劉邦いずれが権力を握るかの争いになっていく。
西楚覇王と名乗った項羽と漢王劉邦の戦いだった事から楚漢戦争と呼ばれている。
戦いは項羽が優勢だったが最後の最後で勝利したのは劉邦だった。
この時項羽軍を包囲した劉邦の軍勢が楚の国の歌を歌いだした。
思いがけずふるさとの歌を耳にした項羽は多くの兵士が劉邦側に寝返ったと驚き絶望したという。
「四面楚歌」という言葉の元になった大変有名なエピソードだ。
項羽を倒した劉邦は家臣の勧めに従って…紀元前202年その後400年にわたって中国を支配した漢帝国はこのようにして誕生したのだった。
劉邦って農民出身なのに皇帝まで上り詰めてすごいですね。
でも劉邦が勝ったから結果からするとよかったんでしょうけど項羽は兵法も武力もすごく優れていて一人ずば抜けて強かったんです。
一人の能力値としてはすごく高いかもしれないですけど劉邦はですねすごい人望があって仲間がいっぱいいてそのおかげできっと皇帝になれたと思うんですよね。
懐が広くて始皇帝を見た時に「こういう男になりたいものだ」っていう言葉すごい器の広さが表れてると思いません?確かにもっと項羽は周りの側近の話を聞いているとまた違った判断ができて戦いも違う方向に向いたのかもしれないんですけどでも彼のまっすぐさ自分の信念特に最後降伏して生きる道を選ぶんではなくて将軍としてのプライドを保つためにそこで自害してしまうんです。
かっこいいですね。
そのまっすぐさがかっこいいんですよね。
でも結果よければ全てよしというか勝った者勝ちじゃないですか?切りがないですね。
そうですね今平成の楚漢戦争みたいになりましたけど。
項羽がいたから劉邦がいてお互いライバル同士で高め合ってたっていう事なんですね。
ところでさっき話してくれた呂雉さん?劉邦をどういうふうに支えていたんですか?そうですねそれは私も気になります。
本人に聞いてみましょう。
はい。
呂雉さ〜ん!お答えしよう。
劉邦が秦に対する反乱戦争に身を投じた時…そして劉邦が皇帝に即位してからは安定した支配を実現するためさまざまなアドバイスをした。
漢帝国が400年続いたのは私の存在があったればこそ…と言っても過言ではないだろう。
例えば領土について。
劉邦は都の長安周辺には皇帝が直接支配する「郡」や「県」を置き地方には楚漢戦争に功績のあった部下たちを王とする「国」を置いた。
…と呼ばれる統治方法だ。
しかし私は王となった部下がよからぬ事を考えている事を見抜き劉邦に助言した。
そこで劉邦は部下たちを王の座から追い落とし…皇帝をもり立てる体制に切り替えていった。
それが暗黙の了解となったのだ。
やがて紀元前195年劉邦がこの世を去り漢帝国の行く末は私に委ねられた。
2代皇帝に即位した私たちの息子は少々気の弱いところがあったので私が力を尽くして支えてあげなければならなかったのだ。
私はまず劉邦がほかの女に生ませた男子を殺しその女は見せしめの意味も含めてむごい仕打ちで死に至らしめた。
また漢帝国の支配を盤石なものにするために劉氏一族だけでなく私の一族呂氏が共に支える体制を目指した。
例えば各地の王の半分は呂氏に任せようとしたのだ。
こうした私のやや強引な行いをあしざまに罵る人々も確かにいた。
しかし一方で私は民衆に対しては戦争や土木工事などに駆り出す事もせずなるべく安らかに暮らせるように取り計らったのだ。
後の歴史書には……と高く評価されている。
劉邦の死から15年後支配体制の確立はいまだならずというのに私にも寿命がやってきた。
そして私の死後呂氏一族はことごとく排除されてしまった。
劉氏のみによる支配体制では一族同士の権力争いが起きるのではないか。
そんな私の不安はやがて現実のものとなってしまう。
呂雉さんって結構気が強そうな女性ですね。
そうですね。
呂雉さんは中国の三大悪女の一人として数えられているんです。
三大悪女!そうなんですよ。
そこだけ見るとひどいって思うかもしれないんですけど呂雉なりに考えた政治のしかたもありますし。
実は日本にも三大悪女って呼ばれている歴史上の人物がいて。
そうなんですか?尼将軍と呼ばれた北条政子。
いますね。
自己主張を多分すごくする女性で。
2人ともそんな感じですよね。
その北条政子さんも呂雉さんも多分旦那さんがつくった国をなんとか滅びないようにもり立てようっていう気持ち妻としての心意気っていうものがあるんじゃないかなと。
うん。
政子殿とは一度杯を交わしながら語り合ってみたいものだ。
それはそうと私が抱いていた不安について話を聞いてもらおう。
劉氏一族内の争いによってややもすると漢帝国の統一支配が崩れてしまいかねない大きな事件が起きたのだ。
紀元前154年7人の劉氏の王が皇帝に対して反乱を起こした。
主な国の名前を取って「呉楚七国の乱」と呼ばれる戦乱だ。
この乱が起きた背景には各地の王が皇帝に匹敵する力を持っていたという事がある。
その証拠が高貴な人を葬る時に着せる金縷玉衣。
玉と呼ばれる表面を磨き上げて板状に加工した石を純金で作った糸金縷でつづり合わせたものだ。
なお金の糸を使うのは最高の葬り方であって後の時代には皇帝に限られるようになる。
ところがこのころには王でありながら金縷玉衣で葬られたケースがあった。
独立した権力として振る舞っていた王の存在を示しているのだ。
呉楚七国の乱は3か月ほどで皇帝側の勝利に終わった。
この事件のあと皇帝は各地の王の力を削り皇帝権力の強化を進めていく事になる。
そして…漢帝国はそれ以降更に300年以上中国を支配しこの国の土台をつくり上げたのだ。
そればかりか周辺の国々にも計り知れない影響を及ぼした。
お主らの国に伝わる漢帝国の皇帝から下された金印が何よりも雄弁にそれを物語っておろう。
(鶴間)ニーハオ!あのちょっと聞きたい事があるんですけどよろしいですか?武帝って漢帝国の支配体制を築いたって事ですけど具体的にどういう事をしたんでしょう?始皇帝やりましたよね。
始皇帝をすごく意識してたんです武帝は。
へぇ〜。
それは尊敬してたって事ですか?う〜ん恐らく尊敬してたんでしょうね。
ですから始皇帝と同じように全国回るんですね。
それで泰山で封禅という天と地を祀るお祭りをしたり始皇帝と同じように匈奴と戦争をしたり南の南越という国を滅ぼしたりそれからシルクロードの敦煌という所に軍を置くんですね。
それから朝鮮半島にも入る。
雲南省にも入る。
そういう周辺の地域を領土に入れるという。
ですから中華帝国という巨大ないろんな民族を入れた帝国を立てたのが武帝なんですね。
そうなんですね。
元号の話が出てきましたけども漢帝国の中で実は元号を使用したのは武帝なんです。
この元号を使用したのは武帝なんですね。
始皇帝も使わなかったんですね。
へぇ〜。
何で元号を作ったんですか?それはもう…今日本で昭和とか平成とか元号が使われているのは武帝から来てるんですね。
武帝から始まりますね。
ここでつながりましたね。
身近に感じますね。
先生また分からない事があったら教えて下さい。
はい。
今日の内容どうでしたか?漢帝国ってすごい長く続いたんですね。
はい400年も続いたんです。
四面楚歌が有名ですけどもっとほかにも面白いエピソードありそうですよね。
漫画やドラマそして映画もあるんです。
今の私たちにも分かりやすく作られているので一回見だすと結構面白くてやめられないんですよ。
もっともっと知りたいです。
私も調べてみます!是非掘り下げてみて下さい。
紀元前210年に秦の始皇帝が亡くなると各地で反乱戦争が起きた。
劉邦と項羽が反乱軍のリーダーとなり秦を倒した。
その後劉邦と項羽は覇権を巡って戦い最終的に勝利した劉邦が紀元前202年に漢帝国を打ち立てた。
紀元前154年に起きた劉氏一族の争い…2014/06/06(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「漢帝国の皇帝〜劉邦から武帝へ〜」[字]
歴史好きな「歴女」の部屋を、世界各国にルーツを持つ多彩なゲストが訪れ、歴史上の人物のメッセージを届ける…400年以上中国を支配した漢の初代皇帝・劉邦
詳細情報
番組内容
今回の学習内容は「中国三大悪女の一人・呂雉(りょち)が語る夫・劉邦(りゅうほう)の魅力」「人望の劉邦 VS 実力の項羽(こうう)ライバルの対決」「元号の起源は漢にあり?」。学習ポイントは「項羽と劉邦…漢王から皇帝へ」「金縷玉衣(きんるぎょくい)をまとった劉氏の争い」「武帝の築いた中華帝国」。【司会】小日向えり【ゲスト】林丹丹【講師】鶴間和幸(学習院大学教授)【語り】井上喜久子
出演者
【講師】学習院大学教授…鶴間和幸,【ゲスト】林丹丹,【司会】小日向えり,【語り】井上喜久子
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
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趣味/教育 – 大学生・受験
映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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