SWITCHインタビュー 達人達(たち)「岡田武史×迫慶一郎」 2014.06.07

中国の首都北京に1人の男が降り立った。
北京去年何回も来てるけど3〜4回は去年来てたけどでも国際線でここへ入るのは何年ぶりだろう?2度にわたりワールドカップを指揮した岡田。
2010年南アフリカ大会では日本をベスト16に導いた。
新たな挑戦の場として選んだのはなんと中国の国内リーグ。
去年秋まで地方の中堅チームで2年間指揮を執った。
対するは中国を拠点に大活躍中の…中国で仕事をして10年以上になる。
日本人として初めて中国に建築設計事務所を設立。
これまで90件以上のプロジェクトを手がけてきた。
中国ではプロジェクトの規模も桁違い。
「東京ドーム15個分の敷地に街一つまるごとつくって下さい」というような日本では想像もつかない依頼が次々と舞い込む。
迫と岡田中国に渡り闘ってきた2人が出会う。
そこを一番聞いてみたいと思ってます。
迫さんがそういう事をつくっていこうとしてる。
いろいろ今日聞いてみたい事がいっぱいあって。
楽しみにしてる。
迫が岡田に会いに訪れたのは…初めまして。
初めまして。
岡田です。
迫です。
よろしくお願いします。
こちらこそよろしく。
楽しみにしてました。
こちらこそ。
今日中国から戻ってきた?2日前です。
そうですか。
空気がきれいでしょ?はい。
青空広がってますね。
ここはもちろん初めてでしょ?初めてです。
ここには日本サッカーの歩みが展示されている。
1981年。
「日韓定期戦」と書いてありますね。
そうですね。
日本代表の試合で客がこうですよ。
こういう時代ですから。
本日は中国で闘ってきた2人だからこそ語れる体験的中国論。
そこは日本の常識が全く通じない世界だった。
そんなでかいの?これ。
想像を絶するプレッシャーの中2人が下した決断とは。
「ちょっと家族で海外住む事になる」と冗談ではなく言ってて。
デメリットをメリットに変えるような方法をうまく考え出せればそれはむしろ…悪戦苦闘してきた2人が中国とのつきあい方教えます。
お会いするまでどこか岡田監督に対してちょっと怖い人じゃないかなという。
だからそういう場面しか僕ら出ないんですから。
しょっちゅう笑ってんだけど。
そういうイメージになっちゃうんだよね。
まず最初にお聞きしたいのは…全く今後の可能性とか感じられない所であったらそしたらやはり選ばれてないんじゃないかと思うんですけども。
どう考えても14億の人口がいて…みんながステレオタイプ的に「中国人はこうだ」と言うけど「ホントかな?」と。
もうやらなくて。
それはちょっと生意気だけど…JリーグJ2優勝したしJ1も優勝したしワールドカップも2回出たし一応やる事やったしいいかなと思った。
ところがあれは何年かな。
2010年のかな。
スペインにクラシコってレアルマドリードとバルセロナのすごい試合があるんですよね。
それ見に行ったんですよ。
その時にバルセロナが勝ったんだけどバルセロナの監督がグアルディオラという若い人なんですけどその人が僕理解できなかった。
「なぜこういう時にこういう手を打つんだ」。
「なぜこういうサッカーができるんだ」。
ものすごい衝撃だった。
すごいやつがいると思った時に…同じ事やってそれで給料くれると言っても何か燃えてこないようなとこがあって。
そういう時に中国からの話をもらったんですよね。
岡田が監督を引き受けた杭州緑城は元中国代表選手が1人いるだけの地方の中堅クラブだった。
1部残留が危ぶまれる中ベテラン選手が若手を押さえ込みチームはばらばら。
けがをしたら治療もせずに実家に帰る者までいた。
覚悟を決めてきたはずの岡田にとってもカルチャーショックの連続だった。
大事件もいっぱいあってキャプテンと副キャプテンを追放したりね。
でも僕が行って選手たちが口々に最初に言ったのは…最初何の事か分かんない。
そしたら今までは上海出身の監督だったら上海の選手しか出れない。
キャプテンがウェイボーに「今の若いやつは羨ましい。
監督に贈り物したりお金を渡さなくても力さえあれば試合に出れる」と書いて大問題になった。
要は今までは「どうせ俺練習やったって試合出るやつ決まってんだよ」と。
そりゃ練習やんないですよ。
でも僕になって…確かに最初レージーなとこあるのかなと思ったけどいやもう1年後とかはだいぶ変わってたし。
やっぱりレージーとかじゃなくて…やっぱりやりますよ。
だからそれは僕違ったなと思ってますね。
その贈り物するという…サッカーの選手の選抜までそういう事が行われているとはちょっとびっくりしましたけど。
もうそれは…だから彼らがかわいそうなのは…情報が全部公開されないんですよ。
公開される情報というのは表面上の契約でみんな裏の契約してるから分かんない訳ですよ。
いくらもらってていつまで契約だとか。
そうすると彼らが…同郷の選手に頼んで監督に「練習見てくれ」と。
またはコーチ。
そうするとこういう事があるんですよ。
「監督の言うとおりだ。
僕は本当に監督が正しいと思った。
プロというのはこういうものだ。
でも監督の言うとおりやったら必ずうまくなると思った。
でもちょっとうまくなっても僕なんかはまだ強いチームから取ってもらえない。
クビになった時監督次のチームを紹介してくれるか?」。
「俺はそんなの紹介できない」。
「じゃあ今日あのチームのコーチと飲んで贈り物しといたらひょっとしたら採ってくれるかもしれない」。
「なるほどな」。
彼らは一歩間違えれば道路掃除で月2,000元ぐらいの生活になっちゃう訳じゃないですか。
だから僕をだましてやろうとかそうじゃないんですよ。
「監督の言うとおりだ。
監督の言うとおりできる限りやるけどでも生きていくためにはこうしなきゃいけない」。
僕が今まで会ってきた中国人の多くはむしろやっぱり…そういうものってやっぱりそういう建築とかいろんな仕事をしていく中でもあるでしょ?それを「だまされた」とか言ってもしょうがないでしょ?最初はもう1年間ぐらいはずっと「何でこういうものができないのか?」とか「何でこの建材がないのか」とか「どうしてやらないのか」とか。
2〜3年してくると…マイナスの状況を平均値まで引っ張り上げるのは非常に大変な事で。
むしろそれよりも…違うものができるんじゃないかと僕は思い始めたんですけど。
人間できてるね。
いやいや。
早く教えておいてもらえばよかったけど。
高い授業料を払ってきましたから。
そうでしょうね。
日本の駐在の人とかに聞いてもそういうバックボーンというか状況を理解してやらずに「あいつらは裏切る」とか「うそをつく」とか言う。
日本人だって同じ状況で家族食わしていかなきゃいけない生きていかなきゃいけないってなったらそうなると思うんですよね。
それを理解してその上でつきあい方をしていかなきゃいけない。
実力主義を徹底するとともに岡田はチームの意識改革に努めた。
寮の門限を撤廃するなど選手の自主性を尊重し自己管理を求めた。
ここをほどほどに怒られないようにあと残りの時間を過ごすか自分でいろんなチャレンジをしてみるか。
みんなが決める事だ。
岡田は選手たちに自分で考え判断する事の大切さを説き続けた。
去年の帰る前の5試合…今までに僕が持ったチームの中でも自分のやりがいの中ですごい…彼らによく言ってたんですミーティングで。
俺は「そうは思わねえ」と。
「監督に『こうやれこうやれ』とやってるだけじゃ駄目なスポーツだ」と。
それを日頃の生活から「はいこうしろ」「何時に起きて何時に昼寝何時に飯食え」全部言われなきゃできない。
「酒飲むな」「何時に寝ろ」とか。
そんなんでいいプレーできる訳ない。
周りのコーチとかも「監督中国人にはそれ無理だ。
絶対駄目だ」。
オーナーは「監督は選手殴んないのか」「殴んない俺は絶対」。
例えばよく説明するんですけど敵がこう2人いるとするじゃないですか。
こっちに攻めてくると。
その時にディフェンスというのは必ずボールの所へ1人こう行くんですね。
でももう一人のディフェンスは敵がここにいるからってここに行っちゃいけないんですよ。
なぜかと言ったらこいつがドリブルで抜いたりこういうパスに対してカバーリングというこういうポジションをとるんですね。
僕は当然原則として「こういうポジションをとりなさい」と言うんです。
ところがボール持ってるこいつが「どうもへぼそうだ」と。
こいつがいいプレッシャーかけたと。
もうボールしか見てなくて顔が上がってないと。
抜かれる事がない縦にパスされる事がないと思ったらここへ行けばいいんです。
もっといいプレッシャーかけてこいつが後ろ向いてちょっと逃げたと。
2人で取りに行けばいいんです。
これはこいつが判断する事なんです。
自己責任で。
でも一番駄目な選手というのは「監督に『ここにいろ』と言われたからここにいました」。
これじゃ何も起こらないし何も発展がないんですよ。
日本人もそうだったんです実は。
「ここにいます」と。
「言われたとおりやってますよ」というのが多かったんですよね。
食事とかしてると冗談で言われるのが…個の力としてはすばらしい才能を持った選手がたくさんいるんですよ。
ただ一つはそういう自己判断自己責任の問題。
もう一つは…僕は高校野球レベルですけど。
僕の話していいのかな…。
いえいえ是非聞きたい。
進学校だったんですけど高校3年の時に…もうちょっとで甲子園だったというところであれよあれよと毎回勝っていく訳ですよ。
ホントに体験した事がない事で。
そうするともっと勝ちたい。
もっと…レギュラーで出てるか出てないかとかも関係なくてとにかく…みんなで共有できた瞬間があって。
ホントにおっしゃったように…いかに一人一人が「よしやってやる!」という高いモチベーションで。
それも目標が…やっぱりそこで監督の果たす役割というのはホントに大きいですよね。
大きいというかね…。
孫子や老子じゃないけど…僕もホントねそういうのが理想なんですよ。
しかし岡田は昨シーズン限りでの退任を決めた。
フロントからの信頼も厚く続投の要請も出ていた。
中国を離れる時には多くの選手やサポーターが空港まで見送りに来た。
2年半前にご自分で判断をされてもっといい条件があったのに中国を選ばれたと。
で行かれて昨年の11月ですか。
はい。
そこはどういうお考えからだったんですか?僕ももう57なんですよね。
やっぱりずっと自分の好きな事勝手な事やらせてもらってきて家族振り回してきて。
このチームをホントに自分の思うようにこんだけ変わってきたと。
あと変えていこうと思ったら…そういうところが一番の引っ掛かりでしたね。
それと俺に…オーナーが本気にならないと絶対何も変わらないですから。
最終的にやっぱり…そういう事に対してなかなか…それはやはりこう…。
日本代表を選ばれる時にセンセーショナルな選手の起用をされた事もありましたよね。
そこがずっと岡田監督って変わらないんだなあという。
ワールドカップフランス大会直前。
岡田の決断は日本中を驚かせた。
日本サッカー界の顔だった三浦知良らを代表から外すという思い切った選択。
中田英寿ら若手主体のチームを編成し初出場のワールドカップに臨んだ。
2010年の南アフリカ大会でも本田圭佑ら若手を起用。
不調だったエース中村俊輔を外した。
時に激しいバッシングを受けながらも戦い続けてきた。
やっぱりいろんな事をいろんな采配や決断やしてきてますけどただその中に…俺が有名になりたい俺が勝ちたいからっていうのは絶対入れてないっていう。
いろんな事非情な事もしてきましたけどでも…一番はやっぱり1997年のワールドカップの予選の時に最後ジョホールバールでイランとの決戦という事があって…いろんな人から来るんです。
そんな状態で戦っててジョホールバール行って最後もう家内に電話して…「ちょっと家族で海外住む事になる」って冗談じゃなく言ってて。
ところがねホントにそれを言ってちょっとしたあとに…日本の将来が俺の肩にかかってるとか何か言うけどそんな事言われてもどうしようもないぞと。
今の俺以上の事はできないから…持てる力全て出す。
俺選んだあいつ会長あいつのせいだと。
ホントにそう思ったんですよ。
完全に開き直っちゃって怖いものなくなったよね。
その時には確信に近い…。
直感だというふうにおっしゃいましたけど確信のようなものも感じられる訳ですか?確信っていうかね…「これは絶対当たる」とかそうじゃないんですよ。
まあそこに至るまでにはとことん考えて考え抜いて…。
で自分がやるべき事…。
例えばよく難破船の船長に例えられるんですけど船が難破して全員が救命ボートに乗れないと。
なおかつこの救命ボートを操縦して安全に岸まで行けるのは船長しかいない時どうすると。
そんなの一部だけ生き残る訳にいかない。
みんなで死のうっていうのか。
そうじゃなくて乗れるだけ乗って行ってくれと。
途中うまくいくかどうか分かんないけど俺は船長として生き残る訳にいかない。
ここに残るというのか。
僕は…最後の質問です。
はい。
ワールドカップ日本代表チームどのようにお考えになられてますか?実はもう各対戦チームの予選とか見てこの前もベルギーまで行ってコートジボワールの試合見たりしてるんですけど問題ないでしょ。
問題ない?こう言うと何か「自分が責任なくなったから気楽になって」ってみんな言うんだけど客観的に見て日本代表チームの力…。
そりゃいろいろドログバに一発入れられたらとかいろいろありますよ。
セットプレーやられたらとか。
いろんな事あるかもしれないけど…下手したらファルカオがいなかったらコロンビアを破って…もう間違いなく行けると僕は思ってます。
力強いお言葉を聞けてホントによかったです。
これ流れんの何月?ワールドカップの後に流してよ。
アハハハハ。
後半は舞台をスイッチ。
超高層ビルが立ち並び現代建築の実験場とも称される北京。
2008年のオリンピックを前に沸騰した建築バブルは今も続いている。
北京の街は世界の名だたる建築家の作品が見られる展覧会場と化している。
それぐらい変わってるよね。
迫の建築も北京の景観を変えてきた。
北京ピクセルは住戸数が1万を超える大規模開発プロジェクト。
東京ドーム15個分の敷地に19棟の高層マンションが建つ。
北京市内の絵本専門店。
内装は迫が手がけた。
子どもの頃に見た虹のイメージが散りばめられている。
迫はシングルファーザーとして7歳になる娘と北京で暮らしている。
ここは親子でよく訪れる場所だ。
「大きなかさぶた一つ。
子豚…」。
「子豚が4つ」。
子豚が4つ?小さなかさぶただから子豚って言ったの。
これ何?「ふ〜ん」でしょ。
「ふ」?これ「ふ」なの?「ふ」だよ。
ここから見ると…。
店内の丸い読書スペースは子どもの頃秘密基地にした空き地の土管がモチーフだ。
(取材者)この場所好き?好き。
(取材者)どこが好き?ここ。
あのぶら下がってるとこが明るくてきれい。
あ〜。
迫の建築設計事務所はビジネス街の高層ビル内にある。
ここでいいのかな?こんにちは。
お邪魔します。
来ましたよ。
いらっしゃいませ。
こんにちは。
(一同)こんにちは。
これは全部日本人スタッフ?いろんなのいます。
スタッフは20名余り。
手がけるプロジェクトは中国だけでなく日本韓国スペインモンゴルまで広がっている。
北京には迫が手がけた20以上もの建築物があるという。
初期の代表作…高さ80mの4つの超高層マンションにデパートが併設されている。
この地域のランドマーク的存在だ。
もちろんあるんだろうけど。
アハハハハ。
近づいてみると白と黒の長方形の箱が交互に積み重ねられているように見える。
こっちの側面の方がですね…例えば下からここは通ってると思ってても窓があるからここ通ってないっていうふうなので…ちょっと何かピカピカ光ってる窓がありますよね。
あの窓どこも開いてない。
あっ確かにそうだ。
ダミーの窓がある訳?そのとおり。
アハハハ!へえ〜。
これらは全て窓の形をした鏡。
その裏に柱が通っている。
迫ならではの遊び心だ。
ここに迫が考える新たな高層ビルの姿がある。
建物って垂直に立ち上がっていくじゃないですか。
だから横方向の要素って少ない訳ですよ。
そういう威厳もあるし技術革新もあるし。
ホントにいろいろな考え方アイデア次第で全然建築って変わるんですよ。
積み木を積んだり崩したりするだけでも発想のヒントになるというのだが…。
何か知らないけど俺だったら横に積んだら次こう積みたくなるなって。
次はちょっと不安定にしてとかね。
これも全然面白いですよ。
東京の目抜き通りに建ったらまたすごい。
建てますか?ひとつ。
建てましょう。
こちらの奥の方はまた店舗になって上の方ここから真ん中空いてるじゃないですか。
ここのカフェから上から眺めるとすごくいいなとか。
ちょっと相談していい?うちの家がこういう崖に建ってんだけど。
へえ〜楽しいね何か。
すごいね。
いろいろ想像すると。
例えば一戸の住宅だとするじゃないですかこれ個人の。
そうすると道路こっちだけどこっから入ってこの内側に玄関があるという事?そうです。
こっち側に駐車場になってて。
何かダ〜ッと開いたらさ車頭から入れるんだけど出る時には回転してこっち向いて出てこれる。
どんどん構想が広がる。
そう。
迫の最新作の一つ「FamilyBox」。
ここはいくつか今まで子ども関連の施設をやってきたんですけれども…新しい僕が手がけた子ども施設なんです。
高級どころじゃねえぞ。
子どもにこんな立派なプールを。
子どもの早期教育のために作られた会員制の施設。
窓にも間取りにも直線ではなく円を用い全ての部屋が緩やかにつながるよう設計した。
中国ではこうした高級施設が人気急上昇中。
一人っ子を両親と両祖父母6人で大切に育てる子育て事情が背景にある。
いろんな多分苦労をされたと思うんだけどやっぱり中国来て価値観だったり感覚が違ったりする事って多々あったと思うんですけどどの辺が一番違いました?いやもう…まずは建築を造るために来てるのでそこで直面してたのは…工事の方ね?そうです。
工事業者ね。
例えば具体的な例で話すとグレーチングといって溝の上にかぶさってる鉄のこういう枠がありますよね。
ああ格子とかこう…。
グレーチングというものなんですけど。
あれがないとバリアフリーが実現できない訳ですよ。
落ちて転んだら危ないもんね。
2001年の当時。
へえ〜。
でもこれは譲れないと。
これからも絶対バリアフリーをやらなきゃならない。
当時の方たちと話していても…言われたのがホントに…「こんなふうにやってたらねこんな段差ですらホントに車椅子利用者にとっては大きな段差なんだ」と言ったら「いや中国の車椅子利用者は必ず付き添いの人がいるから後ろから押してくれればいいじゃないか」って言ったりあるいは「そもそも車椅子の人たち外に出てないから」とかいうふうに言われたりとか。
ホント直面した困難というか違いというのはもうホントに大きかった。
いろいろあります。
そういうものを結局本来設計士というのはすごいアイデアを出してすばらしい設計図を描いてそれを監修して造っていく。
でもどんだけいい設計図描いてもいいものが出来ないというようなそういう感覚はなかったですか?全くそのとおりですね。
日本は契約図面要は建設会社が入札をしたらそのままの契約なので…でもこちらの方は最初の日本でいう確認申請というお役所が「いいよこれで造って」というふうな図面は…もともと状況が。
分かる分かる。
あるところで割り切っちゃってもいいんだけれども…でも自分がここが欲しいと思ってたらそこになるまで…確かにね僕なんかでも例えば日本人コーチがこう集まって…じゃあどうすると。
ここで「冗談じゃない」って言って帰るのも一つだよと。
「これじゃやってられない」って。
だからヨーロッパ人はすぐ帰っちゃうけど。
そうじゃない。
中国人が分かってなかったら分かろうとしなきゃいけないし…中国では建物が竣工するまで迫自ら何度も現場に足を運ぶ。
高級車向けの洗車場。
完成に向けて急ピッチで工事が進む。
早速問題を発見。
迫は外壁パネルに貼られた保護シートに目を留めた。
保護シートの処理が雑なため剥がすとシールが残ってしまう。
更に…。
入り口の上の辺りとか。
あの辺直せたら直したいですけどね。
パネル一つ一つのちょっとしたゆがみも見逃さずやり直しの指示を出す。
現場で勝手に設計が変更される事も日常茶飯事。
こまめにチェックに訪れないと指定とは全く違う安い建材に変わっている事も珍しくない。
求める水準を満たすには日本の何倍もの労力がかかる。
だけど中国の今ある状況をむしろ逆方向に反転させるような…そう思ってやったのがこれですね。
監督のチームがある…。
杭州。
杭州です。
杭州の所にあるブティックの仕事なんですけども。
こういうふうに。
これは…。
あっ!知ってる知ってる。
知ってますか。
中国で500店舗を展開する若者向け国内ファッションブランドの旗艦店。
中がこうなってんの?中はこうなってます。
あっ本当。
それはこの…このリンゴの保護ネットこういうふうなものが非常にやわらかくものを包むというふうなもともとそういうものなので…これは細い鉄筋が中に入っています。
全部の所に。
これが3次元方向にこんなふうに曲がってるんで鉄筋一本一本の図面を描く事すら図面は今コンピューターで描けたとしてもこれを施工の人がもらってもそれが実現できないんですよ。
だからこれ何をやったかというと…すっごい大変じゃない?すごい大変です。
これひと言でいうと要は…今みたいな方法を日本でやってしまうともうホントにコストがアップしてしまうのでこれが実現なかなかできないんです。
そうです。
僕は中国だからこそその状況でしか生まれないものをチャイニーズ・ブランド・アーキテクチャーと呼んでいてその場でしか生まれえないようなものを目指してつくるのが僕の目指す方向じゃないかって気付いた事があってその考え方で一つ達成できたかな。
じゃあもうひょっとしたら今は中国も人件費上がってるから二度とできないかもしれない。
そうです。
もう今できないです。
だから2007年の時の状況を最大限に引き出した。
じゃあもう誰もまねできない訳ね。
まねできない。
へえ〜すごいなこれは。
北京郊外にある迫が設計したワイナリー。
中国では富裕層の間でワインブームが起きヨーロッパのシャトーをまねた建物が次々に出来ている。
迫はあえて木材を多用し自然と調和したアジア的なイメージを作り上げた。
というのもやっぱり最先端の建築のデザインをやりたいと思って建築家事務所に入ってますし…ヨーロッパとアメリカの建築をずっと見てきてていつかはアメリカ行きたいとかヨーロッパ行きたいというような気持ちでもいた訳ですね。
その時に急きょ中国のプロジェクトが舞い込んできて全然見てなかったんで中国に対する印象がなくて現状その時の状況がどうなってたのか分からなくてホントに大きな通りを人民服で自転車で…っていうようなそのぐらいのイメージしかない。
もしくはジャッキー・チェンのイメージしかないというふうな…。
そこで飛び込んでいきました。
迫が中国で最初に関わったのは現在迫の事務所も入居する建外SOHO。
大手建築設計事務所にいた迫はこのプロジェクトの主要メンバーの一人として北京で3年間働いた。
建外SOHOが完成した直後迫のもとに千載一遇のチャンスが訪れる。
建築の設計をやっているとまあ大体が独立してやる時は親戚の家から始めてだんだんとそういうところで広がっていくような段階がある訳ですけど例えば何々市から…それが事務所を退社する直前ぐらいに来た訳です。
要は…それはコンペでもなく指名で来た訳?そうですね。
それは今の時代はもうないんです。
その話が来てこういう事はありえない。
やるっきゃないだろうと。
そうですね。
そのかわり大変な事だなと思ったと。
なるほどね〜。
そうですね。
これ苦労しますよ人生。
33歳でいきなり任された金華キューブチューブ。
中国南部の地方都市の交通局の庁舎ビルだ。
1万m^2の敷地に経済開発区のランドマークとして建てられた。
迫は北京に日本人として初めて建築設計事務所を設立。
今では東京と福岡にも事務所を構えるまでになった。
現在取り組んでいるプロジェクトというのがまたすごい。
鎮江生態ニューシティ。
全く何もない揚子江沿いの農地に巨大都市を出現させようという途方もない計画だ。
ここに100万人の新都市をつくるプロジェクトに参加を…。
100万人…。
設計者として。
分からん。
ハハッ僕も最初全然分かりません。
え〜!そんなでかいのこれ!主要交通は路面電車。
今世界で100都市ぐらい路面電車が再評価されて都心に呼び戻そうという動きがあるんですけどもそんなにいいものだったら最初からそれをメインとした都市づくりをやったらいいじゃないかという発想でやり始めたんですね。
という事は今もう進んでる?進んでます。
あっ本当。
ちょうど1年前の1月というと北京の空気がPM2.5が非常に騒がれ始めた時で…人が住む所が先に出来てしまってそのあとに交通網公共交通を整備していくんじゃなくて…そういう事を話し合ってこういうふうな事を描いたんですね。
20年はかかるんじゃないかな…。
すごい大きな事をやってるね〜。
スケールがやっぱり中国だけあって。
物語の世界みたいなイメージだよね。
今抱えてるだけでどれぐらいのプロジェクトをやってるの?いくつぐらいの…。
同時に?はい。
それは…それぞれ切り替えてやる訳?時間的にこう…。
打ち合わせが「はいこれをやって終わってはい次打ち合わせ」って来てもやっぱりそれはすぐに入っていけるような状態にはなってますね。
例えば1つのプロジェクトを苦労してやってようやく終わったと。
何か達成感あってよしちょっと休もうとかよしみんなで打ち上げやろう…。
10個も抱えてたらそんな事できないじゃん。
そういう何か…例えば僕らだったらこのシーズンも苦労して頑張って優勝したと。
「お〜やった〜!」って。
よしちょっとサッカーは忘れてみんなでゆっくりしようとかリラックスしようと。
それが次のシーズンに向けてのいい充電になったりする事もあるんだけどそんな事してる暇がないんでしょ?もうあれだね…充電具合が完成の瞬間に向けてどんどん放電より充電度が増していく訳ですよ。
そうするとそれまでの苦労がどんどん忘れていく訳です。
出来た時にはよかったなという事の方が大きくてなのでちょっと言葉を変えると苦労を忘れてしまう訳ですね。
忘れてしまうからもう一回またそんな大変なプロセスでも…。
…で始めたら「あっバカな事したな。
そうだこんな苦労するんだ。
何で始めたんだろう」と思うんだけどまたやっちゃうような…?やっちゃいますね。
どこまで行くつもりなの?このまだ…。
よし次はもっと国家プロジェクトをやってこのプロジェクト…。
今度は世界へ出ていってという大きな夢を持って…?まずは僕が今北京に拠点を置いてやってるこの仕事は…これがもっと大きくなるのかあるいはもう外国人はもう要らないよと。
中国がこれだけ発展したから自分たちだけでできるよというような社会的な状況になるかもしれないしもしくは日中関係が影響するかもしれないしそういった事は分からないですけどとにかく…2人に好きな中国のことわざを選んでもらうとなんと同じだった。
名前まで…。
あっ同じですか!これはね癖になってんだよね。
何かこう。
「人間万事塞翁が馬」というのは何か変な事があってもその災いがどんな福に転ずるか分からない。
どんな福があってもそれがどんな災いに転ずるか分からないという中国の故事なんだけど苦しい時にそれをどう受け入れたらいいんだろうと。
勝てねえこの野郎。
ホント何で勝てねえんだろう。
何でこんな負け方するんだ。
それをどう受け入れていいか分からない時にその時にこの話を聞いた訳!「こんなのたまたま偶然だよ。
今回はアンラッキーだった」じゃない。
何かそういうふうにだんだんとれるようになってきた。
そうするとすごい楽だしある意味逃げてるのかもしれないけど…。
だからそれ以来ず〜っとねこういう言葉を書くんだけど。
コンペに参加してもホントに公正なコンペではなくて絶対勝ったと思ってたのに全然…。
しかも2等でもなく3等だったりするという事が今までもあってもうそういう時はやっぱり自分がもっと冷静になって相手の案とかをちょっと分析するとやっぱり彼らの方もいい事があるなとか…。
そうすると…中国で長年やってるとこういう考えに行き着いてしまったっていう。
中国広しといえど感じる事は一緒なんだね。
翌日。
迫の事務所には新たなクライアントが訪れていた。
国内大手の下着メーカー。
迫が以前仕事をした施主からの紹介だという。
自社ブランドを集約した大規模商業ビルを計画している。
43歳迫慶一郎の勢いは止まりそうにない。
岡田も新しい挑戦を始めた。
国内最大規模のコンサルティング会社の特任上級顧問に就任。
全体像を見るのと局部局部を見るのと両方の目が必要なんだけど…。
中国での挑戦も含めサッカー指導者として培ってきた経験をビジネスの世界にも応用していく。
57歳岡田武史にも立ち止まる気配はない。
2014/06/07(土) 15:00〜16:00
NHKEテレ1大阪
SWITCHインタビュー 達人達(たち)「岡田武史×迫慶一郎」[字][再]

中国のサッカーチーム監督を務めた岡田武史、中国で90件以上巨大プロジェクトを手がける建築家・迫慶一郎。リアルな中国事情とその面白み。彼の国とのつきあい方教えます

詳細情報
番組内容
サッカー日本代表監督として2度のW杯を戦った岡田は、なぜ中国チームに飛び込んだ? 設計料を踏み倒しもザラ?!という中国で、無名の日本人建築家が大きなビジネスチャンスをつかめた理由とは? 独特のコネ社会、タフ過ぎる交渉術、日本の常識は中国の非常識。格闘してきた2人ならではの体験的中国論! 岡田が日本に住めなくなることを覚悟した瞬間から、リーダーに求められる条件、チーム強化の秘策まで、必見の60分間。
出演者
【出演】元サッカー日本代表監督…岡田武史,建築家…迫慶一郎,【語り】吉田羊,六角精児

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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