ETV特集「あの舞をもういちど〜原発事故と民俗芸能」 2014.06.07

(笛)傘をかぶった人の踊りに合わせてお囃子が始まりました。
ここは福島県南相馬市。
まあわりとよくある感じの祭りの稽古ですね。
あら?どうしました?あれ?もうバテちゃった?実はこの稽古震災以降ずっと中断していました。
3年ぶりに復活させようと稽古を始めたところみんなそろって体がなまっているのが露呈したわけです。
でもここ南相馬ではお祭りの仲間が集まっただけでも実はスゴい事なんです。
福島は全国的に見ても民俗芸能の宝庫。
ご覧下さいこの数。
800近くに上ります。
原発事故で大きな影響を受けた区域だけでその数は235もありました。
しかし避難や集落の崩壊で9割近くが消えたままになっています。
一瞬にしてこれだけの数が姿を消すのはもちろん未曽有の事態です。
消えた祭りの数だけ人と人とのつながりも失われています。
例えばこれは…何だかちょっとユーモラスですよね。
豊作祈願の踊りです。
しかしこの踊りを先祖代々受け継いできた浪江町津島地区は放射能を含んだ風の通り道になってしまいました。
今もなお「帰還困難区域」に指定されています。
踊りの道具は放射能に汚染されてしまいましたが行政の支援を受けこのとおり全部新調しました。
でも肝心の踊り手が今も日本全国バラバラに避難しています。
そのため再開の見通しが立たない。
そんなお祭りがたくさんあるんです。
しかし福島の人たちは今失われた祭りそして人と人とのつながりをもう一度取り戻そうと格闘しています。
まるで彗星のように新たなスターも現れました。
(女性)あの子ほんと神の子じゃねえかっていうぐらいね。
いやあびっくりですよね。
わりとどこにでもありそうなでも本当は世界にたった一つしかないわがふるさとのお祭り。
その復活を目指す福島の人たちを見つめました。
福島第一原発から北に23km。
震災前95世帯およそ400人が暮らしていました。
大津波は集落の大半をのみ込み多くの場所が再び家を建てる事のできない「災害危険区域」となりました。
今は震災前の3/3およそ100人だけが残っています。
去年一軒の家が完成しました。
ここは災害危険区域のギリギリの外側。
ちょっと微妙な場所です。
家のあるじ山本昭彦さんです。
もともとここに自宅がありましたが津波で流されました。
そこに再び家を建てたのです。
その理由が窓の向こうに見える稲荷神社です。
実は山本さんの夢は震災で中断したこの神社の祭りを復活させる事。
そのためにここに帰ってきたんです。
大天狗〜。
小天狗〜。
はっ!
(囃子)稲荷神社の祭り一番の出し物がこの「天狗舞」。
江戸時代遠く越後国から移り住んだ祖先が持ち込んだと伝えられています。
まあぱっと見たところはよくある感じですが彼らに言わせれば天狗と獅子という民俗芸能の二大スターが共演する全国でも珍しい天狗舞なんだそうです。

(囃子)北萱浜の男たちは天狗舞の練習のためにほぼ毎日顔を合わせていました。
しかし大津波とそれに続く原発事故のあとお祭りはできなくなりこの天狗舞も忘れ去られようとしていました。
そんな中去年秋大津波で壊れた稲荷神社の修理が始まりました。
山本さんは天狗舞を復活させて神社の落成を盛大に祝う事がここに人が戻るきっかけになると考えました。
しかし天狗舞の会長は津波で亡くなっています。
山本さんは神社の横に自宅を建て亡き会長に天狗舞を復活させる事を誓ったんです。
20代の頃から笛を担当してきた山本さん。
今回天狗舞復活を目指すにあたって決めていた事が一つありました。
それは舞の内容もそれから参加するメンバーも全て震災前にできるだけ近い形でよみがえらせる事です。
できる事なら震災前の北萱浜の人と人とのつながりをそのまま取り戻したかったのです。
何もする事ないな心配ないなっていうのが一番幸せだと思うんです。
天狗舞のメンバーの多くは地域でもう一つ大切な役割を果たしていました。
消防団です。
消防団は地域の一般市民からなる消防のための組織です。
地元北萱浜の消防団で4年前から部長を務めてきました。
震災前北萱浜消防団の最大の誇りは14人のメンバーの団結力の強さでした。
どの消防団にも負けない結束の源はやれ訓練だ何だと理由をつけては集まり飲んで騒いだ日々の積み重ね。
多い時には週になんと6回も顔を合わせるほど。
これには家族もあきれ顔でした。
結局はほれ飲みに行く遊びに行く何かかにかかこつけてみんなで飲んで飲めば帰ってこねえ。
そういうのはいっぱいやってきたからその中で自分らで楽しみがあって。
男たちが培った結束力。
その真価を発揮したのがあの大津波の直後の事でした。
当時地元の人が撮影した映像です。
津波にのまれた北萱浜。
95世帯のうち65世帯が流され53人もの人が命を落としました。
消防団は震災の翌日から自主的に行方不明者の捜索に取りかかりました。
消防団のOBも加わり総勢30人が現場に駆けつけました。
木幡さんたち捜索活動にあたったメンバーは当時を鮮明に覚えています。
消防団は津波のあとのぬかるみの中で人影を捜し続けました。
しかし捜索は3日目大きな爆発音によって中断を余儀なくされます。
福島第一原発3号機の爆発。
放射線量が上昇し政府は北萱浜を含む地域に屋内待避を指示しました。
消防団も捜索を中止。
北萱浜の住民は一斉に避難を始めます。
福島市内の避難所にたどりついた北萱浜の人々の姿をニュースカメラが捉えていました。
消防団で木幡さんと共に捜索にあたった…3人の愛する家族が津波にのまれました。
そして父親が見つからないまま避難を余儀なくされました。
まさに断腸の思いでした。
やがて小西さんは昼の間避難所から姿を消すようになります。
それに気付いた木幡さんは小西さんに声をかけます。
小西さんはひそかに子供と父を捜し始めていました。
1時間半かけて北萱浜に通っていたのです。
そうと知ってはほうっておけない。
消防団の有志も小西さんと共に北萱浜に通い始めます。
屋内退避指示のさなか。
自衛隊の捜索すらまだ始まらない時の事です。
やがてガソリンがなくなると北萱浜の近くに寝泊まりしなおも捜索を続けました。
そういうのもあっからほんとにね。
小西さんの2人の子どもと父親はその後相次いで見つかりました。
消防団が捜索を終えたのは震災1年後の3月。
それまで自分の事はそっちのけで働いていた消防団員は生活再建のため散り散りになっていったのです。
去年11月。
天狗舞に参加していた20人の仲間に号令がかかりました。
しかし集まったのは僅か6人。
皆北萱浜の近くに残った人たちです。
2人の子どもを亡くしたあの小西さんの姿もありません。
なにぶん3年ぶりの練習なもので天狗舞がどんなものだったのか細かい部分は忘れかけていました。

(囃子)震災前そのままの復活を目指しての再出発。
しかし困った事に一番の要の天狗役が選手交代を余儀なくされていました。
天狗役に指名された…震災前天狗役を務めていた人が子どもを連れて関東に自主避難したため以前天狗役をかじった事がある吉村さんに白羽の矢が立ちました。
天狗は超人的キャラクター。
求められるのは荒々しくダイナミックな振りです。
でもいまひとつパワーが感じられませんねぇ…。
おやおや…。
もうへたり込んでしまいました。
(笑い声)うるさ型のOBが次々と口を出してきます。
動きが不正確でキレがない。
不満の声を抑えきれません。
(消防車の警鐘)原発事故の直後捨て身で行方不明者の捜索にあたった消防団。
今存続の危機に瀕しています。
かつて夜の見回りは14人の団員が交代で行っていました。
しかし今はこの2人だけで見回りをしています。
活動に来ない人に無理強いをしないのが部長の木幡さんのモットー。
でも最近は連絡すら取れない事も増え実は内心穏やかではありません。
震災後14人の消防団員のほとんどは北萱浜から離れて暮らしています。
本当は地元の人に団員になってもらいたいのですが若い人が入ってくる見込みがないのです。
かつて鉄の結束を誇った消防団。
今はもう見る影もありません。
天狗舞の練習が始まってひとつきがたっても参加者は一向に増えません。

(囃子)踊り手は何とかギリギリの頭数を確保しました。
しかし欠席者が出れば公演が難しくなるため一人でも多くの踊り手が必要です。
お晩でございます昭彦です。
改めて震災前の仲間に連絡です。
はいよろしくどうぞ。
は〜い失礼します。
山本さんにはもう一つ気がかりな事がありました。
2人の子供を亡くした小西さんが顔を見せない事でした。
実は小西さん震災後毎朝ある場所に通っていました。
ここは津波で流された北萱浜の自宅の跡です。
何があってもここに来ない日はありませんでした。
ここにあった暮らしの全てを失った小西さん。
北萱浜の人たちと深く関わり続ける理由が見当たらなくなっていました。
元日の朝。
天狗舞のメンバーが神社に集まりました。
木幡さんは厄年を迎える人に贈るお札を手に入れていました。
この大きな厄よけのお札は顔を出さない小西さんに贈るためのものでした。
津波で2人の子どもと父を失ったあと妻と別れていた小西さん。
たった1人でお正月を迎えているはずでした。
小西さんが厄年を迎える事を口実にあえて大勢で押しかけたのです。
(小西)どうもありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
(一同)よろしくお願いします。
(笑い声)小西さんの方もスーパーで買ったお総菜を仲間のために用意していました。
慣れない家事をこなしながら夜遅くまで工場の仕事に打ち込んでいました。
亡くなった子どもの写真。
これしか残っていません。
全ては津波が奪っていきました。
マジで?マジで?卒業証書は無理だべ。
みんな泣くから行かねえ。
峻の時ひどい目あったもん。
みんなに泣かれて校長先生固まってはぁ。
ああそう。
うん。
あ好弘君いたね。
神楽?練習…これ飲めねえけどな。
そのあと小西さんはアパートから連れ出されました。
厄年の人を集めた…この会も木幡さんが企画しました。
康弘君と秀典君の厄っつう事で皆さんで厄を流して頂いて1年2年3年と何事もなく過ごせればいいかなという事で。
(小西)どうもあけましておめでとうございます。
今日は皆さんからお護摩等も頂きましてありがとうございます。
またこういう場を設けて頂きまして本当にありがたく思っております。
皆さんのおかげで厄流せるように今日はいっぱい飲んできますんでよろしくお願いします。
(拍手)乾杯!
(一同)乾杯!この会には他にも天狗舞に顔を出さなくなったメンバーが数多く参加しています。
(拍手)
(話し声や笑い声)宴もたけなわ山本さんが意を決してメンバーに呼びかけました。
(山本)なあ!あの…この山本さんの呼びかけ…。
見事に空振り。
聞こえているはずなのに誰も反応しません。
震災から3年。
それぞれが震災前とは違う新しい人生を歩み始めているようでした。
長年福島県の民俗芸能の研究を続けてきた懸田弘訓さんです。
あまり顧みられる事のなかった福島の祭りに光を当てた第一人者です。
県立博物館などに勤めるかたわら自前でそろえた映像機器で半世紀以上も福島の祭りを記録してきました。
福島県内の祭りや芸能はほとんど全部見てきたという懸田さん。
伝統を受け継ぐ人たちとの交流を大切にしてきました。
3年前福島第一原発の事故が起きると懸田さんはすぐに動き始めました。
調査団を結成し祭りを受け継いできた人たちの避難先を200か所以上も訪ねたのです。
それでずっと…原発事故のあとに何が起きたのか。
どうすれば祭りを再開できるのか。
徹底的に聞き取りました。
この春調査団の報告書がまとまりました。
ここから福島の民俗芸能が置かれた危機的な状況が初めて詳細に明らかになりました。
福島県は民俗芸能の宝庫でした。
県内に伝わる祭りや民俗芸能の数はおよそ800。
原発事故の大きな影響を受けた区域だけでその数は235に上ります。
そのうちこれまでに再開できたのは33。
しかもふるさとの地で再開できたのは僅か11。
この数字は津波の被害を受けた宮城岩手に比べると極端に少ない数字です。
福島が厳しい状況に置かれている理由は子どものいる世帯をはじめ多くの人が避難でバラバラになってしまったためです。
原発事故は福島の人々が先祖代々受け継いできた民俗芸能を根こそぎ奪ったのです。
でもこちらをちょっとご覧下さい。
まだ人が住む事のできない場所の祭りなのに復活を遂げたものがありますね。
例えばこちら。
福島第一原発から僅か6kmの場所です。
福島県有数の漁港として知られる…400軒あった家は全て津波で流され144人が亡くなりました。
助かった住民は全てふるさとを離れて避難生活を送っています。
この町の祭りがいち早く復活を遂げていたんです。
300年前から受け継がれてきた安波祭。
半農半漁のこの町の鎮守野神社の祭りです。
小学校高学年の女の子が早乙女となる田植踊などが奉納されました。
そんな賑やかだった浜辺。
今では壊れた堤防とがれきが震災直後そのままに残されています。
田植踊を踊った小学生は放射線被ばくを避けるためここには近づかないように指導されています。
このとおり町は変わり果ててしまったのに一体どうやって祭りは復活したのでしょうか。
いっぱいあるよ。
やっぱりこれでないと…。
ふるさとの土地を追われ人々がバラバラになった中での田植踊の復活。
その中心となってきたのが長年踊りの指導にあたってきた…
(歌)田植踊が復活したのは請戸から遠く離れた場所。
震災の年の夏の事でした。

(歌)離れ離れになり寂しい思いをしていた子どもたちが東京に避難していた佐々木さんのもとに集まりました。
一旦は断ち切られた関係がこの時だけはつながったのです。
その後請戸の田植踊は全国各地に招待され3年間になんと24回もの公演を行ったそうです。
田植踊の火を消してなるものかと奔走した佐々木さん。
実は今大きな不安を抱えています。
震災当時小学生だった踊り子たちは成長し現在では全国各地の中学や高校に進んでいます。
徐々に踊りに参加できなくなる子どもが増えているのです。
幸い請戸出身の子どもが仲間に加わってくれました。
しかしそれもあと数年で望めなくなります。
だからそういう面で…請戸生まれの子どもがいなくなった時どうすれば田植踊と人々のつながりを守れるのか。
佐々木さんが相談に訪れたのは福島で民俗芸能の調査を続けてきたあの懸田さんの所でした。
ないと言ったら失礼だけど…そうすると…佐々木さんの不安を聞いた懸田さんは何事も大胆に変えていく事を勧めました。
実はこれまでも請戸の田植踊は社会の変化の中で姿を変えてきました。
これは1968年に懸田さんが撮影した田植踊の貴重な写真です。
当時踊り手は小学生ではありませんでした。
なんと年頃の女性とおしろいを塗った男性が入り乱れて踊っています。
田植踊は男と女の社交の場だったんです。
しかしこの写真が撮られた直後踊り手が集まらなくなる時代がやってきます。
きっかけは福島第一原発の運転開始です。
原発は数多くの働き口を生みました。
人々は豊かさを求め田植踊が始まる農閑期になっても忙しく働くようになりました。
踊り手不足に頭を悩ませた請戸の人たちは80年代の初めに地元の小学生に田植踊を教えました。
地域の実情に祭りの形を合わせる事で伝統を守る事にしたのです。
懸田さんの提案です。
もう一つ佐々木さんが聞きたい疑問がありました。
震災後求められるがままに各地で公演を続けた田植踊。
次第にイベント化し本来の神聖さが損なわれつつあると感じるようになったのです。
安波様ね。
安波様の神様ってのは請戸に永久にいなきゃなんねえそこにだけいるってもんじゃないんですよ。
懸田さんの提案分かりやすく言うとこういう事です。
請戸の人が数多く暮らす福島市内の仮設住宅に祭壇を作ってそこに野神社の神を招き入れます。
そこで田植踊を踊れば神様に奉納するという安波祭本来の意味を取り戻す事ができるというのです。
(佐々木)ああそれできたら…あれだね。
全然違いますよ。
気持ちみんな…泣いてしまうよきっと仮設のおじいちゃんおばあちゃん。
(懸田)ほんとそういう事考えて。
そういう事かあ…。
(懸田)そういう事なんですよ。
仮設住宅に野神社の神様を呼び安波祭ができないか。
懸田さんは野神社の関係者や福島県神社庁に連絡を取り実現に向けての働きかけを始めました。
ええ前にも申し上げたんですけどね…
(囃子)1月下旬。
南相馬の北萱浜です。
天狗舞の稽古がまさに佳境を迎えていました。
練習再開から3か月。
震災前に負けないほどに上達しています。
もう息切れする事はありません。
ところが新たに練習に加わってくれる人はまだ現れません。
木幡さんがお正月北萱浜に連れ出した小西さんもそれ以来一度も姿を見せてくれません。
小西さん自身の気持ちを大切に考えそれ以上は声をかけていませんでした。
2月ついに稲荷神社の修理が終わりました。
天狗舞を披露する落成式はもうすぐです。
ところが落成式の日取りが決まった日思わぬハプニングが起こりました。
獅子を務める高田さん。
落成式の日はどうしても外せない家庭の事情があったのです。
補欠を務める人はいません。
困った。
さあどうする…。
落成式の日まであと1週間と迫った稽古の日。
稽古場の前にどこかで見覚えのある人影が…。
なんとあの小西さんがふらりと現れました。
(話し声)仲間たちも何事もなかったかのように世間話をしています。
お疲れさまです。
山本さんよかったね。
(小西)えどういうふうに行くの?・神社の…。
・真ん前まで行く。
真ん前まで?どういうふうに踊んの?
(囃子)本当はもう天狗舞に戻るつもりはなかった小西さん。
でも仲間が困っていると聞いてはほうっておく事ができなかったのです。

(囃子)「アーキタサノサーノサット」
(囃子)次次。
いいすか?
(エンジン音)一方こちらは福島市。
明日請戸の人が数多く暮らす仮設住宅で安波祭が開かれます。
全国から踊り子が集まっていました。
小学生だけに頼っていた踊り子ですが26歳の女性も加わりました。
佐々木さんが田植踊の経験者を呼んだのです。
何しろなあお客さんていうよりも神社に対した思いで…。
それに加えて史上最年少の踊り子も参加する事になりました。
震災の直後埼玉の避難先でオギャーと生まれました。
かれんちゃんの後ついて踊ってね。
はい222だよ。
請戸を知らない歩花ちゃんですが練習する姉を見て自然と踊るようになりました。
2歳ですよ。
大したもんです。

(歌)安波祭当日。
仮設住宅に神様をおろそうという無鉄砲にも思える懸田さんの提案でしたが福島県神社庁が全面的に賛同しました。
私含め双葉の神主神社庁も含めいくらでも協力しますんで。
(懸田)そうですか。
是非ねえ…。
何なりとやらさせて頂きますんで。
神主が仮設住宅の広場で祭壇の準備を始めます。
神の依り代となる榊。
ここに神様がおりてきます。
請戸から遠く離れた仮設で安波祭が始まります。
オー…。
神主のかけ声ではるばる請戸からやって来た野神社の神様。
その依り代に向かって祈りを捧げます。
原発事故後バラバラになる事を余儀なくされた請戸の人々。

(歌)老いも若きもこの時だけはふるさとに帰る事ができました。
請戸から遠く離れた土地で請戸を知らない世代に伝えていく祭り。
かつて歩んだ事のない道をまず一歩前に進み始めました。
そしてこちらは…稲荷神社3年ぶりの祭りの日は青空になりました。
(鈴の音)避難している人を中心に150人近く集まりました。
あの懸田さんもカメラと共に登場です。
いたいた小西さん。
木幡さんいつもながら面倒見がいいですねえ。
(鈴の音)
(山本)回れ右!天狗舞本番です。
5か月間の稽古を経て何とかこの日にこぎつけました。
はいじゃあよろしくお願いします。

(囃子)震災前そのままの形での天狗舞復活を目指してきた男たち。
しかし十分な数のメンバーを集める事はできませんでした。
震災から3年の月日が流れ以前の仲間の大半は避難した場所で北萱浜の伝統とは無縁の新しい暮らしを始めているのです。
北萱浜の復興への道筋も見えない中復活したこの祭りがいつまで続くのか分かりません。
でも「あの舞をもういちど」その思いが震災で切れそうになった細い糸をつなぎ止める事がある。
そんな事を教わった気がします。
こうやってかまってくる人いっから。
ハハハッ。
ありがとうございます。

(囃子)原発事故で大きな影響を受けた地域の9割近い民俗芸能が一瞬にして消え去る未曽有の事態。
その中でどうやって自分たちの伝統を次の世代に受け継いでゆくべきか。
人々は今答えを求めて懸命に手探りを続けています。

(拍手)
(合原)どうもこんにちは。
(箭内)こんにちは。
2014/06/07(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「あの舞をもういちど〜原発事故と民俗芸能」[字]

原発事故の影響で、福島の民俗芸能が消滅の危機に直面している。地域のつながりを取り戻そうと芸能の復活に奮闘する人々の姿を追った。(語り)西田敏行

詳細情報
番組内容
天狗舞、田植踊…福島は民俗芸能の宝庫と言われている。しかし、原発事故が芸能の担い手である住民を散り散りにしてしまった。仲間が戻ってこない町。故郷に暮らすことさえできない町。調査によると、津波や原発の影響を受けた地域では9割近くの民俗芸能が復活できないでいる。そんななか、地域のつながりを取り戻そうと芸能の復活に奮闘する人々の姿を追った。【語り】西田敏行
出演者
【語り】西田敏行,【出演】大学講師…懸田弘訓,北萱浜神楽愛好会会長…山本昭彦,北萱浜消防団部長…木幡好弘,北萱浜神楽愛好会会員…小西康弘,北萱浜神楽愛好会会員…吉村真彦,北萱浜消防団班長…清水裕晃ほか

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

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