美の京都遺産 2014.06.08

(ナレーション)
京都市の北東霊峰比叡山がそびえる

山上には伝教大師最澄が開いた延暦寺がある

東塔西塔横川
延暦寺は三つのエリアからなる大寺院である

東塔にある…
延暦寺の総本堂である

西塔の…

横川の中心をなす…

平安時代前期に造られたとされる…
1000年の時を越え受け継がれる延暦寺の至宝である

本尊は密教の教主大日如来

両脇に弥勒菩薩と十一面観音を従える

5月17日
延暦寺の歴史を語るうえで欠かすことのできないある人物の法要が営まれる
(読経)
小さな厨子にはその人物の像がられている
桓武天皇である
奈良時代末期南都奈良では政治と仏教が癒着していた
そんな状況を刷新しようと桓武天皇は平安遷都を断行する
新しい都で国を治めるには南都の毒に汚されていない仏教の指導者が必要だ
そう考えていた天皇は最澄の存在をある側近から聞かされる
真の仏教を求め比叡山に籠もった若者がいます
彼こそは新都にふさわしい僧侶といえましょう
そう告げたのは和気清麻呂であった

京都市の北西にそびえる高雄山

その中腹にある古刹が神護寺である

天長元年西暦824年河内国から移された神願寺とこの地にあった高雄山寺が併合された

高雄山寺は和気一族の菩提寺であった
清麻呂は天台宗を広めんとする最澄を買っていた
最澄は高雄山寺に招かれ南都の高僧を前に天台宗の講演を行う
その講演が成功したことを聞いた天皇は天台宗が諸宗より優れていると確信
その教義を深めさせようと最澄を唐に遣わせた
天台の教えというのは伝わってないことはなかったんですけれどもそれをこう多くの書物の中から見いだしたのはやっぱり最澄さんだと思いますしそれを奈良のお坊さんたちを集めて神護寺での講説ですか…そのときに奈良のお坊さんたちもその天台の教えを聞いて非常にこれは優れておるということを桓武天皇にご報告をされておったりしますので。
そういったことで天台の教えというのに注目されたんだと思います。
(読経)
最澄は延暦24年に帰国
その翌年の5月17日桓武天皇が崩御した
(読経)
死の直前天皇は最澄に贈り物をした
天台宗を南都六宗と並ぶ国家公認の宗派と定めたのである
延暦寺は桓武天皇への報恩を未来永劫忘れることはない
最澄が唐に滞在したのは9か月であった
僅かな期間で高僧たちから直接教えを受けたが密教の修学は不十分であった
それを補うべく最澄は帰国後ある僧侶に教えを乞う
弘法大師空海である
当時空海はまったくの無名であった
最澄はしかし唐で本格的に密教を学んだ年下の空海に弟子入りしたのである

延暦寺東塔…
朱塗りの塔の内部には天台宗が重んじる「法華経」が1000巻納められている
最澄は国家鎮護を祈念して全国6か所にこうした宝塔を建立した
それは天台宗を認め支援してくれた桓武天皇への報恩の表れであった

すべての者をあまねく救う
そんな一乗思想を持った菩薩僧を比叡山で育成したい

晩年最澄はそう強く願うようになった
そのためには菩薩僧の資格を与える戒壇院を国家公認のもと比叡山に設立しなければならない
最澄は自らの構想をまとめた論文を再三にわたり朝廷に提出
だが弘仁13年6月4日大望を抱いたまま遷化した

戒壇院設立の勅許が下ったのはその7日後であった
比叡山にその菩薩僧が修行していると。
そのことが国を守ることであると。
そういうふうにおっしゃってるんですね。
12年間籠山をさせて修行させると。
「山家学生式」というのが比叡山での修行の方針を述べられた書物ですけれどもそこには「国の宝になる僧侶菩薩を育てたい」ということがはっきり書かれてます。
国宝とは何物ぞ
それは他人を思いやる仏の心を持った人である

伝教大師最澄の心を語りかけるように比叡山がそびえ立つ
新緑の東福寺と陶工たちをご紹介します
2014/06/08(日) 06:15〜06:30
MBS毎日放送
美の京都遺産[字]

「比叡山延暦寺・2」

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
福祉 – 文字(字幕)

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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